4日前の記事の冒頭で「本日から数日間、インターネットにアクセスする事が難しそうな為、此の間の新しい記事のアップ、そして頂戴した書き込みへのレス付けは無理と思われる。」と記したが、実は此の間、島根路を旅していた。遠方を旅するのは、久し振りの事。況してや「山陰地方」を訪れる事自体が初めてなので、旅の前から心が浮き立っていた。訪問先として特に楽しみにしていたのは、出雲大社と石見銀山。
出発前の天気予報では、滞在中の降水確率がずっと低くはは無かったのだが、出雲空港に降り立つとピーカン状態。結局、滞在中に雨が降ったのは本の一寸の間だけで、殆どが晴天。「晴れ男」の面目躍如といった所だが、余りにも日差しが強くて、歩いていて体力を奪われるわ、首筋が日焼けしてヒリヒリするわで、其の点では参ってしまった。
街中に貼られているポスターにて初めて知ったのだが、「日本最古の歴史書『古事記』が編纂されてから、今年で丁度1,300年を迎える。」という事で、7月21日から約4ヶ月間「神話博しまね」なるイヴェントが開催されるのだとか。人混みが大の苦手なので、「開催時に島根を訪れなくて良かった。」とホッとした次第。
【出雲大社】
「平成の大遷宮」最中に在る出雲大社。神楽殿に張られた大注連縄のサイズには圧倒されるも、全体的には期待外れな雰囲気だった。「神聖な場所」という事で言えば、永平寺や靖国神社等の方が、個人的には良かった。「神無月」ならぬ「神在月」だと、出雲大社も又違った雰囲気なのかもしれないが。
【龍源寺間歩1】
【龍源寺間歩2】
楽しみにしていたもう1つの場所「石見銀山」では、現在唯一公開されている「間歩(坑道)」の「龍源寺間歩」内を歩いた。全長が約600mで、其の内の273mが公開されている。薄暗く、ひんやりとした坑道の壁面には、江戸時代の坑夫達が手掘りした鑿跡が残っており、「良くもまあ、人力でこんなに掘り進めたものだ。事故で亡くなった坑夫も、屹度多かっただろうなあ。」と、当時の状況に思いを馳せた。
【町並み地区】
「銀山地区」から徒歩で向かった「町並み地区」は、武家屋敷や商家、寺社仏閣等、趣の在る建造物が建ち並んでいる。それだけでも心が和むのだが、(見学出来る)邸内での説明員の説明が、尚心を和ませた。石見銀山世界遺産センターもそうだが、ヴォランティアと思われる説明員の方々は、押し付けがましさの無い控え目な接し方で、此方の質問に的確且つ詳しく答えてくれたのが素晴らしい。今迄に色々な観光地を旅したが、説明員達の「質」が此れ程高い所は無かった。
【足立美術館1】
【足立美術館2】
【足立美術館3】
【松江城1】
【松江城2】
足立美術館内の広大で綺麗に整えられた庭園は、息を呑む美しさ。城が好きなので松江城も良かったし、パトリック・ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が借家していた武家屋敷内を見られたのも嬉しかった。
【尼子晴久の墓】
【出雲阿国の墓】
歴史上の人物達の墓や供養塔を見て回るのも、歴史好きの自分には至福の時間。観光客が大勢訪れる様な所では無く、やや判り難い場所にひっそりと建っていた尼子晴久の墓の前では、暫く佇んで「尼子氏の盛衰」を想像。
駆け足で廻った島根路では、明日への活力が得られた。旅は最高!
石州瓦が印象に残りました。
>大社
神社はその教義にもあるようにクリーンさを求めている為なのか意外と無味乾燥の印象が強いところが多いです。むしろ昔の神仏習合でその○○信仰の中心にあったような寺(今は天台宗の○○寺とかだが昔は○○神社○×寺などという名前だったりした所)に行くと昔のなんともいえぬ雰囲気が残っていて面白いです。
元記事には書かなかったのですが、島根を訪れて印象に残った事に、「車を運転すると、眠気に襲われ勝ちな交通環境。」というのが在りました。どういいう事かと言えば、「概して観光スポットに行く場合、延々と真っ直ぐ進むケースが多いという単調さ。」、「黄色が点滅している、即ち徐行指示の信号が非常に多く、故に信号でストップする事が少ない事で、運転しっ放し状態。」、「概して制限速度よりもスピードを出している車が多く、少しでもスピードを落とすと、後ろから迫られてしまうという緊張感。」等から、普通の状態よりも凄く疲れ易い感じだったからです。
又、町並みで言えば石州瓦も印象的でしたが、「壁に花を活ける竹筒が付いている家が多い事。」や「大黒様の顔等、凝った図柄が施された屋根瓦の家が殆ど。」というのも印象に残りました。
http://blog.serai.jp/contents/osusume/post-130.html