漫才コンビB&Bの島田洋七氏は、その喋くりの上手さから好きな芸人の一人なのだが、以前「徹子の部屋」に出演した際に自身の幼き頃の話をされていて、その内容が正に抱腹絶倒だった。
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生まれる前に父親を原爆の後遺症から亡くした彼は、広島で母親及び兄と3人で極貧生活を送っていたそうだ。余りの貧しさから、母親は泣く泣く彼1人を、佐賀に住む自分の母親の元に預ける事を決意する。1957年、彼が小学校二年生(7歳)の時の事だった。佐賀に住む祖母は、夫の死後7人の子供を女で一つで育て上げた人物で、その当時も現役の掃除婦として働き、ボロ家で独り暮らしをしていた。当初は母親恋しさから、汽車の線路の上を歩いて広島に帰ろうとした洋七少年だったが、当然の事ながら途中で見付かり家に引き戻されてしまう。
母親と暮らしていた頃よりも貧乏な祖母との生活に、哀しさを感じていた彼だったが、祖母の常に前向きな思考に徐々に感化されて行き、貧乏な生活すらも苦痛には感じない様になって行く。家の裏手に流れる川の水面には棒が張られており、多くの木々が引っ掛かっていた。これ等は竈で御飯を炊く際に燃料として使われる。棒に引っ掛かるのはそれだけでは無く、時には野菜等が引っ掛かる事も在った。川の上流には野菜市場が在り、売り物にならない形の悪い野菜等が川に捨てられ、それが流れ着くからだ。「川はうちのスーパーマーケット。わざわざ買いに行かんでも、向こうから運んで来てくれる。唯、欲しい物が欲しい時に手に入らないだけじゃ。」と笑う祖母。
ひもじさから「腹減った。」と口にする洋七少年に、「それは気のせいや。」と返す祖母。「そうなのかなあ。」と思うものの空腹感は抑え難く、「婆ちゃん、やっぱり腹減った。」と口にする彼に、「腹が減ったと思うのは夢じゃ。」との祖母からの切り返しが。
友達と一緒に剣道や柔道を習いたいと頼む彼に、「(道具類の購入で)金が掛かるなら、やめときんしゃい。」と許さない祖母。どうしてもスポーツがしたい彼がしつこくせがむと、「だったら走りんしゃい。走る地べたはタダ、道具も要らん。」とアドヴァイスする祖母。「確かにそうだ。」と思い、毎日運動場を走る彼に、祖母は「靴が傷むから、脱いで裸足で走りんしゃい。」と付け加える事も忘れなかった。
「ケチは最低。でも、節約は天才じゃ。」や「貧乏には二通り在る。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。うちは先祖代々貧乏だから、自信を持ってよか。 」等々、常に前向きな言葉を口にしていた祖母が大好きだった洋七少年・・・。
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そんな祖母の事を本にしたのが「佐賀のがばいばあちゃん」。「がばい」とは佐賀弁で「凄い」という意味を含んだ言葉で(正確に言えば「とても」という意味合いで使うのだそうだが。)、タイトルは「佐賀の凄いばあちゃん」という事になる。そして、この原作を映画化した「佐賀のがばいばあちゃん」を先日観て来た。
映画の中では多少設定が変わっている。洋七氏*1は芸人では無く、サラリーマンという事になっているからだ。そして、”がばいばあちゃん”を演じているのは吉行和子さん。71歳という実年齢よりは御若く見える彼女なので、この役はどうなのかなあと思っていたのだが、実に上手く演じ切っている。無表情な顔で、磁石を引っ張って歩いている姿(外出する際には、腰に磁石の付いた紐を結び付けて地面をズルズル引っ張って歩く。こうすれば、高く売れる鉄屑を拾うからだとか。)には爆笑してしまった。
