同じ話題に関して、二日続けて記事にするのは初めてになる。決して楽しい話ではないので、正直乗り気ではないのだが、注目度の高い話の様なので今日も取り上げる事とした。
女性タレントの万引発言が、日を追う毎に非難が強まっている。彼女に対する非難も半端ではないが、問題発言を平然と”垂れ流し”てしまった放送局のコモンセンス&モラルの欠落もかなり非難の対象となっている。両者に対して、ここ迄非難が集中するのは自分も当然だと思う。
昨日の記事の中では、マスメディアの姿勢に付いて批判した。視聴率至上主義が過激化し、モラルもへったくれも無く、公共の電波を使って放送するに不適格と思える”問題人間”をガンガン取り上げたり、刺激的&扇情的なエログロとも思えるシーンを多用したりと、放送局としての本分を問い直したくなる情けなさ。今回の一件も、放送局の余りにも非常識な姿勢は激しく非難されて然る可きだろう。猛省を促したい。*1
今回問題発言を成した女性タレントに付いて、昨日の記事では名前の明示を避けた。その理由としては、問題発言を成した彼女よりも、それを平然と垂れ流した放送局の方により強い憤りを覚えた事も在る。だが、一番の理由は、面白おかしく彼女の名前を晒し上げて集団攻撃する”祭り”の雰囲気に抵抗感を覚えたからだ。
唯、勘違いして欲しくないのは、彼女の名前を明示して非難している事がいけないと思っている訳ではない事。面白おかしく集団攻撃するスタイルが、自分は受け容れられないというだけである。明らかに犯罪行為である事を、笑いながら発言する彼女に、自分も嫌悪感を覚えている。この事で彼女がバッシングに遭い、最悪のケース芸能界から去る事になっても、それはそれで自業自得だとも思っている。未成年とはいえ、芸能界という世界で一人の社会人として金を稼いでいる以上は、自身の言動に責任を負うべき。ましてや、全く知られていないという存在ではないのだから、その影響力を考えずに言動を成したのだとしたら、社会人としてどれだけ恥ずかしい事なのかを知るべきだろう。
自分の好きな作家の一人である東野圭吾氏の作品に「さまよう刃」というのが在る。「裁く権利は誰に在るのか?」という惹句が付けられたこの作品は、レイプ犯罪を繰り返していた少年達に、最愛の一人娘を殺された父親が復讐に走る姿を描いている。その中に、次の様な文章が載っている。
「少年法は被害者の為に在る訳でも、犯罪防止の為に在る訳でも無い。少年は過ちを犯すという前提の下、そんな彼等を救済する為に存在するのだ。其処には被害者の悲しみや悔しさは反映されておらず、実状を無視した、絵空事の道徳観だけが在る。」
自分もその通りだと思う。法治国家である以上、具体的な”線引き”に拠って厳格に且つ粛粛と裁かれなければいけないという理屈は判ってはいるが、とは言え昨今の動機もなく、身勝手な思いだけで成された冷酷無比な少年による凶悪犯罪の多発を目にすると、少年&少女だからという括りだけで罪が著しく軽減化され、過剰に人権擁護される現状に疑問を持たざるを得ない。子供だから許されるというものではないと思う。
そして、今回の彼女に対しては逆に、「子供じゃないんだからもっと考えて言動しろよ!」と言いたくなる。罪を犯した過去は消せない。だが、反省は出来る。楽しげに万引で店が潰れた事を語る彼女の脳裏に、潰れた店の者達の存在は在っただろうか?もし少しでも在ったならば、あの様な発言は出来なかったと思うのだ。
*1 今後のマスメディアの姿勢が問われるだろう。今回の女性タレントが所属する事務所には、”御意見番”を気取る勘違い女性歌手が居る。自分と同格以下で且つ意に沿わない人間は徹底的に叩くが、自分に擦り寄って来る人間に関しては、問題を起こしても過度に擁護するというのが、この女性歌手のこれ迄の傾向。同じ事務所で尚且つ自分の番組に起用して可愛がっていたと思える今回の女性タレントに対し、どの様な発言をするか注目している。
恐らく、批判はすれども「自分も昔は悪い事一杯してたし、余り叩き過ぎるのも可哀相だよ。」といった身内意識モロ出しのコメントを発するのではないかと思っている。もしもこの様な発言をしし、それを平然とマスメディアが垂れ流したとしたら、日本のマスメディアは心底腐り切ってしまったと言わざるを得ない。
