野茂投手が日米通算200勝を達成した。”打高投低”が目立つ近年の野球界に於いて、200勝を達成するだけでも並大抵の事ではないのに、メジャーで積み上げた勝利数の方が多い(日本78勝、メジャー122勝)というのだから脱帽である。心より祝福の意を表したい。
イチロー選手や松井(秀)選手等が凄い選手で在る事は言う迄もないが、野茂投手の存在を前にしてしまうと、未だ未だという感じがしてしまう。正確に言えばマッシー村上氏という先人は居るものの、実質的には野茂投手がメジャーで活躍した日本人選手のパイオニアと言っても良いだろう。日本球界では素晴らしい実績を残した彼だが、メジャー挑戦に当たっては不安は当然在ったと思う。今程メジャーの情報は伝わって来なかったし、伝わって来る情報もメジャーの凄さを思い知らされるものばかり。日本球界で確固たる地位を確立していた選手が、新人さながらの不安定な立場を敢えて選択するのは、余りにもリスキーとしか思えない時代だった。にも拘らず、彼は夢を追ったのだ。
本当に意志強固な男だ。思い起こせば、今は無き近鉄バファローズに彼が入団した頃から、その片鱗は見せていた。トルネード投法と呼ばれる独特なフォーム。ダイナミックでは在るが、それ迄にはなかった”異端”なフォームに、多くの評論家は「あのままの投球フォームでは、早晩に腰や膝に故障を来たすだろう。プロでは通用しない。」とフォーム変更を口にしていたし、ファンの中にもそう思う人間は少なくなかったと思う。だが、彼は入団の条件として「自分の投球フォームをいじらない。」という事を正面切って球団に申し入れた。新人で在りながら自分の意志を貫き通す彼に、プロ意識の高さを感じさせられたものだった。
「AERA(6月13日号)」に「男は黙って野茂英雄」という記事が載っている。日米通算200勝を目前にしても、自らの寡黙で不器用とも思えるスタイルを崩さない野茂という男に付いて触れている。
事の良し悪しは別にして、家族の存在を前面に出す(又は、家族が前面に出るのを許す)選手は少なくない。記録を達成した際に、ファンやチームと共に自らの家族に対して感謝の念を表す選手。又、口数の少ない本人に代わって夫人が喋り捲る落合監督夫人等のケースも在る。野茂投手の場合は、全く逆に家族の存在を前面に出す事は無い。ストイックな迄に寡黙さを守り、家族に付いて自ら語る事は無い。其処には孤高を持する男の姿が在る。
彼がマウンドで厳守している事が2つ在るという。一つはどんな時でも攻めのピッチングをする事。そしてもう一つは、マウンド上で決して表情を変えない事。後者の戒めには、次の様な逸話が背景に在るのだそうだ。
野茂投手が社会人野球チームの新日鉄堺に入部し、その1年目に迎えた大阪・和歌山地区の第3代表決定戦。彼は駄目押しホームランを喫し、チームは都市対抗への出場を逃した。試合後の彼は、人目を憚らず号泣したという。当時、新日鉄堺の先輩でエースでも在った清水信英氏は「余程責任を感じたんでしょうね。当時は会社に顔向け出来ない空気でした。」と振り返る。泣きじゃくる野茂投手を見るに見かねた清水氏は、宿舎で二人きりになった時に諭したという。
「打たれても、味方がエラーしてもクサるな。味方やベンチはエースの表情を見ている。どうしたら信頼を得られるか、それを考えて常に前を向いて堂々と投げろ。」
このエースの美学を、野茂投手は今も貫いている。
スポーツジャーナリストの二宮清純氏は、野茂投手の成功のキーワードは「自己再生」に在るとする。「並みの投手なら、衰えて来ると変化球を覚えて目先をかわそうとするのに、彼は自分の生命線であるストレートとフォークをもう一度磨こうと原点に立ち戻る。その為に地道な努力を続けて、階段を一歩一歩上っていける精神面が、彼の強さなんでしょう。」
最近の貴乃花親方の様にマスメディアに出まくって、自らの口で語るのも一つのスタイルでは在る。でも、二宮氏が記事で述べている様に、「マウンド上のパフォーマンスが自分の表現の全て」といった感じの野茂投手の美学も又一つのスタイル。「男は黙って野茂英雄」という生き方に、自分は魅力を感じてしまう。
何はともあれ、200勝達成おめでとう!
