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「脱公共事業で村再生 子育て支援に投資、人口増」(3月3日付け東京新聞【朝刊】)
巨額な公共事業復活で、経済と国土の「強さ」を取り戻そうとしている日本。長野県下條村の伊藤喜平村長(78歳)は、其れとは異なる道で過疎の村を蘇らせた。14歳以下の人口比率は16.4%と長野県内トップ、東京23区の何の区よりも上回る。「奇跡の村」と呼ばれている。
山間を抜ける国道151号沿いに古い民家が点在し、後は畑が広がる山村。其の所々に立つ、2~4階建ての綺麗なマンション風の集合住宅が異彩を放つ。周辺では子供達の声が響く。
「今は20歳になった長女が保育園にいた頃、建ち始めましたねえ。彼の頃から運動会は賑やかだった。子供が減っている周りの村や町とは全然違う。」。村で住宅設備工事業を営む男性(44歳)は、そう話す。
嘗て養蚕で栄えた村も、戦後は衰退の一途を辿った。若者は流出し、1945年に6千人を超えていた人口は、1990年には3千9百人を切った。
建設関係の仕事をしていた伊藤さんは「人が居なくなれば、仕事の需要も無くなる。」と危機感を抱いた。村議3期を経て、1992年に村長初当選。
当時、地域活性化と言えば「公共工事で、地元に金を落とす。」事だったが、全く違う手法で改革を始めた。
村道や農道の整備や補修等、本来は村が手掛ける事業でも、工事費が2百万円以下なら一切遣らない。其の代わり、村民が自分で整備するなら、コンクリート等資材のみを提供する事にした。
「冗談じゃない。行政の仕事だろ。」。村民に不満が渦巻く。睨み合いは3ヶ月続いた。しかし、根負けした地区の住民が資材供給を申し出ると、他の地区も続いた。
又、当時、村は国等から下水道整備を勧められていた。事業費の試算は45億円弱。国、県の補助を得ても、半額は村負担だ。
「山を削って谷を埋めて迄、下水道が必要か。維持費も掛かる。」。伊藤さんは各戸毎に設置する合併処理浄化槽での下水処理を決断した。総事業費は8億7千万円。補助金等を得て、村支出は2億5千万円。下水道の1割程度で済んだ。
1990年代のバブル経済崩壊後、国は赤字国債を積み上げ乍ら、公共事業で景気浮揚を図った。其れに乗った自治体の多くは、借金塗れになった。
逆のコースを歩んだ下條村は健全財政を維持し、予算を未来に投資した。村営集合住宅を10棟整備し、家賃を市価の半額程度に抑えた。「子ども医療費」は、中学卒業迄無料に。保育料も値下げし、若い夫婦を呼び込んだ。
「行政は1円の無駄も許されない。国民は其れを感じたら、『ノー。』と言う。散蒔きじゃ駄目だ。」。村長として6期目、未来を見据える78歳は「原子力の問題は、考えれば考える程怖い。」との理由で、脱原発を目指す首長会議の一員でも在る。
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先月の記事でも書いたが、「公共事業の全てが悪。」といった「公共事業悪玉説」はどうかと思っている。傷んだインフラは、多額の血税を投じて補修すべきだとも。
唯、絶対に許せないのは「政治家や官僚、実力者等、一部の人間が私利私欲を満たさんが為だけに、無意味で無駄な公共事業を行い、其の結果として莫大な借金を積み上げる。」事。自民党政権下、様々な御為ごかしを口にしての箱物行政が推し進められ、孫子の代になっても返済出来ない程の莫大な借金が出来上がってしまった事実を、我々は忘れてはいけない。
「雀百迄踊りを忘れず」と言うが、自民党は相変わらず「公共事業をどんどん遣れば、薔薇色の未来が待っている。」という幻想、そして「甘い汁を吸いたい。」という思いから抜け出せない様だ。公共事業を増やせば、経済は上向くかもしれないけれど、結局は“一時的なカンフル剤”に過ぎないし、得られる“総利益”よりも新たに積み上がる“総借金”の方が、長い目で見れば格段に多くなるのではないだろうか?
「下條村の遣り方が、何処の自治体でも、其の儘通用する。」とは思わない。自治体其れ其れ、抱える事情が異なるから。例えば「コンクリート等の資材は提供するから、後は住民自身で道を整備しなさい。」と言われても、高齢者の割合が余りに高い地域では、住民自身が行うというのも無理だろう。でも、皆が知恵を絞れば、遣り方は違うにしても、「公共事業への依存度を低くし、そして地域活性化も図る。」というのは可能な気がする。
植木等氏が歌う「だまって俺について来い」(歌)は、好きな曲の1つ。此の曲は「銭の無い奴ぁ 俺んとこへ来い 俺も無いけど 心配するな♪」という“C調”な歌詞で始まるが、今回のニュースは「銭が無い奴ぁ 知恵を出せば良い♪」という典型かも。