女性タレントの万引発言が、日を追う毎に非難が強まっている。彼女に対する非難も半端ではないが、問題発言を平然と”垂れ流し”てしまった放送局のコモンセンス&モラルの欠落もかなり非難の対象となっている。両者に対して、ここ迄非難が集中するのは自分も当然だと思う。
昨日の記事の中では、マスメディアの姿勢に付いて批判した。視聴率至上主義が過激化し、モラルもへったくれも無く、公共の電波を使って放送するに不適格と思える”問題人間”をガンガン取り上げたり、刺激的&扇情的なエログロとも思えるシーンを多用したりと、放送局としての本分を問い直したくなる情けなさ。今回の一件も、放送局の余りにも非常識な姿勢は激しく非難されて然る可きだろう。猛省を促したい。*1
今回問題発言を成した女性タレントに付いて、昨日の記事では名前の明示を避けた。その理由としては、問題発言を成した彼女よりも、それを平然と垂れ流した放送局の方により強い憤りを覚えた事も在る。だが、一番の理由は、面白おかしく彼女の名前を晒し上げて集団攻撃する”祭り”の雰囲気に抵抗感を覚えたからだ。
唯、勘違いして欲しくないのは、彼女の名前を明示して非難している事がいけないと思っている訳ではない事。面白おかしく集団攻撃するスタイルが、自分は受け容れられないというだけである。明らかに犯罪行為である事を、笑いながら発言する彼女に、自分も嫌悪感を覚えている。この事で彼女がバッシングに遭い、最悪のケース芸能界から去る事になっても、それはそれで自業自得だとも思っている。未成年とはいえ、芸能界という世界で一人の社会人として金を稼いでいる以上は、自身の言動に責任を負うべき。ましてや、全く知られていないという存在ではないのだから、その影響力を考えずに言動を成したのだとしたら、社会人としてどれだけ恥ずかしい事なのかを知るべきだろう。
自分の好きな作家の一人である東野圭吾氏の作品に「さまよう刃」というのが在る。「裁く権利は誰に在るのか?」という惹句が付けられたこの作品は、レイプ犯罪を繰り返していた少年達に、最愛の一人娘を殺された父親が復讐に走る姿を描いている。その中に、次の様な文章が載っている。
「少年法は被害者の為に在る訳でも、犯罪防止の為に在る訳でも無い。少年は過ちを犯すという前提の下、そんな彼等を救済する為に存在するのだ。其処には被害者の悲しみや悔しさは反映されておらず、実状を無視した、絵空事の道徳観だけが在る。」
自分もその通りだと思う。法治国家である以上、具体的な”線引き”に拠って厳格に且つ粛粛と裁かれなければいけないという理屈は判ってはいるが、とは言え昨今の動機もなく、身勝手な思いだけで成された冷酷無比な少年による凶悪犯罪の多発を目にすると、少年&少女だからという括りだけで罪が著しく軽減化され、過剰に人権擁護される現状に疑問を持たざるを得ない。子供だから許されるというものではないと思う。
そして、今回の彼女に対しては逆に、「子供じゃないんだからもっと考えて言動しろよ!」と言いたくなる。罪を犯した過去は消せない。だが、反省は出来る。楽しげに万引で店が潰れた事を語る彼女の脳裏に、潰れた店の者達の存在は在っただろうか?もし少しでも在ったならば、あの様な発言は出来なかったと思うのだ。
*1 今後のマスメディアの姿勢が問われるだろう。今回の女性タレントが所属する事務所には、”御意見番”を気取る勘違い女性歌手が居る。自分と同格以下で且つ意に沿わない人間は徹底的に叩くが、自分に擦り寄って来る人間に関しては、問題を起こしても過度に擁護するというのが、この女性歌手のこれ迄の傾向。同じ事務所で尚且つ自分の番組に起用して可愛がっていたと思える今回の女性タレントに対し、どの様な発言をするか注目している。
恐らく、批判はすれども「自分も昔は悪い事一杯してたし、余り叩き過ぎるのも可哀相だよ。」といった身内意識モロ出しのコメントを発するのではないかと思っている。もしもこの様な発言をしし、それを平然とマスメディアが垂れ流したとしたら、日本のマスメディアは心底腐り切ってしまったと言わざるを得ない。
思わず、このホムペ見て、ニヤケ裕司。
ば○こう○ち様、センスあり過ぎ!(●^O^●)
あからさまな身内びいきはしないと思います。
考えられるのは-
(1)「私がその場にいたわけじゃないし
番組も見ていないので何ともいえないけど」
などといいながら記者に逆取材。
(2)「彼女とも話をしてきつく言っといたけど」
