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「声は凶器? パチンコ店員怒鳴り、失神させた疑いで逮捕」 (1月5日付け、asahi.com)
パチンコ店の店員を怒鳴りつけて意識を失わせ、1週間療養させた。これが「傷害」に当たるとして、鹿児島県鹿屋市の客の男(33歳)が5日、県警に逮捕された。
昨年9月4日夜、市内の店で「玉が出ない。」とパチンコ台を叩いた所、男性店員(33歳)に注意されて逆上。玉を投げ付け、「外に出ろ!」と声を荒らげた。
店員は驚いたのか、その場で失神。外傷も持病も無く「一過性の意識消失」と診断された。怒鳴り声が「凶器」とされた男は、取り調べには静かに応じているという。
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例の”引越しおばさん”の騒音も凶器と言えたが、この男の声も相当なものだったのだろう。外傷も持病も無いという大の大人を、声で失神させてしまうというのは相当なもの。一層の事「相変わらず他人のプライヴァシーを、偉そうに切り売りしている下品な歌手」も、声のデカさを理由に逮捕して貰えないものか。
「声は凶器? パチンコ店員怒鳴り、失神させた疑いで逮捕」 (1月5日付け、asahi.com)
パチンコ店の店員を怒鳴りつけて意識を失わせ、1週間療養させた。これが「傷害」に当たるとして、鹿児島県鹿屋市の客の男(33歳)が5日、県警に逮捕された。
昨年9月4日夜、市内の店で「玉が出ない。」とパチンコ台を叩いた所、男性店員(33歳)に注意されて逆上。玉を投げ付け、「外に出ろ!」と声を荒らげた。
店員は驚いたのか、その場で失神。外傷も持病も無く「一過性の意識消失」と診断された。怒鳴り声が「凶器」とされた男は、取り調べには静かに応じているという。
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例の”引越しおばさん”の騒音も凶器と言えたが、この男の声も相当なものだったのだろう。外傷も持病も無いという大の大人を、声で失神させてしまうというのは相当なもの。一層の事「相変わらず他人のプライヴァシーを、偉そうに切り売りしている下品な歌手」も、声のデカさを理由に逮捕して貰えないものか。
大分で警官の服を盗んで北海道で捨てた兄ちゃんぐらいのインパクトありました。年末年始は政界・経済界・役所が休みだからか3面記事が賑わいますよね。
確かに大声は困りもので新年に実家で母親・妹・妹の子・従姉妹・その子供の大声に頭が痛くなり逃げようとしても大声で追っかけてくる。苦しい年始でした。
怒鳴られてばかりの老父、妹の夫、従姉妹の夫たちにただただ同情するばかりでした。
ところで聴覚への刺激ってホント不快ですよね。ずっと耳をふさいでるわけにもいかず、音ってのは否が応でも耳に入って来ますから防御しづらいものです。暴走族や改造車等、意図的に騒音を出すヤツらはマジで即射殺してほしいし、ブレーキに油ささずに自転車をキーキー言わせてるヤツも刑務所に入れろと思ってしまいます。
あとマヌケさんもおっしゃってますが、車のクラクションもなんとかしてもらいたいですね。あれくらいの音量でないと運転者に伝わらないのはわかりますが、関係ない歩行者にとってはいきなり驚かせられる不快音以外の何者でもありません。で、日頃から思うのは、クラクションって警告の意味以外に、ちょっとした合図で鳴らすことも多いですよね。後者の場合は何か別の心地よい音を鳴らせるようにできないですかね。どの車にも最初からハザードの隣あたりにボタンを設けて、別の音色を出せるようにするくらいたやすいことだと思うんですけど。(そういうのが既にあったなら無知ですいません)
年明け早々に都内では、男子高校生(16歳)による通り魔事件が発生しました。死者が出なかったのは幸いなのですが、同少年は「誰でも良いから殺したかった。」との供述をしているそうで全く許せない話です。
こういった嫌な事件も在りましたが、概して年末年始はマッタリとしたニュースが多かったですね。「苦しい年始を送られた」とSpa supernova様は仰いますが、世の中には孤独に生きざるを得ない者も居る訳で、そういう人達に比べれば幸せなのかもしれませんよ。
ホラー映画は苦手なので余り観る機会が無いのですが、アクション物の映画等では唐突に爆発シーンが在ったりして、その音が余りにも凄いので心臓がドキッとさせられる事がまま在ります。根が小心者なのでそれらしいシーンが近付くと、ネタでは無く本当に耳に指で栓をして観ますし。最近の映画って、昔に比べて大音響を使い過ぎの様に感じます。
五感の中でも「見る、聞く、嗅ぐ」、即ち「視覚、聴覚、嗅覚」に関しては不快な事柄を、自身で回避するのはなかなか難しいもの。他者が不快に思わなくても、別の人間にとっては極めて不快というケースも在り、満員電車の中での甘ったるい整髪料の匂いなんていうのも自分にとっては不快極まりない代物です(笑)。
以前にも書いた事ですが、運転する様になる前とその後では、物の見方が大分変わる様に感じます。「運転者の視点」と「歩行者の視点」の違い。運転する様になる前は「運転する人間は、歩行者一人一人をしっかり見ているもの。」と思っていたのですが、いざ運転者の立場になると歩行者の時に思っていた程は歩行者”個々”に目が行かないもの。歩行者の時にはクラクションが非常に不快に感じていたのですが、いざ運転者になってみると意外に安直にクラクションを使っていたりするのですから、これも立場の違いなのかもしれません。
「一寸した合図で鳴らす場合には、音色を変える」というのは面白い発想ですね。心地良い音色で在れば、精神を擦り減らす事の多い御時世に在っては、心のオアシスとなるかも。