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(6番の歌詞)
17. 近藤コーチの作戦に♪
近藤貞雄氏(1925年10月2日生まれ、享年80歳)
彼に関しては、先日の記事「近藤コーチの作戦に♪」で詳細を書かせて貰ったので改めて記すのは避けるが、大好きな野球人の1人だった。
18. 森下コーチのピストンサイン♪
森下整鎮氏(1933年9月4日生まれ、72歳)
選手としてホークスに在籍し、引退後は1969年~1977年に亘って、ドラゴンズで二軍コーチや一軍コーチ、二軍監督を歴任した。1974年は幼少だった為、流石にコーチがサインを出す姿迄は覚えていないが、恐らく「ピストンサイン」なるものは今のブロック・サインを極端にした様なものではなかったかと類推している。(ピストンサインという言葉を思い浮かべると、どうしても西川のりお師匠のギャグ「ツクツクホーシ、ツクツクホーシ」の動きを思い浮かべてしまうのだが。)その後、ホエールズやホークスのコーチを経て、台湾の兄弟エレファンツで副監督を務められた様だ。(現在も務めらているかどうかは不明。)
19. 井手も西田も控えてる♪
井手峻氏(1944年2月13日生まれ、61歳)
1966年第2次ドラフトの3位でドラゴンズに入団。投手として入団したものの結果を残せず、4年目に打者に転向。井手氏で思い浮かぶのは、「ナース井手」や「井手らっきょ」・・・では勿論無く、当時珍しかった(今でも珍しいが。)”東大出のプロ野球選手”という肩書き。記憶が誤っていなければ、確か東大出のプロ野球選手第2号だったと思う。1976年に現役を引退するが、正直な所、選手としては一流と言える存在ではなかった。引退後はドラゴンズのコーチ及び二軍監督を経てフロント入り。現在は取締役編成担当の職に在り、査定記事等で時折御名前を拝見する。
西田暢氏(1944年11月2日生まれ、61歳)
谷沢氏等と同じ1969年のドラフトで、3位指名を受けドラゴンズに入団。1975年に引退されているのだが、申し訳無いが全く記憶に残っていない。一握りの有名選手だけが球界を構成しているのではなく、数多のその他の選手達が球界を下支えしているという事に気付かされる。
20. 華麗な守備の正岡も♪
正岡真二氏(1949年8月15日生まれ、56歳)
1967年のドラフト4位でドラゴンズに入団。(当時の名前は”村上”真二氏。)長打力は無かったが、歌詞通りの華麗な守備で、ショートのポジションを長きに亘って守り抜いた。1984年に引退。1987年~1998年にかけては、ドラゴンズで一軍コーチ、二軍コーチ、そして二軍監督を歴任し、現在は同チームの東海・中国地区のスカウトを務められている。
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(8番の歌詞)
21. 与那嶺監督の胴上げだ♪
与那嶺要氏(1925年6月24日生まれ、80歳)
大トリを飾る与那嶺氏は御年80歳。初代「燃えよドラゴンズ!」に登場する選手達26人中、最高齢者に当たる。上記した近藤貞雄氏と同い年だ。沖縄系ハワイ移民の日系2世で在られる与那嶺氏(本名はWally Kaname Yonamine。)は、1951年にジャイアンツに途中入団する。*2ジャイアンツに在籍した10年間で、首位打者3回、MVP1回の好成績を残し、ジャイアンツ第2期黄金期の一翼を担う。1961年にドラゴンズに移籍し、2年間プレーした1962年に引退。「通算打率:.311、通算安打:1,337安打、通算本塁打:82本、通算打点:482打点、通算盗塁:163盗塁」と、走・攻・守三拍子揃った名外野手。1994年には競技者表彰として野球殿堂入りされている。引退後、1963年~1966年にドラゴンズの打撃コーチを務められたのを皮切りに、1967年~1969年はオリオンズの打撃コーチ、1970年からはドラゴンズのヘッドコーチを経て1972年に同チームの監督に就任。1977年に監督を退かれた後は、1978年~1980年にかけて古巣ジャイアンツの打撃コーチ。1981年~1982年はホークスの打撃コーチ、1983年~1984年はライオンズの打撃コーチ、そして1985年~1988年にかけてファイターズのヘッドコーチを歴任された。選手及び首脳陣として38年という長期間を、一度も現場を離れる事無く勤め上げたのは、確か日本プロ野球界では与那嶺氏だけだと記憶している。現在は球界を離れ、ハワイに暮らして居られる様で、近藤氏逝去の折には「私の人生で一番楽しかったのが、ドラゴンズ監督時代。その中でも忘れられないのが、1974年の優勝。近藤さんは、ヘッドコーチとして支えてくれた。元気な人だったから、信じられない。」というコメントを出しておられた。
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選手達の今を本格的に記事にしたのは、多分「野球を巡る人間ドラマ ~熾烈なショート争いの果てに~」以来2度目だと思うが、楽しかった野球の思い出が蘇って来て、書いていて心浮き立つものが在った。非常に自己満足な内容で申し訳無い。
*1 当時のドラゴンズ選手達の野球カードがこちらのサイトに載っている。全く以って懐かしい限りだ。
*2 王貞治氏がファンからサインを求められた際、出来得る限り応じる様にしているのには、幼少時の経験が大きく影響している。王氏は小学5年生の時に初めて後楽園球場を訪れたのだが、スター選手にサインを貰おうとするも皆無視して通り過ぎて行った中、快くサインをしてくれた人物が与那嶺氏。その時の嬉しさがずっと頭に残っており、「余程の事が無い限り、サインを拒むのは止めよう。」と決めたという。
井上、木俣、高木守道各選手は
先日江夏ノーヒットノーラン試合の再放送で見ました。
木俣凄かったんですね。
ドラゴンズ一筋で引退した主力級のキャッチャーが
私がリアルで見ている期間は見当たらないので
「捕手に冷たい球団だな・・・」
と最近思ったりしていたところなのですが。
星野氏の影響はあるのかもですね。
高木守道氏の野球殿堂入りは
往年のファンには嬉しかったのではないでしょうか。
でも、そういう愛情がチームを育てるのでしょうね。
ありがたい限りの内容です。
ところで、三沢淳ですが現在保守新党が
なくなってしまったので支部会長そのものも
辞めてしまっているのではないでしょうか?
