「関口宏・保坂正康のもう一度!近現代史 戦争の時代へ」を読んだ。歴史、特に近現代史が好きな自分なので、頭の整理を含めて、非常に面白い内容だった。
特に印象に残ったのは、「爵位を持たない日本初の首相で、『平民宰相』と呼ばれた原敬元首相が暗殺された。」事を扱った項目。“清廉な人物”として大衆から人気が高かった彼が、東京駅で1人の男に刺されたのは1921年11月4日の事。心臓を刺され、即死状態だったと言う。享年65。
原元首相を刺したのは、大塚駅の転轍手・中岡良一(当時18歳)。彼を暗殺に走らせた動機は今も不明だが、「中岡の上役だった大塚駅の助役が可成り右翼的な思想の持ち主で、常日頃から中岡に対し『原という首相は自分の事しか考えていない、とんでもない人物で在る。』とか、『国民の事なんか、少しも考えていない。』といった事を再三吹き込んでいた。」と言われている。なので、中岡の「斬奸状」には「原敬は自分の利益になる事だけを追い求めて、日本人のモラルを崩し、政治を悪くしている。」といった事が書かれていたそうだ。
でも、上記した様に、原元首相は清廉な人物として知られており、中岡の主張は全く荒唐無稽と言える。「大衆人気の高さをやっかみ、原元首相の存在を疎んでいた政界関係者。」か、又は「軍事予算を抑え様としていた原元首相を好ましく思っていなかった軍部の人間。」が、原元首相の暗殺に関与していた可能性が高そう。
個人的には、「暗殺に関与していたのは軍部。」と考えている。と言うのも、本の中でも書かれている様に、「『原敬暗殺事件』の犯人として捕まった中岡は、無期懲役の判決を受けたものの、“3回の恩赦”によって、事件発生から13年後の1934年に出獄し、満州国軍の第4軍管区に匿われていた。」という話が在るので。判り易く言えば、“満州国の日本の軍隊”に入ったという事で、普通の受刑者ならば在り得ない事。「3度も恩赦を受け、無期懲役なのに13年間で出獄出来た。」事も考え合わせると、「中岡は、軍部の為に働いてくれた功労者。」と軍部が考えていた事を感じさせるのだ。
「原敬暗殺事件」以降に発生した「五・一五事件」や「二・二六事件」等々、事件に関わった軍部の人間達(乃至は軍部から好ましく思われた人達)の中には、刑自体が軽かったり、後に恩赦で出獄している者が少なく無い。「軍部に阿る世相」というのが、当時の世の中には間違い無く在ったのだろう。
雑誌「日録20世紀」、刊行されてからもうそんなに経つんですね。何冊か読んだ記憶が在ります。
古今東西の歴史を顧みると、独裁国家が成立して行く過程って、略同じ感じですよね。「世情が不安定になる。→仮想敵を作り上げ、其れを叩く事で支持を集めて行く“集団”が現れる。→次々と、国民を縛る法律が制定される。→其の集団にとって不都合な存在が、どんどん排除されて行く。→気付いてみれば、言動を封じられた社会が出来上がっている。」という感じ。
そういう社会が出来上がらない為にも、国民は権力を厳しくチェックしなければならないのに、概して「そんな事は在り得ない。」といった無根拠な無関心さが、独裁国家成立への後押しをして来た。今の日本にも、似た雰囲気を感じます。
20年前に買ったまま積読状態だった「日録 20世紀」を今になって読み始め、1936年まで読了したところです。
二・二六事件が起こり、軍内部の統制派が実権を握ったことで、軍部独裁が加速したころですが、その始まりは原敬総理暗殺事件だったのかもしれませんね。