「『東国原を潰せ。』というのを凄く感じる。これが霞が関の抵抗。私は吹き飛ばされてしまうと思う。」
11日に愛知県春日井市で行われた講演で、東国原・宮崎県知事が口にした言葉だ。自民党から要請された「次期衆議院選挙への立候補」に対して世論の支持が高まらないのは、「出馬条件とした地方分権推進に大きな危機感を感じた官僚達が、東国原知事の出馬を潰しにかかっている。」と言いたいのだろうが、ハッキリ言って官僚達は彼の出馬なんて全く歯牙にも掛けていないと思う。世論の支持が高まらないのは以前の記事でも触れたが如く、「国会議員になりたいだけ。」というのを多くの国民が露骨に感じてしまっただけの事ではないか?官僚組織に問題が少なくないのは否定しないけれど、無理無理なこじつけで批判されたら、流石に官僚達が気の毒だ。
「国政での煽りを都政が食らうのは論外だ。」
12日に投開票が行われた東京都議選での「自民党大敗北&民主党大躍進」を受け、石原慎太郎・東京都知事が口にした言葉。選挙中からこの手の発言を連発し、「非常に迷惑な話。」と麻生政権の批判もしていた。
確かに「政権交代」というのが今回の都議選のテーマになった部分は少なくないが、だからと言って全ての責任を麻生政権のせいにするのもどうかと思う。「2016年夏季オリンピックの招致問題」や「新銀行東京問題」、「築地市場移転問題」等々、石原都政自体にウンザリしている都民も少なくなかったのではないか?
以前より「公私混同振りの酷さ」や「人に厳しく、自分&身内には大甘。」、「不都合な質問をした相手に対して個人攻撃を繰り返し、自分の非は一切認めない。」という潔くない姿勢が際立つ彼だが、この期に及んでも人のせいとは・・・。
11日に愛知県春日井市で行われた講演で、東国原・宮崎県知事が口にした言葉だ。自民党から要請された「次期衆議院選挙への立候補」に対して世論の支持が高まらないのは、「出馬条件とした地方分権推進に大きな危機感を感じた官僚達が、東国原知事の出馬を潰しにかかっている。」と言いたいのだろうが、ハッキリ言って官僚達は彼の出馬なんて全く歯牙にも掛けていないと思う。世論の支持が高まらないのは以前の記事でも触れたが如く、「国会議員になりたいだけ。」というのを多くの国民が露骨に感じてしまっただけの事ではないか?官僚組織に問題が少なくないのは否定しないけれど、無理無理なこじつけで批判されたら、流石に官僚達が気の毒だ。
「国政での煽りを都政が食らうのは論外だ。」
12日に投開票が行われた東京都議選での「自民党大敗北&民主党大躍進」を受け、石原慎太郎・東京都知事が口にした言葉。選挙中からこの手の発言を連発し、「非常に迷惑な話。」と麻生政権の批判もしていた。
確かに「政権交代」というのが今回の都議選のテーマになった部分は少なくないが、だからと言って全ての責任を麻生政権のせいにするのもどうかと思う。「2016年夏季オリンピックの招致問題」や「新銀行東京問題」、「築地市場移転問題」等々、石原都政自体にウンザリしている都民も少なくなかったのではないか?
以前より「公私混同振りの酷さ」や「人に厳しく、自分&身内には大甘。」、「不都合な質問をした相手に対して個人攻撃を繰り返し、自分の非は一切認めない。」という潔くない姿勢が際立つ彼だが、この期に及んでも人のせいとは・・・。
「自分の手柄は自分の物。人の手柄も自分の物。悪い事は全て他者のせい。」というのは、周りが全て御膳立てしてくれる中で育って来た、所謂「苦労知らずの御坊ちゃん」に概して見られる所では在りますが、でも「苦労知らずの御坊ちゃん」じゃ無い人にもそういう人は少なからず居ますね。東国原氏は苦労人の域に入るだろうし、結局はその人のパーソナリティーに関わって来る様な気がします。(国民的な人気を博しているとされる某大臣も、「私はこれだけ遣ってます!」というアピールを散々するものの、都合が悪い部分に関しては大体人のせいにしているし。)
石原裕次郎氏が生前「あんな兄貴が居なかったら、俺の人気ももっと在ったんだろうけど。」と冗談交じりに話していたとか。然も在りなん。
「策士、策に溺れる」なんて言いますが、東国原&古賀両氏共にそれを感じます。「風」を読む能力に自信を持っていたで在ろう東国原知事。高い支持率を維持している事で、「これなら『宮崎の為』と言えば、何でも出来る。」という慢心に近い思いが出たのではないでしょうか。「風」を読み違えて“強行突破”を図ろうとするも、風は止むどころか強くなる一方。「こりゃあまずい。上手く“撤退”しないと、全てを失ってしまう。」と考えて師匠に泣き付き、「師匠の命令での撤退。」を演出した様な感じがします。
又、“選挙のプロ”を自負していた古賀氏も、「表舞台には立たず、裏で充分根回しした上で候補者を擁立する。」というそれ迄のスタイルでは無く、大物の自分が直々に出馬要請する事で、「『これだけ自民党は危機感を持っているのだ。』という強いアピールを国民に出来る筈。」という思いが在ったのではないかと。森元首相が得意とする「著名人候補の擁立」に手を出してしまったのも、彼にとっては範疇外の方法論だった様にも感じます。