イチロー選手や松井(秀)選手等が凄い選手で在る事は言う迄もないが、野茂投手の存在を前にしてしまうと、未だ未だという感じがしてしまう。正確に言えばマッシー村上氏という先人は居るものの、実質的には野茂投手がメジャーで活躍した日本人選手のパイオニアと言っても良いだろう。日本球界では素晴らしい実績を残した彼だが、メジャー挑戦に当たっては不安は当然在ったと思う。今程メジャーの情報は伝わって来なかったし、伝わって来る情報もメジャーの凄さを思い知らされるものばかり。日本球界で確固たる地位を確立していた選手が、新人さながらの不安定な立場を敢えて選択するのは、余りにもリスキーとしか思えない時代だった。にも拘らず、彼は夢を追ったのだ。
本当に意志強固な男だ。思い起こせば、今は無き近鉄バファローズに彼が入団した頃から、その片鱗は見せていた。トルネード投法と呼ばれる独特なフォーム。ダイナミックでは在るが、それ迄にはなかった”異端”なフォームに、多くの評論家は「あのままの投球フォームでは、早晩に腰や膝に故障を来たすだろう。プロでは通用しない。」とフォーム変更を口にしていたし、ファンの中にもそう思う人間は少なくなかったと思う。だが、彼は入団の条件として「自分の投球フォームをいじらない。」という事を正面切って球団に申し入れた。新人で在りながら自分の意志を貫き通す彼に、プロ意識の高さを感じさせられたものだった。
「AERA(6月13日号)」に「男は黙って野茂英雄」という記事が載っている。日米通算200勝を目前にしても、自らの寡黙で不器用とも思えるスタイルを崩さない野茂という男に付いて触れている。
事の良し悪しは別にして、家族の存在を前面に出す(又は、家族が前面に出るのを許す)選手は少なくない。記録を達成した際に、ファンやチームと共に自らの家族に対して感謝の念を表す選手。又、口数の少ない本人に代わって夫人が喋り捲る落合監督夫人等のケースも在る。野茂投手の場合は、全く逆に家族の存在を前面に出す事は無い。ストイックな迄に寡黙さを守り、家族に付いて自ら語る事は無い。其処には孤高を持する男の姿が在る。
彼がマウンドで厳守している事が2つ在るという。一つはどんな時でも攻めのピッチングをする事。そしてもう一つは、マウンド上で決して表情を変えない事。後者の戒めには、次の様な逸話が背景に在るのだそうだ。
野茂投手が社会人野球チームの新日鉄堺に入部し、その1年目に迎えた大阪・和歌山地区の第3代表決定戦。彼は駄目押しホームランを喫し、チームは都市対抗への出場を逃した。試合後の彼は、人目を憚らず号泣したという。当時、新日鉄堺の先輩でエースでも在った清水信英氏は「余程責任を感じたんでしょうね。当時は会社に顔向け出来ない空気でした。」と振り返る。泣きじゃくる野茂投手を見るに見かねた清水氏は、宿舎で二人きりになった時に諭したという。
「打たれても、味方がエラーしてもクサるな。味方やベンチはエースの表情を見ている。どうしたら信頼を得られるか、それを考えて常に前を向いて堂々と投げろ。」
このエースの美学を、野茂投手は今も貫いている。
スポーツジャーナリストの二宮清純氏は、野茂投手の成功のキーワードは「自己再生」に在るとする。「並みの投手なら、衰えて来ると変化球を覚えて目先をかわそうとするのに、彼は自分の生命線であるストレートとフォークをもう一度磨こうと原点に立ち戻る。その為に地道な努力を続けて、階段を一歩一歩上っていける精神面が、彼の強さなんでしょう。」
最近の貴乃花親方の様にマスメディアに出まくって、自らの口で語るのも一つのスタイルでは在る。でも、二宮氏が記事で述べている様に、「マウンド上のパフォーマンスが自分の表現の全て」といった感じの野茂投手の美学も又一つのスタイル。「男は黙って野茂英雄」という生き方に、自分は魅力を感じてしまう。
何はともあれ、200勝達成おめでとう!
