ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

人生色々、殿様も色々

2005年02月20日 | 歴史関連
ビジュアル版 最後の藩主 四七都道府県の幕末維新」(監修:八幡和郎、発行所:光文社)という本を図書館で借りて読んでいる最中なのだが、これが実に面白い。幕末に存在した江戸300の藩主、つまり殿様の顔写真(一部肖像画)と人間像が描かれている。勿論、激動の幕末という事もあって、時の権力主体である江戸幕府に対して、どの様なスタンスで臨んだのかも記されている。「佐幕」的なスタンスもあれば、「勤皇」的なスタンスも在り、中には日和見主義とも思えるものも。藩主の意向と藩(家臣達)としての意向とが、必ずしも合致しないケースも在ったりで、様々な人間模様を感じ取れ、実に興味深い。

そもそも、全国に300もの殿様が存在しているとは思ってもいなかった。例えば、九州全域を毛利氏が治めているといった感じで、大ブロック(最小でも、今の都道府県単位)を一人の殿様が治めているというイメージを持っていた。でも、実際には(今の)都道府県一つの中に数藩が存在していたというのは、意外な事実だった。(自分が、不勉強なだけなのだろうが(^o^;;;。)

江戸時代の総石高は訳3,000万石という事なのだが、日本最大の石高を有していたのは勿論400万石の江戸藩、つまり徳川幕府。徳川幕府が、日本の中央政府であると同時に、一つの藩という顔も持っていた事になる。300の藩主がこういった大藩主ばかりではないのは当然で、1万石に過ぎない陣屋大名とも呼ばれた小藩主も多く存在している。

一般的に殿様と言えば、絶対君主としてやりたい放題出来た独裁者というイメージが在ると思うが、家臣から裏切られ隠居させられたり、密かに謀殺されたケースも多々在り、「殿様は~気楽な稼業ときたもんだ♪」という訳でもなかった様だ。

江戸時代の大名家の50%以上が愛知県出身だった。といったトリビア好きの心を揺さぶるネタも満載であるし、「殿様ってガッツ石松バーブ佐竹(古過ぎか(^o^;;;?)みたいなごっつい顔ばっかりだと思ってたけど、中津藩の殿様(奥平昌邁[おくだいら まさゆき])みたいな今風の顔も居たんだ!」といったイケメン好きのおねえちゃんをも唸らせる(?)要素も在ったりと面白い本だと思う。勿論、歴史好き、特に自分の様に幕末史好きには御奨めの一冊。

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5 コメント

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トラバありがとうございました。 (流石奇屋ヒット)
2005-02-20 21:50:16
はじめまして。

トラックバックありがとうございました。

トラックバック返しをさせていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。
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Unknown (やま)
2005-02-21 22:12:26
勘違いしてる人も多いですが、江戸幕府というのは全国津々浦々を支配していたわけではなく、天領と呼ばれる直轄地のみに権が及ぶのです。~~の改革とかも天領のみに適用される、超地方分権社会なのです。超強力な国連と加盟国みたいなイメージでしょうか。



ちなみに、鎌倉幕府成立後も各地に神奈川出身の武士が配置されました。
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これいいですね (risa-ferunandesu)
2005-02-22 12:10:45
うちの子が大河のおかげで歴史好きになり(それだけでも三谷氏に感謝)幕末の事を色々質問されて困っていたんです。

特に藩主の役割がどうだったかがサッパリで(^0^;)

うちの図書館にあれば借りてみます(買いなさい!)。
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そうですね (西岡勝綱)
2005-03-16 02:08:36
はじめまして。歴史って深く知れば知るほど楽しいものですね。
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>西岡勝綱様 (giants-55)
2005-03-16 04:05:24
書き込み有難うございました。



基本的に、書き込みして下さった方のブログへ、直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、貴ブログが見当たりませんでしたので、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。



そうなんですよね。歴史って本当に奥が深くて、探究しても底が見えないという感じです。でも、その底の無さ加減が又魅力なんです。学問全てに言える事なのかもしれませんが。



これからも宜しく御願い致します。
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