
宝島社発行の「『昭和の小学生』大百科」という本が面白い。手元に在るのは2001年3月2日に発行された版で(現在は新装版が発行されている。)、昭和30~40年代に小学生だった者にとっては懐かしさがギュッと詰まった内容となっている。今回の画像として使用した”スパイセット”(正式名称はスパイ・ザ・パック。)や”平和鳥”(正式名称はハッピーバード。)、”骸骨貯金箱”(正式名称はCOFFIN BANK。)といった遊び道具から、「象が踏んでも壊れない。」の宣伝で有名になったアーム筆入やユニ坊主等の文具品、「マグネットつき さんすうせっと」(授業では時計しか使った記憶が無い。後は、おはじきや手裏剣代わりに使って遊んでいた。)や教科書等の教材、給食やラジオ体操出席カード、謄写版、昆虫採集セット等々、懐かしい写真がふんだんに使用されているし、この時代に小学生だった著名人達の思い出話も「うんうん、そうだった。」と頷いてしまうものばかり。
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① 禁じられた遊び(漫画評論家の山本敦司氏[昭和31年生まれ]の思い出話)
「急所モミ」といって、男同士でキンタマをモミモミするのが流行した。中で一人、凄く揉むのが巧みな奴が居た。皆で、こいつは将来変な奴になると想っていたら、30年後の今、マッサージ店のオーナーになっていた。
② 学校に持って来てはいけない物(タレントの江頭2:50氏[昭和40年生まれ]の思い出話)
アイドルの下敷きが沢山出ていたけど、何故か西城秀樹の下敷きだけは禁止された。多分、胸毛が写っていたからだと思う。因みに透明の下敷きにスポーツカーとか色んな写真を入れていたね。
③ 理科の授業(漫画関係の作家&編集プロデューサーの瀬戸龍哉氏[昭和29年生まれ]の思い出話)
理科の解剖で印象的だったのは、何と兎!それも目玉を取り出し、その水晶体を切り出して、教科書の上に起き、「ほら、目はレンズと同じだ。大きく見えるだろう。」と、唯それだけを言う為の解剖だった。女子は当然、男子も叫ぶわ逃げ出すわ、頭を手で覆ってしゃがみ込むわで教室内阿鼻叫喚の授業だったが、先生は皆が感動するとでも想っていたのか、終始機嫌が悪かった。
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その他にも転校生に纏わる話(邪な気持ちからでは一切無く、単に「弱い者を守る。」という子供達なりの”ルール”が未だ残っていた時代の話で、読んでいて胸が熱くなった。)等、印象に残るものが少なくない。
③の話に関連するが、自分等の頃には流石に兎の解剖は無かったものの、鮒と蛙の解剖をさせられた記憶は強烈に残っている。やはり教室内は気持ち悪さからざわめいていたが、今でもこういった授業は行なわれているのだろうか?気持ち悪いという思いを持ちながらも、生物の生き死にを如実に意識させられた時間で在った様に思う。*1
それと、性教育に付いて触れられた文章も載っていた。自分等の頃は小学校5年になると、事前の連絡も無しに女生徒だけが体育館に集められ、”特別授業”なるものを受ける日が在った。自分を含む男子生徒達は、「特別授業って何だ?女子生徒だけ集められて、美味しい物を食べさせて貰ったり、漫画映画でも見せて貰ってるんじゃないか?」と騒いでいたものだったが、何時の時代にもませたガキは居るもので、「体育館でエッチな事を教えて貰ってるんだぜ。」とナイスなインフォメーションを教えてくれたりして、それが又大騒ぎの火種になったりもしていた。
こういった抜き打ち形式の性教育は、何と1992年3月迄続いていたという。1992年4月から、小学校5&6年の授業で初めて本格的な性教育が為される事になったのだとか。自分等の頃は雑誌情報や友人からの口コミ等で、それこそ「群盲象を撫ず」状態で性情報を模索していたものだが、それでもかなりの誤認識が在った。今はレンタル・ショップでAVが、インターネットでエロ情報が簡単に入手出来、性教育を受ける前に溢れんばかりの性情報に触れられてしまう世の中だが、それだけに昔以上に誤認識を生じさせ兼ねない気がする。
*1 解剖の時間には気持ち悪さを感じたものだったが、考えてみれば子供にはかなり残酷な面が在り、それ以前にも蛇の皮を剥いたり、ザリガニの頭を捥いだり、蟷螂を踏み潰して腹から黒いニョロニョロと動く寄生虫が出て来るのを見ていたりしたのだから良く判らないもの。
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① 禁じられた遊び(漫画評論家の山本敦司氏[昭和31年生まれ]の思い出話)
「急所モミ」といって、男同士でキンタマをモミモミするのが流行した。中で一人、凄く揉むのが巧みな奴が居た。皆で、こいつは将来変な奴になると想っていたら、30年後の今、マッサージ店のオーナーになっていた。
② 学校に持って来てはいけない物(タレントの江頭2:50氏[昭和40年生まれ]の思い出話)
アイドルの下敷きが沢山出ていたけど、何故か西城秀樹の下敷きだけは禁止された。多分、胸毛が写っていたからだと思う。因みに透明の下敷きにスポーツカーとか色んな写真を入れていたね。
③ 理科の授業(漫画関係の作家&編集プロデューサーの瀬戸龍哉氏[昭和29年生まれ]の思い出話)
理科の解剖で印象的だったのは、何と兎!それも目玉を取り出し、その水晶体を切り出して、教科書の上に起き、「ほら、目はレンズと同じだ。大きく見えるだろう。」と、唯それだけを言う為の解剖だった。女子は当然、男子も叫ぶわ逃げ出すわ、頭を手で覆ってしゃがみ込むわで教室内阿鼻叫喚の授業だったが、先生は皆が感動するとでも想っていたのか、終始機嫌が悪かった。
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その他にも転校生に纏わる話(邪な気持ちからでは一切無く、単に「弱い者を守る。」という子供達なりの”ルール”が未だ残っていた時代の話で、読んでいて胸が熱くなった。)等、印象に残るものが少なくない。
③の話に関連するが、自分等の頃には流石に兎の解剖は無かったものの、鮒と蛙の解剖をさせられた記憶は強烈に残っている。やはり教室内は気持ち悪さからざわめいていたが、今でもこういった授業は行なわれているのだろうか?気持ち悪いという思いを持ちながらも、生物の生き死にを如実に意識させられた時間で在った様に思う。*1
それと、性教育に付いて触れられた文章も載っていた。自分等の頃は小学校5年になると、事前の連絡も無しに女生徒だけが体育館に集められ、”特別授業”なるものを受ける日が在った。自分を含む男子生徒達は、「特別授業って何だ?女子生徒だけ集められて、美味しい物を食べさせて貰ったり、漫画映画でも見せて貰ってるんじゃないか?」と騒いでいたものだったが、何時の時代にもませたガキは居るもので、「体育館でエッチな事を教えて貰ってるんだぜ。」とナイスなインフォメーションを教えてくれたりして、それが又大騒ぎの火種になったりもしていた。