貧しい洋七少年を取り巻く人々の温かさも、心にジワッと沁みて来る。自転車に乗った豆腐売りが家の前を通ると、形の崩れた豆腐を半値の5円で毎回買いに出る洋七少年。その日も何時もの様に「形の崩れた豆腐を下さい。」と頼むが、その日に限って形の整った豆腐しかない。しかし、彼に気付かれない様にこっそり豆腐に指で穴を開け、「5円だぞ。」とニッコリ笑って渡す豆腐屋のオヤジ。
運動会では誰も見に来てくれる人も居らず、一人寂しく教室で弁当を食べようとする洋七少年。弁当は御飯の上に梅干と紅生姜が載っているだけの代物だ。其処に担任の教師が入って来て、「先生、急に腹が痛くなってのう。持って来た弁当が食えなくなってしもうた。御腹に梅干が良いと言うから、悪いが交換してくれんか?」と自らの弁当と交換して教室を出て行く。交換した弁当の蓋を開けると、海老フライやらウインナーやら豪華な食べ物が一杯詰まっている。「ばあちゃん、世の中にはこんな美味い物も在るんやのう。」と感激して食べまくっていると、教室の扉がガラッと開き、別の教師が入って来て、「先生、御腹壊しちゃって。だから、梅干が食べたいんで御弁当を変えてくれないかなあ・・・。」と。その言葉が終わらない内に別の教師が入って来るのだが、その手の中にはやはり豪勢な御弁当が・・・。
「ばあちゃん、今日は変な事が起きた。先生皆が御腹を壊して、弁当変えてくれと言ったんじゃ。もしかしたら、美味しい弁当を食べさせてくれる為にしたのかのう?」と尋ねる洋七少年に、「今頃気付いたんか。人に気付かれない様にするのが本当の優しさ、本当の親切じゃ。」と答えるばあちゃん。*2
洋七少年とばあちゃんの会話のキャッチボールに何度も笑わせられ、そして時にはホロリとさせられる。人の優しさ&温かさが胸に突き刺さり、そして心の持ち様次第で人生は如何様にでも生きられるのだと感じさせてくれる作品。スクリーンに映し出される風景も懐かしく、映画館を出た時には心が何か軽くなった気がした。
総合評価では星3.5としたい。(星4つにしようかどうか、かなり迷った。)
*1 映画の中では岩永明広という名前になっているが、判り易くする意味でこの記事の中では敢えて「洋七」及び「洋七少年」という表記にしている。
*2 台詞を紙に書き写した訳では無いので、記憶を手繰り寄せながら記事にした。それ故に、正しくない佐賀弁の可能性も在る事を御理解戴きたい。尚、ばあちゃんの語録の一部が此処に載っている。どれも味わい深い言葉で在る。
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生まれる前に父親を原爆の後遺症から亡くした彼は、広島で母親及び兄と3人で極貧生活を送っていたそうだ。余りの貧しさから、母親は泣く泣く彼1人を、佐賀に住む自分の母親の元に預ける事を決意する。1957年、彼が小学校二年生(7歳)の時の事だった。佐賀に住む祖母は、夫の死後7人の子供を女で一つで育て上げた人物で、その当時も現役の掃除婦として働き、ボロ家で独り暮らしをしていた。当初は母親恋しさから、汽車の線路の上を歩いて広島に帰ろうとした洋七少年だったが、当然の事ながら途中で見付かり家に引き戻されてしまう。
母親と暮らしていた頃よりも貧乏な祖母との生活に、哀しさを感じていた彼だったが、祖母の常に前向きな思考に徐々に感化されて行き、貧乏な生活すらも苦痛には感じない様になって行く。家の裏手に流れる川の水面には棒が張られており、多くの木々が引っ掛かっていた。これ等は竈で御飯を炊く際に燃料として使われる。棒に引っ掛かるのはそれだけでは無く、時には野菜等が引っ掛かる事も在った。川の上流には野菜市場が在り、売り物にならない形の悪い野菜等が川に捨てられ、それが流れ着くからだ。「川はうちのスーパーマーケット。わざわざ買いに行かんでも、向こうから運んで来てくれる。唯、欲しい物が欲しい時に手に入らないだけじゃ。」と笑う祖母。