といち早く対応する厳しい先輩をアピール
(3)「彼女もひどく落ち込んでいて」
などと本人も反省していることを間接的に匂わす。
同時に,自分が顔がきく点も見せつける。
(4)「被害に遭われたお店の方には…」
弁償および少女A(←苗字)本人に詫びに行かせるなどの
落とし前をさせたいというようなことを言う。
(5)少女A(苗字)の芸能活動については
自分からは言及しない。
リポーターに聞かれて初めて「それは(ほとぼりが
冷めるまで)まったく,いつ復帰するとか今の段階では言えません」
など,皆さんのお許しが出るまでひたすら自粛する
ポーズを見せる
といったところでしょうか。
僕としては,「最悪芸能界引退」ではなく,
タレント廃業は当然で,解雇しなければホリプロの
常識を疑いたいところです。
※個人的見解はこちらのエントリーの最後で述べてます。
http://blog.goo.ne.jp/d_d-/e/f4f271921cbee7858016594d50d1632b
ありがとうございます。
あの「ご意見番」を名乗る女性歌手は、自分の番組で女性タレントのことについて結局何も触れなかったみたいですね。やっぱりこの件については事務所に言うことを止められているのでしょうか。(余計なことを言うと、またそれで波紋が広がるだろうし)
このタレントを面白おかしく集中攻撃するのは私も抵抗があるのですが、すでにテレビで公になっている芸能人が、「未成年だから」という理由で、なぜかニュースでは匿名になっているというのは、ちょっと疑問を感じてしまいますね。誰がしたかってわかってしまってるのに。
実際のところはこの女性が店をつぶしたのかが事実かどうかもわかりませんが、そういうことを面白おかしく話すことではないと思います。
私は少し前に起きたあるアイドルの盗作問題について注目していましたので、“自粛”という意味でこの問題にも注目しました。
どちらにしても犯罪であるので、本人が罰せられることは当たり前だと思いますが、それにOKを出して世間に広めた関係者の責任も重いです。しかしマスメディアの反応を見てみると、本人ばかり非難しているように見えると思います。
それが芸能人の宿命と言ってしまえば終わりですが、関係者も罰せられたことをもっと大きく取り上げてほしいと思いました。
特に前者(盗作問題)の場合は、関係者が現れず本人ばかり必死に謝罪している、といった印象しか受けませんでした。
悪びれた様子もなく万引きを語る彼女も彼女ですが、それに何の疑いもなく番組を作ってるTV局にやはり問題があると思います。テレ東でも問題が起きたばかりですし。もう少し番組制作のあり方を見直して欲しいです。
さて,問題を起こした女性タレントは18歳だそうですが,社会的に完全に大人扱いされる「20歳」まであと2年だというのに,自分のやっていることがどういう事になるのか考える力がなさすぎな気がします。
その上で今回,このような出来事があって,私の友達が「大人」に対して抱いた言葉が強烈に身にしみています。
「子供のことをたまに『ガキ』と評すことあるけど,子供にだって羞恥心はあり,それすら持たない人間が『ガキ』である。」
「20歳になって『大人になった』と言われるけれど,実際は『成人』しただけであって,大人になったとは限らない。」
そして,「世の中の人の多くは『ガキ』である。」
その友達が思う「大人」の何たるかは,ちょっと思い出せないのですが,要は自分のやったことに対して100%の責任を持つことができるのが「大人」だと,私は解釈しています。ただ,今回の出来事は自己完結で済ませられる問題ではなく,既に様々な人にいろんな批判・影響が出ていることから,そのあたりも反省してほしいなと思います。
そして今回はTV局の製作側が処分を受けるわけだが、どう考えても「全員」おかしい。
某歌手に関してはたまたま深夜に見たアメリカで薬中毒のリハビリ、復帰にゴスペルが支えになっている、という番組のリポートをしていたのを見て人間的未成熟度を見せつけられました。
ダイナミックに唄えるだけが歌手ではないなぁ~。
ハートから音楽を愛する、という領域が見えてこなかった。
日本の芸能界という狭い世界で生きてきて勘違いが生まれたとしか考えられません。
EQが足りなさすぎ。。。と、長くなってすいません。