こういった抜き打ち形式の性教育は、何と1992年3月迄続いていたという。1992年4月から、小学校5&6年の授業で初めて本格的な性教育が為される事になったのだとか。自分等の頃は雑誌情報や友人からの口コミ等で、それこそ「群盲象を撫ず」状態で性情報を模索していたものだが、それでもかなりの誤認識が在った。今はレンタル・ショップでAVが、インターネットでエロ情報が簡単に入手出来、性教育を受ける前に溢れんばかりの性情報に触れられてしまう世の中だが、それだけに昔以上に誤認識を生じさせ兼ねない気がする。

*1 解剖の時間には気持ち悪さを感じたものだったが、考えてみれば子供にはかなり残酷な面が在り、それ以前にも蛇の皮を剥いたり、ザリガニの頭を捥いだり、蟷螂を踏み潰して腹から黒いニョロニョロと動く寄生虫が出て来るのを見ていたりしたのだから良く判らないもの。

うちの親は手作りの野球板とか着せ替え人形を作ってくれたり、キャッチボールをしてくれるひとでしたが・・。意外やこういうアホなモノを買ってきて、わが子の反応を楽しんでたという人でもありました。
その際たるものはホットケーキの焼ける「ママレンジ」・・。
>特別授業
「ねぇねぇ何してたの?」と騒いでいる一部の男子が「バカ」に見えたですね・・はい。
情報が氾濫している今、本当に子供達のことが心配です。昔のように無知でも困るのかもしれませんが。
解剖実験の話ですが、そんなにスゴイ事があったんですね。想像するだけで、気持ち悪くなってしまいます。今では、虐待だと騒がれてしまいそうですね。
懐かしいですね。
解剖は、私の世代ではなかったのですが、性教育はありました。
授業後、男子が急に子供っぽく見えたような気がしました。
昭和の復刻版といえば、秘かに欲しいなと思っているのが電子ブロックです。当時高価で手が出なかったので良く似た「マイキット」の廉価版を買ってもらったのを憶えています。2石ラジオなんかを組んで微かに聞こえる音を聞いてみたいと思う今日この頃です。
また、西城秀樹の写真だけ「胸毛」で禁止というところが笑えます。でも子供には胸毛もなんとなく淫靡に映ったのでしょうか(笑)
透明下敷きも、特別授業も記憶にあります。
本当に、本当に懐かしくて・・・
色々な事、思い出しました。有難う御座います。
小学校での思い出となると、どうしても必要以上の物は持ち込み禁止となっていた為に、文房具に纏わる話が必然的に多くなってしまいますね^^。ユニ坊主もスーパーカー消しゴムも、そもそもは消しゴムという事で、抜け穴的に先生から御目溢しされていた様なものでしたし。
思い返すと、本当に懐かしい出来事ばかりです。