ひもじさから「腹減った。」と口にする洋七少年に、「それは気のせいや。」と返す祖母。「そうなのかなあ。」と思うものの空腹感は抑え難く、「婆ちゃん、やっぱり腹減った。」と口にする彼に、「腹が減ったと思うのは夢じゃ。」との祖母からの切り返しが。
友達と一緒に剣道や柔道を習いたいと頼む彼に、「(道具類の購入で)金が掛かるなら、やめときんしゃい。」と許さない祖母。どうしてもスポーツがしたい彼がしつこくせがむと、「だったら走りんしゃい。走る地べたはタダ、道具も要らん。」とアドヴァイスする祖母。「確かにそうだ。」と思い、毎日運動場を走る彼に、祖母は「靴が傷むから、脱いで裸足で走りんしゃい。」と付け加える事も忘れなかった。
「ケチは最低。でも、節約は天才じゃ。」や「貧乏には二通り在る。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。うちは先祖代々貧乏だから、自信を持ってよか。 」等々、常に前向きな言葉を口にしていた祖母が大好きだった洋七少年・・・。
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そんな祖母の事を本にしたのが「佐賀のがばいばあちゃん」。「がばい」とは佐賀弁で「凄い」という意味を含んだ言葉で(正確に言えば「とても」という意味合いで使うのだそうだが。)、タイトルは「佐賀の凄いばあちゃん」という事になる。そして、この原作を映画化した「佐賀のがばいばあちゃん」を先日観て来た。
映画の中では多少設定が変わっている。洋七氏*1は芸人では無く、サラリーマンという事になっているからだ。そして、”がばいばあちゃん”を演じているのは吉行和子さん。71歳という実年齢よりは御若く見える彼女なので、この役はどうなのかなあと思っていたのだが、実に上手く演じ切っている。無表情な顔で、磁石を引っ張って歩いている姿(外出する際には、腰に磁石の付いた紐を結び付けて地面をズルズル引っ張って歩く。こうすれば、高く売れる鉄屑を拾うからだとか。)には爆笑してしまった。
貧しい洋七少年を取り巻く人々の温かさも、心にジワッと沁みて来る。自転車に乗った豆腐売りが家の前を通ると、形の崩れた豆腐を半値の5円で毎回買いに出る洋七少年。その日も何時もの様に「形の崩れた豆腐を下さい。」と頼むが、その日に限って形の整った豆腐しかない。しかし、彼に気付かれない様にこっそり豆腐に指で穴を開け、「5円だぞ。」とニッコリ笑って渡す豆腐屋のオヤジ。
運動会では誰も見に来てくれる人も居らず、一人寂しく教室で弁当を食べようとする洋七少年。弁当は御飯の上に梅干と紅生姜が載っているだけの代物だ。其処に担任の教師が入って来て、「先生、急に腹が痛くなってのう。持って来た弁当が食えなくなってしもうた。御腹に梅干が良いと言うから、悪いが交換してくれんか?」と自らの弁当と交換して教室を出て行く。交換した弁当の蓋を開けると、海老フライやらウインナーやら豪華な食べ物が一杯詰まっている。「ばあちゃん、世の中にはこんな美味い物も在るんやのう。」と感激して食べまくっていると、教室の扉がガラッと開き、別の教師が入って来て、「先生、御腹壊しちゃって。だから、梅干が食べたいんで御弁当を変えてくれないかなあ・・・。」と。その言葉が終わらない内に別の教師が入って来るのだが、その手の中にはやはり豪勢な御弁当が・・・。
「ばあちゃん、今日は変な事が起きた。先生皆が御腹を壊して、弁当変えてくれと言ったんじゃ。もしかしたら、美味しい弁当を食べさせてくれる為にしたのかのう?」と尋ねる洋七少年に、「今頃気付いたんか。人に気付かれない様にするのが本当の優しさ、本当の親切じゃ。」と答えるばあちゃん。*2