今回の都議選で大躍進した民主党ですが、当選した人々の顔触れを見ると、中には「本当にきちんとした政策が在るのかなあ?」と感じてしまう人もチラホラ。安直な著名人候補者の担ぎ出しも然る事乍ら、単に「若いから。」とか「女性だから。」という事“だけ”での候補者擁立も駄目。仮に(国政レベルでの)政権交代出来たとしても、「これから勉強します。」なんて議員が多く誕生した結果で在れば、国民が見切りを付けるのも早いと思うし。
やっぱり1期は宮崎県知事を続けないと。できれば勉強の場と考えて2期くらい勤めて欲しいです。いい意味で、「場慣れ」の気構えでもいいと思います。
度量は計り知れないですよね。まだ海のものとも山のものともわかりません。
意外と活躍するかもしれませんし、埋もれて終わるかもしれません。
ただ、途中で投げ出すとすれば、何をやっても失敗するんじゃないかと。あえて苦言を呈しておきたいですよね。
う~む。石原都知事、あまり評判がよろしくないようです。
以前、阿川佐和子さんを意味もなく怒鳴り飛ばしたり、理不尽なことで怒ったり。
人の責任にする人は個人的に好きになれません。x±x
ましてや人の上に立つ人は。
麻生さんのほうが個人的にはまだいいです。一生懸命やってるところは伝わります。
その行動力は評価しておりますので、後は如何に山積した問題を抜本的に解決出来るかどうか。宮崎県民では無い自分には詳細な事は判らないけれど、地元の報道を見る限りでは殆ど手付かずのままの様だし、そんな状態で知事職を放り出して国政に打って出ても、「又、面倒になったら放り出すのだろう。」と思われるだけ。政権を途中で放り出した首相が二代続いている御時世だからこそ、先ずはきちんと任期を務め上げるのが重要。遣る気の無いままに続けるのは論外ですが。
声高に主張し、自論を他者に強いる人程、「他者に厳しく、自分に甘い。」傾向が強い気がします。少なくとも声高に叫ぶ以上は、自分をより厳しく律しないと、何等説得力が無いと自分は思います。
支持率の高さによって、「今なら何でも出来る。」と勘違いしてしまった部分は在るでしょうね。「『任期を務め上げてから国政に出るべき。』という声も在るが、物事にはタイミングというのも重要。地方分権を推し進める為に国政に出るには、今が最適と思う。」といった趣旨の発言を東国原知事は口にしていましたが、「物事にはタイミングというのも重要。」という部分に関しては納得出来るものの、“セールス活動”ばかりが目に付いて、肝心な抜本改革は全く手付かずでは無い様な状況では、「国会議員になりたくて仕方無いという気持ち在りき。」の上での詭弁という感じがします。
国政に秋波を送るのも結構だけれど、先ずはあれだけ訴えていた地方からの改革を成し遂げてからではないかと。
宮崎県民や多くの東国原知事の関係者
東国原知事のファンの方々も
しらけたのではないでしょうか。
古賀氏にも大いに問題はありますが。
東国原知事も無責任過ぎます。
やはりまだ、宮崎県知事を1期
しかも1期の折り返し地点のところまでしか
つとめてないのに
まだ、2期もつとめていないのに。
もう、衆議院選挙に出ようとする
それも総裁選に出させてあげるなら
出馬しても良い
なんて何を考えているんでしょう。
何様のつもりだ
と、いう怒りがこみあげてきました。
東国原知事も宮崎のセールスマン
なんていう宮崎の良さ、宮崎をアピール
ばかりしていて
肝心の宮崎県政のほうは後回し
いや、野放しにしてるんですから。
ほとんど解決してないですよね。
宮崎県政の諸問題は。
だったらはじめから国政に出馬すれば
良いんですよ。
この人の宮崎県の県政問題なんて
事実、何一つ解決したなんていう
報道入ってこないじゃないですか。
何のために宮崎県知事になったんだ
と、いいたくなる。
宮崎県民は県の職員は関係者は
シラけてると思いますよ。
野心を持つのは決して悪い事では無い。誰だって大なり小なり野心を持っていると思うし、時には他者からの批判を浴びてでもその成就に邁進する事も否定はしない。唯、「自身の立場を考える。」や「他者に迷惑を掛けない。」というのは重要。
自身の国政出馬に対して批判の声が多い事に対して東国原知事は「「(国政転身せず県知事として留まった場合は)1年半、プラーっとさせて貰う。」と発言していましたよね。当人は冗談半分に口にした事かもしれませんが、これ程宮崎県民を愚弄した発言は無いのではないでしょうか。意外とこれが彼の本音の様な気もしますし、そうなるとやはり宮崎県知事の座は国政に出る為の1ステップに過ぎなかったとも言える。
自身の言動によって失った信頼は、今後の“実の在る政策実施”で取り返して行くしかない。実態の無い高支持率を、実態の在る高支持率に変えて行けるか否か。それは東国原知事の今後に掛かっていると思います。