クリント・イーストウッド監督が手掛けた”硫黄島2部作”。先に公開された「父親たちの星条旗」*1の出来が素晴らしかった為、9日から公開となった「硫黄島からの手紙」を早速観て来た。
1945年2月16日から3月26日にかけて硫黄島で繰り広げられた激烈な戦いに付いては、約1ヶ月前の記事「父親たちの星条旗」内で詳しく記したのでそちらを読んで戴きたいが、兎に角、日米双方に多大な犠牲者を生み出した悲惨な戦闘で在った事は間違い無い。「父親たちの星条旗」はアメリカ人兵士の視点から描かれていたが、今回の作品は日本人兵士の視点から描かれている。勿論アメリカ兵も登場するし、それは外国人俳優が演じているのだが、あくまでも脇役としての存在としてであって、全編を通して登場するのは日本人の俳優だけと言っても良い。だから会話シーンも、アメリカ兵と会話する1シーンを除いては全て日本語。何も知らないで観た人は、これがハリウッドで、尚且つアメリカ人監督が製作したものとは想像し得ないのではなかろうか。
圧倒的な戦力を誇るアメリカ軍に対し、無謀な戦いを挑まなければならなかった硫黄島の日本軍兵士達。その指揮を執る栗林忠道中将がこの作品の主役で在る。アメリカ及びカナダへの駐在経験が在り、国際事情にも明るかった彼は、アメリカの底力を嫌という程知っていたが故に、対米開戦には批判的な人物で在ったとされている。無謀で勝ち目の薄い戦いなのは判っていても、軍人として祖国を守る為に戦わなければならないという心の葛藤が彼の姿からは垣間見えて来る。演じている渡辺謙氏の上手さを再認識させられた。
司令官としての苦悩を滲ませている彼に対して、虫けらの如く殺されて行く哀しみ&恐怖に直面する下級兵を演じているのは嵐の二宮和也氏。彼は「ジャニーズ事務所のタレントの中でもダントツの演技力。」という声を良く見聞する。でもファンの方には非常に申し訳無いのだが、「俺はあの蜷川幸雄氏に認められた凄い演技者なんだぞ!」といった雰囲気がその演技から漂っている様に感じられて、個人的には余り好きな役者では無い。今回の演技も他の”ジャニタレ”に比べれば遥かに上手いのは認めるが、だからと言って巷間喧伝されている様な演技力の高さという程のものは、残念ながら自分には感じられなかった。
「御国の為」というフレーズを口にして、市井の人々から食料等の物資を巻き上げて行く日本の憲兵隊。そして最愛の夫が徴兵される事に抵抗する妻に対し、「私の家族も御国の為に死んだのです!それなのに貴方は何を言っているのか!」といった事を、血走った目で抗議する”愛国婦人会”の女性。本当にそれが「御国の為」なのかどうなのか。「御国の為」というフレーズを錦の御旗とし、自らの欲求を満たしているだけだったり、「うちの家族も死んだのだから、貴方の家族も死ななきゃ許せない!」といった思いの押し付けが其処に在ったとしたら、これは非常に怖い事だ。
「父親たちの星条旗」もそうだったが、”硫黄島2部作”では勝者の正義や敗者の悪を声高に叫んではいない。其処に在るのは、「愛国者」として持ち上げられながら、結局は虫けらの如く殺されて行った日米両兵士達の叫びだろう。
アメリカ兵が日本の兵士の遺品を”かっぱらう”シーンが描かれている。それだけでは無く、白旗を揚げて投降した日本兵2人を一旦は保護しながらも、彼等を監視している間に別の日本兵に襲われては厄介だと銃殺してしまうシーンも。こんな事は実際に多く見られた事だろうが、それをアメリカ人のクリント・イーストウッド氏が敢然と描いた事に或る種の感動を覚えた。
「自分が描きたいのは『どっちが正義で、どっちが悪。』等という安直なものでは無い。戦争そのものが如何に無意味で、一般人にとって哀しく辛いだけのものという事を広く知って欲しい。」そんなイーストウッド監督の声が聞こえて来る様だ。
総合評価は星4.5。
*1 「父親たちの星条旗」で目にしたシーンが、今回は日本軍からのアングルで撮られていたりと、映像的にも工夫がされていたと思う。演じ手としてだけでは無く表現者としても、イーストウッド氏が非凡な才能を持っている事を痛感させられた。