地元テレビ局テレビ愛知の対談番組の司会を
したりしているようです。
今から、ビデオを探しにいこうかなぁ、もちろん、優勝した時のです。
SYUUさんのとこでも、見ましたが改めて放送したものは、フィルムであろうが、ビデオであろうがましては、子供向けであろうが、ちゃんとチキンと保存しておいてほしいものですな。
特に、税金で運営してるというのに・・。
ああ、なんてことでしょう(笑)
思い出しただけでも悔やみきれないのが、八・・・。
日々日に、募ります。
大島は投手入団だったのですね。
あと、コーチまで歌詞になっているのは知らなかったです。
山田さんも投手コーチ勤められた時は入っていたのでしょうか。
プロ野球ネタ、特に昔のプロ野球ネタを書いていると、ついつい思い入れが深くなってしまって、長文になってしまうのが悪い所です。
今回の記事を書く上で非常に気を遣ったのが、選手達の過去も然る事ながら、”今”の部分でした。御存命で在るかどうかもそうですが、誤った情報を書いてしまうと御迷惑がかかってしまうという思いが小心者の自分には在りました(笑)。
三沢氏の今に付いても、実は頭を悩ました所なんです。御指摘の様に、保守新党(http://964.jp/Z3yY)が解党されていたのは存じ上げていたのですが、三沢氏のサイトでは未だに「保守新党衆議院愛知第六区総支部会長」なる肩書きが表示されており、「もしかしたら、城を落とされ主を失った落ち武者が、御家再興を企図して○○家家臣を名乗っているのと同様に、未だにこの肩書きを使われているのかも。」と妄想したりもしました(^o^;;;。そして、恐らく落選したままの状態に在るとも思ったのですが、万が一違っていたらまずいなとも思いましたので、無難な選択としてあの書き方をしたのですが、良く良く考えてみれば「保守新党”衆議院”」となっているので在り得ない現在の肩書きなんですよね。早速、記事を訂正させて戴きますね。情報有難うございました。
ワタシにとって、野球ファンの原点とも言えるこの歌。
PCの前でシミジミしたり思わず微笑んだり。
郷愁の念に浸っております。
今、ドラゴンズに対する思いは『可愛さ余って憎さ百倍』状態。
ですが、この記事を読んでいてそんなキモチが少しずつ薄らいできたんです。
つい買いそびれてしまった【中日ドラゴンズ70年―昇竜の軌跡】を
どうしても手に入れたくなり、今日は書店を東奔西走しておりました。
なんか大げさな話になってしまいましたが。
この記事をキッカケにして、今一度、ドラゴンズに対する思いを
自分の中で整理してみたいと思います。
余談ですが。
藤波氏は東海ラジオで解説なさってます。
2~3年ほど前、地元のイベントにいらしてまして。
質疑応答コーナーでムスメに、川崎投手について質問させましたら
「彼の肩はもう支えない」とおっしゃってましたっけ。
ハイ、記念にサイン色紙をいただきました
1票を投じさせて戴きました。
部門別で1位になると良いですね!
ハリハリ仮面は当時ロッテの人気商品だったような・・・
で、チームもドラを破って日本一に輝いた時期と一致してたのでは・・・(記憶が曖昧ですみません。)
ブログ読みましたよ、流石よくココ迄調べたなぁと感心しました。
giants-55さんは記憶力もスゴイのですね!!
『初代・燃えドラ』は、板東英二氏が歌っていた曲♪
懐かしいです。
しかし、中日球団は面倒見が良いですね。
かつての選手が、フロントや裏方として数多く存在しているのはマニアなファンの知るところですよね!! ̄O ̄)ノ
お見事です。
「ウチの記事からインスパイヤ」ということをお聞きして誠にうれしい限りです。
お礼が遅くなりましてすみません。
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