政府が「なでしこジャパン」への国民栄誉賞授与の方針を明らかにした事に対し、反対の声が上がっている。「支持率アップを目的に、菅政権が授与するのだろうから反対。」というのが主な理由の様だ。
前にも書いたけれど、個人的には「叙勲制度」に反対。他者の為に頑張った人を称えるのは反対じゃないけれど、「特定のポジションを務めたならば、機械的に勲章が与えられる。(「大企業の社長を一定年数務めると、機械的に勲章を授与される。」という流れが在り、勲章を貰いたいが為に社長の座に居座るという「老害」は良く見聞する。実際問題、自分が以前勤務していた企業の社長もそういうタイプの人物で、我々下っ端は“暴君”が居座り続ける事に、大いに迷惑していたもの。)」とか「勲章を得る為に根回しとして、政治家や官僚に対して利益供与を図る。」という弊害が目立ち、叙勲されて然る可き人が「無名」というだけで授与されていない様に感じるので。だから国民栄誉賞という存在も“積極的に”賛成する訳では無いけれど、「叙勲制度よりは未だ増し。」といった感じで否定はしない。
なでしこジャパンへの国民栄誉賞授与の件、菅政権が政治利用しようとしているのは確かだろう。しかし国民栄誉賞を授与したからといって、一気に支持率が上がる程迄、日本国民は愚かでは無いと信じている。逆に言えば、其の事“だけ”で支持率が大幅にアップしたならば、所詮は其の程度の国民という事だ。
個人的に言えば「国民栄誉賞の授与は、政治利用で許せない!」という理由“だけ”で反対しているのが、理解出来ない。国民栄誉賞が創設されたのは1977年の事で、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与える事に顕著な業績が在った方に対して、其の栄誉を称える事を目的とする。」というのが創設理由。受賞者第一号は王貞治選手で、此の年にホームラン世界新記録の756号を達成したのを称えてだった。だが国民栄誉賞は「王選手の偉業を称える為」という以前に、「当時の福田赳夫内閣が、支持率アップを目論んでの創設。」という色合いが濃かったと思っている。抑「政治利用在りきの制度」と言えなくも無く、以降も「時の政権が支持率アップを企図して授与」と思えるケースは多かったし。
「WBCで世界一を達成した日本代表チームや、北京オリンピックで金メダルを獲得した女子ソフトボール・チームには国民栄誉賞が授与されなかったのに、なでしこジャパンには授与するというのでは不公平。」という理由での反対ならば、此れは納得出来なくも無い。でも「何で此の人に授与されるの?」と思ってしまう事や、逆に手塚治虫氏等の様に授与されておかしくない人が“様々な思惑”から授与されなかった事等が過去に在った様に、抑「授与基準」が極めて曖昧な賞なのだから、なでしこジャパンの授与が不当とは思わない。今の政治状況ならば、国民栄誉賞を授与しなかったらしないで「何故授与しない!」という批判が出るだろうし。
純粋に「感動させてくれて在り難う!」という思いから、自分はなでしこジャパンへの国民栄誉賞授与は賛成だ。
所謂「世論」という物の胡散臭さに関しては、ビートたけし氏が面白い事を述べていました。近々、其れに付いて記事にする積りですが、「世論を一切無視する。」のもどうかと思う一方で、「世論が全て。」といった考えも違うと思っています。
記事でも触れた様に、国民栄誉賞という賞自体が「政治利用」という面を非常に色濃く反映されて創設された経緯が在り、今更「政治利用は許さない!」というのは違和感を覚えます。一般国民が其れを言うなら未だしも、散々政治利用して来た党の連中が其れを口にするのは、天に唾する行為の様な感じが。
「政権浮揚の為に、菅首相が北朝鮮を電撃訪問するのではないか?」という話が在りますね。小泉首相の遣って来た事には否定的な面が非常に多いのだけれど、彼が北朝鮮を訪問し、結果として拉致被害者の一部を奪還したのは高く評価しています。あれも「支持率が下落傾向に在った中、起死回生の為の政治利用。」とも言われているし、まともな対応を一切しない北朝鮮が一部とは言え拉致被害者を返したのは、何等かの利益供与が政府から在ったと考えるのが自然だと思っています。しかし例えそうで在ったとしても、「不当に連れ去られた自国民を取り戻すというのは、日本政府が絶対に為さなければならない事。」と考えていますので、小泉首相の行動は間違っていないというのが私見。ですからどういう思惑で在れ、拉致被害者が帰国出来る形になるの“で在れば”、菅首相の北朝鮮訪問を自分は否定しない。
こう書くと「辛光洙(シン・グァンス)問題」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%85%89%E6%B4%99)がどうこうと指摘される人も居られるでしょうが、くどい様だけれど「不当に連れ去られた自国民の帰国が叶うならば、誰がどの様な手段を講じた結果で在っても、同じ日本人として評価する。」というのが自分のスタンスです。(勿論。飽く迄も私見ですから、此れが唯一無二的に正しいなんて言いませんけれど。)
「サイレントマジョリティー」は普通に授与されればよいと思ってると思います…。
「ネット世論」がマジョリティーだったことって意外と少ないのではないかな。
中国に於ける高速鉄道脱線事故の件、「事故車両を速攻で粉砕&埋めてしまった。」とか「当局が座席名簿を一切公表しない事も在り、行方不明者数等が不明。」とかと、「普通の国家」では考えられない様な事許りが報じられ、唖然とするしか無い訳ですが、興味深いのは「一部のメディアや中国国民が、公然と当局批判をしている。」という点。一昔前ならば「事件其の物が海外に報じられなかった。」という可能性も在り、インターネットの普及によって「情報統制」が難しくなったという事なのでしょうね。
唯、「権力者による情報統制が難しくなった。」というメリットが在る一方で、「ネット上で主流になっている見解が、然も世論で在るかの様な雰囲気が作られてしまう。」というのは、インターネットのデメリットと言えるのかもしれません。
自民党だろうが民主党だろうが公明党だろうが其の他の党だろうが全く関係無く、自分達が行って来た事なのに、他者が同じ事をしたら「駄目!」というのでは説得力を持ち得ない。与党も野党も低レベルな争い許りしていて、本当に情け無くなります。