「2020年夏季オリンピック&パラリンピック」に関して、考えられない様な大問題が、次々に明らかとなっている。
「当初(2013年1月)、新国立競技場の総工費は約1,300億円とされていたのに、今年5月になると倍近い約2,520億円が掛かると発表され、結局、見直しされる事になった。」り、「公募で選んだ(2020年夏季オリンピック&パラリンピックの)公式エンブレムのデザインに盗作 疑惑が出て、擦った揉んだした挙句、決定したデザインの使用を中止。新たに公募し直す事になった。」りと、何とも御粗末な話許り。
意外と知られていないのだけれど、同オリンピックのボート・カヌー競技会場「海の森水上競技場」に関しても、御粗末な話が在った。当初、施設の整備費は「約69億円」とされていたのが、結果的には諸経費を含めると「1千億円超え」という話になったのだ。「観客席下等の地盤が弱く、又、其の儘では腐食を引き起こすので、対策を取らなければいけない。」というのが「約69億円→1千億円超え」となった理由らしい。場所を考えれば、そんなのは判り切っていた話で在り、全く理解出来ない。当初より14倍強にも膨らんだ整備費を問題視した舛添要一都知事により、昨年11月、計画は見直しされる事に。主要施設を移す等して整備費を圧縮するも、結局、当初よりも約7倍の「約491億円」掛かる事となった。
「オリンピック開催権を獲得する事で、支持率を大幅アップさせたい。開催権が獲得出来るのであれば、何をしても構わない。」という思いが政府に在ったのだろうか、全てに於て計画が杜撰。計画の見直しにより莫大な“無駄金”が発生し、其の穴埋めには“最終的に”我々の血税が投入されるのは確実。
驚くべき事は、此れだけ杜撰な計画が相次ぎ、莫大な無駄金が生じているのに、関係者の誰もが責任を取らないでいる事。普通の会社だったら、こんな事が起これば、関係者は辞職物だ。関係した政治家や官僚にとって、「幾ら血税を投入し様が、知った事では無い!」という事なのだろう。実に無責任。
又、公式エンブレムのデザインに関し、盗作疑惑が持ち上がったS氏に付いて、彼が関わった他のデザインに関しても盗作を思わせる物が相次いだ。本当に盗作なのかどうかは本人のみぞ知るだが、こうも疑惑が相次ぐと、(公式エンブレムのデザインの)使用中止は仕方無いし、彼自身が批判されるのも止むを得ない。
とは言え、ネット上で繰り広げられる彼に対する過度なバッシングは、中世の魔女狩りを思わせる物が在り、気持ち悪くなってしまう。彼の家族に対するバッシングなんていうのは、どう考えても異常だ。
今回の使用中止を受け、ネット上では「疑惑を追及して来たネット民の勝利だ!」といった書き込みが目立ったけれど、魔女狩りを賛美する様な風潮とは如何な物か。
「自身を少しでも批判する人物や組織に付いて、ネット上で“信者達”を煽り立て、彼等が嫌がらせ攻撃を執拗に繰り返す事で批判者を黙らせ、そしてネット上に『此れは正に、ネットの勝利ですね。』なんぞと書いた幼稚な首相。」が再登板した事で、魔女狩り的な風潮は強まった様に感じるし、「“御友達”の不始末を徹底的に擁護し、自身を含めて責任を取ろうとしない彼のスタンス。」が、“無責任社会”を助長している様にも。彼が声高に叫ぶ「美しい国」とは、「“無責任さ”と“魔女狩り”が横行する国」なのか?
