当ブログの更新が出来なかった間に報じられたニュースの中から、今日は2件を取り上げてみる。
1つは、「ザ・プレミアム・モルツ球団」の試合に関して。夏の恒例イヴェントとなった同球団の試合だが、昨年は東日本大震災が発生した事から自粛された。「節電という事で、今年も行われないのかなあ。」と懸念していたのだが、今年は開催される事に。
17回目を迎える今年は「東北地方の復興応援」をスローガンに、8月6日(月)にKスタ宮城で「サントリードリームマッチ2012in東北」として行われるのだとか。山本浩二監督率いるザ・プレミアム・モルツ球団と対戦するのは、田尾安志監督率いる「東北・ジャパン ヒーローズ」で、同チームは東北に縁の在る選手で構成されている。
ザ・プレミアム・モルツ球団の試合は此れ迄、東京ドームを舞台に開催されて来た。「東京ドーム許りでは無く、地方でも開催して欲しい。」という声は良く見聞したし、自分も「野球人気を盛り上げる意味でも、地方開催をした方が良い。」と思っていた。故に、今回のKスタ宮城での開催は、非常に良かったと思う。試合の詳細は此方に載っているので、興味が御在りな方は入場整理券プレゼントに応募されては如何だろうか。
そしてもう1つは、「歌手の尾崎紀世彦氏が5月31日、肝癌にて69歳で亡くなられた。」というニュース。先々月、女性週刊誌で「尾崎紀世彦氏が、失踪状態に在る。」と報じられ、其の後になって入院している事が明らかとなったが、癌と闘っているとは思ってもいなかった。
尾崎氏と言えば、声量の在る歌手の1人。彼が歌う「また逢う日まで」(動画)は、或る思い出も相俟って、忘れられない名曲。
もう可成り昔になるが、自分が所属していた組織が“解体”され、“仲間達”とバラバラになる事になった。解体される少し前、「サヨナラ会」が催され、其の二次会はカラオケ。問題が少なくない組織で在り、自分や仲間達も「新しい組織に移れるのは嬉しい。」なんぞと口々に言ったりしていたのだが、そうは言っても長い年月を共にして来た組織や仲間達との別れは矢張り寂しいもの。カラオケの最後に「何を歌おうか?」という話になった際、誰とも無く「『また逢う日まで』を歌おうよ。」という事になった。「また逢う日まで 逢える時まで♪」で始まる此の歌を、初めは普通に歌っていたのだが、中程から自然と皆が肩を組み、身体を揺らしての絶唱状態。歌い終えた時には涙を浮かべている者もチラホラ居たりと、非常に感動的なシーンだった。
「名曲は、人の心を大いに揺さぶる。」という現実を、まざまざと再認識させられた一件。尾崎氏逝去の報に触れ、彼の時の思い出が蘇った。合掌。
ご冥福をお祈りします
尾崎紀世彦氏御自身に関して、強く印象に残っている逸話が2つ在ります。
1つは、彼の御子息の名前。「尾崎紀世彦二世」と書いて「おざき・きよひこじゅにあ」と読ませるという話を昔、芸能ニュースで見て、「『尾崎紀世彦』という名前に、非常にプライドを持っているのだなあ。」と感じたもの。
そしてもう1つの逸話は、ビートたけし氏が語っていた思い出話。デビュー間も無い頃の尾崎氏と楽屋だかで一緒になったそうですが、当時の尾崎氏は「全く日本語の話せないハーフ」という触れ込みだった(実際には「イギリス人と日本人のハーフの父親」と「日本人の母」の間に生まれたクォーターで、日本語はペラペラだったとか。)為、尾崎氏には一言も話し掛けられなかったし、尾崎氏も部屋の片隅で黙って座っていただけだったとか。其の後になって彼が日本語ペラペラなのを知って、「騙された!」とたけし氏は思ったとか。確かに彼の濃い風貌だと、「日本語が話せない。」というのも納得出来てしまう。
同じ頃、レイモンド・ラブロックという日本で非常に人気が出たイタリアの俳優がいて、同じような髪型でイギリス系イタリア人だったためか、この人にも似ていると思った(今よく見るとあまり似ていない)。なので日本語が不自由という設定には違和感を感じていませんでした。
http://www.youtube.com/watch?v=11SIjdMN8uk&feature=related
(レイモンド・ラブロック ご存じないと思いますが、瞬間的人気は今のディカプリオやブラッド・ピットなんてものではなかった!)
「変な外人」と言えば、自分の場合はイーデス・ハンソンさんがパッと思い浮かびます。今の様に街中で外国人を見掛ける事が少なかった当時、難しい日本語のフレーズを難無く口にする彼女は、正に「変な外人」でした。