洋七少年とばあちゃんの会話のキャッチボールに何度も笑わせられ、そして時にはホロリとさせられる。人の優しさ&温かさが胸に突き刺さり、そして心の持ち様次第で人生は如何様にでも生きられるのだと感じさせてくれる作品。スクリーンに映し出される風景も懐かしく、映画館を出た時には心が何か軽くなった気がした。
総合評価では星3.5としたい。(星4つにしようかどうか、かなり迷った。)
*1 映画の中では岩永明広という名前になっているが、判り易くする意味でこの記事の中では敢えて「洋七」及び「洋七少年」という表記にしている。
*2 台詞を紙に書き写した訳では無いので、記憶を手繰り寄せながら記事にした。それ故に、正しくない佐賀弁の可能性も在る事を御理解戴きたい。尚、ばあちゃんの語録の一部が此処に載っている。どれも味わい深い言葉で在る。
先生の素敵な心遣いもいいですね。こういう人になりたいです。
子供の頃、近所のスーパーにおつかいで行き、2円とか5円とかが足りないときがたまにあったのですが、スーパーのおばちゃんに「お母さんに言って、後で持ってきてね。覚えておくから」と毎回しっかり言われたことを思い出します(苦笑)
今では、とても真似出来ないですけど、物が溢れている時代だからこそ、この御婆さんのように、物を大切にしたいな、と感じました。
話は違いますが、この間、『あらしのよるに』を見ました。とてもよかったですよ。オオカミとヤギとの友情、最後のシーンも泣けてしまいました。
菓子パン1つの有り難み、
毎日食事の出来る喜び。
お金が多少有ると忘れがちに。
私は貧乏で良かったと、
本気で思っています。
かなり昔になりますが、エジプトを旅した際に、極貧と言っても良い村を訪れた事が在りました。明らかに皆貧しいのですが、不思議な程に彼等には明るさが在って、その笑顔は物質的に満ち足りている筈の我が国でもそうは見れない程の屈託の無さでした。現状に不満が無い訳は無いのでしょうが、日々生かされている事に満足している様な感じがし、それはメサドン様も書かれている様な何事にも感謝出来る環境だったのかもしれません。
子供の頃は親から何でも買い与えられる環境には在りませんでしたが、今となってみればそれは良かった様に思うし、親には感謝しています。あの頃何でも買い与えられていたら、今頃は物の在り難味が判らない、無感動な人間になっていたと思うからです。
追伸:以前から気になっていたのですが、このホームページのタイトル・・・私はよく覚えています。アフタヌーンショー。ずっとテレビで見ていました。今のテレビは自己防衛で、あんな番組があったのは、奇跡のようです。
私の中では芸人・島田洋七の評価は低かったもんで(失笑)
いつのまにやら映画になってて、小説も何本か出てたとはしらなくって驚きました。
小説は九州ですごい売れてるらしいですよ。
貧乏でも明るく生きられるのはよいことですね。
このおばあちゃんと住んでいた家に今、洋七さんは住んでいるそうです。主に大阪で活動されていますが、佐賀から通っているそうです。
そういう大事なものがあるっていいですよね。
本当におもしろくて、ネタかとおもいました。
ひとに気付かれないようにするのが、本当の優しさ。
というのは、僕もそうおもう所です。
俺は優しいんだというひとは、正直、疑いの目で見てしまうことが多いですね。
自分としては、ひとに気付かれない優しさに気が付けるようなひとになりたいと思いますね。
吉行さんは、素敵でしたが、普段、家事仕事などをしない人なので、方言も含め、ばあちゃんの家事の演技をするのが、とっても大変らしかったということです。