前後の文章から「有力者」のタイプミスと思っておりましたし、自分なんぞは何度もタイプミスをしておりますので、気になさらないで下さい。
自分の不得意分野に関して、探りを入れるというのはプロでも在るでしょうね。否、寧ろプロだからこそ、そういう事は多いのかも。
浪花のモーツァルトと呼ばれるキダ・タロー大先生の名作の1つに「アホの坂田」が在りますが、以前、此の曲に関してメキシコ民謡の「メキシカンハットダンス」のパクリ疑惑が出ました。其の際、大先生は「バレた?」と言ったとか言わないとか。実際には「同曲からの引用」という事だそうですが、「バレた?」というあっけらかんさは、流石大先生です。
有力者と打ったつもりが・・・すいません。
そういえば藤森照信先生という建築史の有名人の公演をうかがったとき、超有名建築家(故人:例・広島平和公園や東京都庁)がインテリアは大の苦手で、インテリアを超得意とする建築家の建築を「探ってこい!」と弟子に命じていたとか。その時は後援会大爆笑でしたけどね・・・
大学の論文でも、ネット上に載っていた物を其の儘“コピペ”して出されるケースが少なく無いと言いますね。ネットは非常に有益なツールだけれど、“転がっている物”を検証無しで100%信じ込んだり、其の儘流用したりというケースが増えているのは、無思考というのを助長しているとも言え、そういった面は弊害と言えましょう。
S氏の場合、デザイン業界では其れ形に名前が売れ、第一人者と呼ばれる様な存在になった事で、「何をしても許されるだろう。」という“甘え”が出て来たのかもしれません。芸術家が過去の(他人の)作品からインスパイアされ、其れを自身の作品へと投影させるのは良く在る事ですが、甘えが「パクっても判らないだろうし、判っても許されるに違い無い。」という思いになったのではないかと。
自分も記事を書く上で、インターネット上の記事等を流用する事は良く在りますが、最低限の“礼儀”と“常識”として、ネタ元を明示する様にしています。素人の自分ですらそうなのですから、プロならば必須行為。其の儘パクっていたとしたら、プロとしての矜持がゼロと言わざるを得ない。
遣ってしまったのなら、もう取り返しは付かないのだから、潔く全てを認めたう上、一から遣り直せば良い話。他者に責任転嫁したり、被害者意識丸出ししたりというのは見苦しい。能力が在る方だと思うからこそ、きちんとした対応を取って欲しいです。
原則的に答えが明々白々に決まっている数学等とは異なり、芸術系に関しては“正解”というのが在って無い様な物。或る人は「素晴らしい!」と絶賛する物でも、他の人にとっては「何だ此れ・・・。」と思ってしまう場合も在る。
以前にも書いたと思うのですが、親戚の人間が“大昔”に経験した話。彼女は絵画界では名の知れた大御所の先生に絵を習っていたのですが、弟子と呼ばれる人間は数多と居た。弟子として認められた人間達だから、其の作品は一定レヴェル以上の物許りだったのだけれど、1人の女性Aに関しては「こんなレヴェルで、良く認められたなあ。」という感じだったとか。で、其のAが絵画に関する結構大きな賞を受賞したので、「あんな作品が評価されるんだ。」と不思議に思っていたそうです。
そんな或る日、先生を含めた弟子達で慰労会を行う事になり、泊まり掛けで観光地に行った時の事。早朝、朝風呂に入り、部屋に戻ろうとした彼女は、先生の部屋からAが出て来るのを目撃。先生にもAにも連れ合いが居り、詰まり不倫関係に在った訳ですね。
吃驚した彼女は、気心の知れた弟子仲間に話をした所、「知らなかったの!?そういう関係って、殆ど知っているわよ。だから、あんな大きな賞を取れたんだから。」と言われ、全てが腑に落ちたそうです。
其処迄露骨では無いのでしょうが、“正解が無い世界”故、今でもそういうのは在るんでしょうね。
ところで今回のS氏の件について感じるのは、例の小保方晴子氏のSTAP細胞問題といろんな点で類似しているように思える事です。
どちらも、華々しく脚光を浴びて一躍時の人となったものの、その後過去に発表された著作物(小保方氏のついては博士論文)と類似しているとネットで指摘され、否定する態度がさらに反感を買って炎上状態となり、とうとう取り下げに追いやられ、栄光が地に落ちてしまった…という辺りがほとんど同じです。
特に注視したいのは、お二人とも、本来オリジナルな著作行為を行わなければいけないはずなのに、安易にネットで過去の著作物を検索し、小保方氏の場合は他人の論文をコピーして適度に貼り付けて(いわゆるコピペ)自身の論文として発表し、S氏も同じくネットで見つけたデザインを巧妙に切り貼りして自分のデザインとして発表している点です。
S氏は部下がやったとか言ってますが、自身のブランドで発表している以上責任は免れません。
ここから感じるのは、現代はいつの間にか、著名人から一般大衆に至るまで多くの人の間に、ネットで拾ったものをコピーして貼り付け作成するという、いわば手抜き作業が蔓延してると思える点です。