あ、ウチのブログの「お気に入り」に登録させていただきました。夕方、ブログを見たら登録されてました。
これからもよろしくお願いします。
野茂の200勝は、ほんとうに価値のある200勝でしたね。私も本日のmy blogで、ささやかながらその偉業を賞讃しました。先駆者としての側面ももちろん偉大ですが、私はずっと以前から野茂の生き方・男としてのあり方に惹かれています。
私は女ですから、どうしても「男の価値」を成熟度で見てしまうきらいがありますが、野茂に惹かれる大きな理由は、彼が父親との葛藤を抱えた人である点です。かつてあるスポーツ紙で、100勝達成の時の野茂の父親のコメントを見たのですが、「アメリカに行ってから、一度も連絡がない」と言っていました。
義絶に近いこの親子関係は、なにが本当の原因であるのか詳しくはわかりませんが、野茂が父親をたちはだかる壁としてとらえ、それを拒絶して乗り越えていった息子であることはまちがいないと思います。
今、スポーツの世界では、異性の親子関係なら宮里、横峯を代表に、同性であってもイチローのように二人三脚の良好な関係が多いと思います。父親をよき理解者・伴走者として位置づけた人間関係は、それなりに望ましいものかもしれませんが、私はやはり、野茂のような人間の根幹の、骨肉の感情や葛藤を凌いできた強靭さに、魅力を感じずにはいられません。
次は大リーグでの150勝を目指して、息長く活躍してほしいと思っています。
近鉄のエースだった彼がメジャーへ行き、イチロー選手がメジャーに渡ってから歳月が過ぎ去り随分過去になりました。
今や日本人メジャーリーガーは多く誕生しましたが、”パイオニア”の存在を忘れてはいけないません。
野茂とイチロー。野茂投手が切り開いた道を舗装したのがイチロー選手というところでしょうか。
その二人が所属した「近鉄」と「ブルーウェーブ」。今はもうありませんね。私は野茂投手については大リーグに渡ってからの活躍が強烈なのですが、イチロー選手に関しては95年のシーズンが印象深いです。
イチロー選手、というよりは「ブルーウェーブ」に対してですね。
仰木監督(個人的にはけっして好きではありませんが)が胴上げされたことはよりも”合言葉”の方を鮮明に覚えています。
他球団のファンながらいたく感動しました。
野茂選手やイチロー選手が活躍したのも日本にプロ野球があったからでしょう。
ですから私は日本のプロ野球に衰退して欲しくありません。
個人的希望としては「チームの増加」と「レベルのさらなる向上」を両立して欲しいですけど、難しいですね。
先日の新聞に地方都市は今Jリーグ2部のチームを誕生させることに熱心なそうです。簡単ではないが”不可能”ではない夢ということでしょうか。
プロ野球に新規参入するよりは遥かにハードルが低いですし。
どうも地方自治体は野球よりもサッカーに熱視線を送っているようです。
とある新聞に「野球は国民的スポーツ」とありましたけれど。その座が大きく揺らいでいるように私には思えてなりません。
子どもたちが将来の夢に「野球選手」と多く答えてくれているうちはまだ大丈夫だと思っていますが‥‥
せっかく「道」が出来たのに誰も通らなくなるのは……寂しすぎます。
「より高いレベルの場所で自分を試してみたい。」という気持ちが野茂投手に在った事は確かでしょう。唯、彼が日本球界を離れた時期に、近鉄バファローズの監督が鈴木啓示氏でなかったならば・・・。彼のメジャー挑戦は在ったのだろうかと、ifの世界を彷徨ってしまいます。
野茂投手、石井浩郎選手、吉井理人投手、阿波野秀幸
投手・・・。多くの主力選手が近鉄バファローズを離れて行きました。離れて行ったと言うよりも、「石持て追われる」様に放り出されたと言った方が適切かもしれません。我がジャイアンツも選手を大事にしないチームでですが、近鉄バファローズというチームもファンの意向を無視する事が多かったチームではなかったかと。豪快さを感じさせるチームカラーは好きでしたが、その裏に在ったこの”陰”の部分が、チーム崩壊への拍車を掛けてしまった気もします。
ここ2日程、一寸考えていた事が在ります。issie様が書き込んで下さった情報(http://964.jp/Z2iT)で初めて知ったのですが、ナベツネが新たな合併を画策しているという噂が在るのだとか。昨年の合併に関しては、”個人的には”「致し方ないのかなあ。」という思いが正直在りましたが、今回の話は一寸色合いが違う気がして、納得出来ない部分が在ります。あくまでも噂の段階なので迷っていたのですが、近々、自分なりの考えを纏めてみたいと思っています。
野茂はすごいですね。トルネードを貫き、近鉄球団と合わなくなるとメジャーに挑戦する。それも大ブーイングの中を。
「無謀」と言ったこと自体は常識的判断だと思うんです。自分の家族がメジャーに挑戦すると言ったら、誰だって反対するでしょう。
メジャーでの快進撃が始まると手のひら返したコミッショナーとそれに呆れた野茂。両者の距離がそのまま人間性の差という気もします。しかし成功を実現した野茂の精神力はすごい。。
http://www.ninomiyasports.com/xoops/modules/news/article.php?storyid=3716
メジャーに行くときも解説者からは通用しない!ような話もあったと聞きましたが、そこは見事に活躍してくれましたね。
仰木監督ももっと上の数字を目指してみたいなことを言ってましたが、是非250も目指してできるだけ長く野球を続けてもらいたいです