実は私だって、ブログ書く際に、梗概などの基本情報については一部をコピーして貼り付けて使ってます。画像も同様です。まあ個人のブログだし、感想文は必ず自分で作成し、盗作はしないよう心がけていますが。
だけど、S氏のような著名でステイタスの高いクリエイターですら、本来オリジナルで作成しなければいけないはずの、それも多額の報酬が入るデザインをコピペして作ってしまったというのは大問題です。
小保方氏も同様で、全世界に発表されるような論文を他人のものを盗用して作ったら、いつかはバレる、という事に思い至らないのでしょうか。
ネットは便利です。居ながらにして、世界中の膨大な情報の中から、求めたい情報を即時に検索出来ます。昔のように、足を棒にして図書館などを歩き回って資料を探す苦労もしなくてよくなりました。
しかしそうした“苦労して収集する手間”が省ける安易さが、いつの間にか“苦労して自分で作る努力”を安易に省いてしまうという“手抜き”に繋がってしまっているのではないでしょうか。
その便利なネットが、今度は検索サイトを使って膨大な情報から瞬時に似たデザインまたは論文を探し出せる武器として使われ、コピペがバレてしまったというのは実に皮肉ですね。
クリエイターの方たちはいま一度、創作物は誰の真似でもない、自己のオリジナルな物を苦労し努力して作り上げる、という原点に立ち帰るべきではないでしょうか。
ネット検索はむしろ、自分の作ったものが過去の著作物と似ていないか調べる道具として活用し、似たものがあれば残念だけれど勇気をもって取り下げる、というくらいの潔癖さを持つべきでしょう。それこそが信頼と賞賛に繋がるのではないかと思います。
佐野氏、センスはいいと思うけど、ちょっと露骨すぎますわ。
知人男がちょっと可哀そうになりました。彼は田舎ではまあ田舎文化人の息子ですが、大東京では・・・。そりゃ有力なコネ男が平気で模倣沢山でのし上がれば面白くないよ。
ニューミュージック全盛期、作曲を試みた事が在ります。真面に楽器も弾けないのに、全く無謀な試みでは在ったのですが、弾けない形にピアノの鍵盤を叩き、ああだこうだと作曲を試みたのですが、「今迄に無い様な曲調の歌を作ろう。」とは思うものの、頭に浮かぶのは“過去に耳にした様な曲調”許り。「作曲家って、大変なんだなあ。」と思ってしまった次第です。
事程左様にアートって、過去に実在する作品に、どうしても引っ張られてしまい勝ち。「アートは模倣から始まる。」なんて言いますが、模倣に付加価値を付け、如何に目新しく感じさせるかが勝負とも言える。
今回の盗作騒動、自分も当初は「ああいうシンプルなデザインだと、どうしても似通った物が存在してしまうんだろうな。」と渦中のS氏には同情的でした。然し、他の作品で次々に盗作疑惑が判明し、中には盗作としか思えない物も在ったりで、同情心は無くなりました。又、使用中止を受けてS氏が出したコメントも、“被害者意識”が前面に打ち出されており、「何だかなあ・・・。」と思ったのも事実です。
とは言え、ネットを中心とした魔女狩りは異常。“正義”を錦の御旗に掲げ乍ら、遣っている事は“自身の憂さ晴らし”に過ぎない。「ネット民の勝利!」なんていう雄叫びを目にするに至っては、「単なる嫌がらせ攻撃を『此れは正に、ネットの勝利ですね。』と記した、余りに幼稚で悪質な首相が居たら、そりゃあ真面な判断が出来なくなる人間が増加しても、当たり前と言えば当たり前なんだろうな。」と暗澹たる思いがしました。
駄目さ加減が際立った民主党政権。唯、政権運営、と言うか世論誘導が未熟だったが故に、そういった襤褸が露骨に表面化したという面も在る様に思っています。一方、自民党は良くも悪くも世論誘導が上手く、不都合な事実が出て来ると「民主党時代はどうだったのか?」等、「民主が・・・民主が・・・」を執拗に繰り返す事で、責任転嫁を図っている。
何度も書いている事ですが、「自虐史観の否定」は自分も賛成。でも、「日本は全てに於て正しく、不都合な事は事実で在っても、全て認めない。」というのは「自虐史観の否定」では無く、単なる「虚飾の全肯定」に過ぎない。「激しい言動をする人達=虚飾の全肯定を促してくれる人」という(無意識の内も含めた)充足感を持つ人が、昨今は増えているという事なのでしょうね。
ひとつの悪事ですべてが疑われ、積み上げた実績が一瞬にして水泡に帰す、まさにそんな印象です。
今回の五輪関係のごたごた、もし民主党政権だったら一気に解散総選挙モノの無責任ぶりなのに、組織委員会のお粗末に矮小化して済まそうとする自民党政権(というより安倍政権)への、何と世間の寛大な雰囲気か。
大阪市長の橋下某氏の根強い人気ぶりといい、やはり今の日本人の大半は「強いリーダーシップ=独裁者」を願望しているということなのかなあ。怖いなあ。