1945年2月16日から3月26日にかけて硫黄島で繰り広げられた激烈な戦いに付いては、約1ヶ月前の記事「父親たちの星条旗」内で詳しく記したのでそちらを読んで戴きたいが、兎に角、日米双方に多大な犠牲者を生み出した悲惨な戦闘で在った事は間違い無い。「父親たちの星条旗」はアメリカ人兵士の視点から描かれていたが、今回の作品は日本人兵士の視点から描かれている。勿論アメリカ兵も登場するし、それは外国人俳優が演じているのだが、あくまでも脇役としての存在としてであって、全編を通して登場するのは日本人の俳優だけと言っても良い。だから会話シーンも、アメリカ兵と会話する1シーンを除いては全て日本語。何も知らないで観た人は、これがハリウッドで、尚且つアメリカ人監督が製作したものとは想像し得ないのではなかろうか。
圧倒的な戦力を誇るアメリカ軍に対し、無謀な戦いを挑まなければならなかった硫黄島の日本軍兵士達。その指揮を執る栗林忠道中将がこの作品の主役で在る。アメリカ及びカナダへの駐在経験が在り、国際事情にも明るかった彼は、アメリカの底力を嫌という程知っていたが故に、対米開戦には批判的な人物で在ったとされている。無謀で勝ち目の薄い戦いなのは判っていても、軍人として祖国を守る為に戦わなければならないという心の葛藤が彼の姿からは垣間見えて来る。演じている渡辺謙氏の上手さを再認識させられた。
司令官としての苦悩を滲ませている彼に対して、虫けらの如く殺されて行く哀しみ&恐怖に直面する下級兵を演じているのは嵐の二宮和也氏。彼は「ジャニーズ事務所のタレントの中でもダントツの演技力。」という声を良く見聞する。でもファンの方には非常に申し訳無いのだが、「俺はあの蜷川幸雄氏に認められた凄い演技者なんだぞ!」といった雰囲気がその演技から漂っている様に感じられて、個人的には余り好きな役者では無い。今回の演技も他の”ジャニタレ”に比べれば遥かに上手いのは認めるが、だからと言って巷間喧伝されている様な演技力の高さという程のものは、残念ながら自分には感じられなかった。
「御国の為」というフレーズを口にして、市井の人々から食料等の物資を巻き上げて行く日本の憲兵隊。そして最愛の夫が徴兵される事に抵抗する妻に対し、「私の家族も御国の為に死んだのです!それなのに貴方は何を言っているのか!」といった事を、血走った目で抗議する”愛国婦人会”の女性。本当にそれが「御国の為」なのかどうなのか。「御国の為」というフレーズを錦の御旗とし、自らの欲求を満たしているだけだったり、「うちの家族も死んだのだから、貴方の家族も死ななきゃ許せない!」といった思いの押し付けが其処に在ったとしたら、これは非常に怖い事だ。
「父親たちの星条旗」もそうだったが、”硫黄島2部作”では勝者の正義や敗者の悪を声高に叫んではいない。其処に在るのは、「愛国者」として持ち上げられながら、結局は虫けらの如く殺されて行った日米両兵士達の叫びだろう。
アメリカ兵が日本の兵士の遺品を”かっぱらう”シーンが描かれている。それだけでは無く、白旗を揚げて投降した日本兵2人を一旦は保護しながらも、彼等を監視している間に別の日本兵に襲われては厄介だと銃殺してしまうシーンも。こんな事は実際に多く見られた事だろうが、それをアメリカ人のクリント・イーストウッド氏が敢然と描いた事に或る種の感動を覚えた。
「自分が描きたいのは『どっちが正義で、どっちが悪。』等という安直なものでは無い。戦争そのものが如何に無意味で、一般人にとって哀しく辛いだけのものという事を広く知って欲しい。」そんなイーストウッド監督の声が聞こえて来る様だ。
総合評価は星4.5。
*1 「父親たちの星条旗」で目にしたシーンが、今回は日本軍からのアングルで撮られていたりと、映像的にも工夫がされていたと思う。演じ手としてだけでは無く表現者としても、イーストウッド氏が非凡な才能を持っている事を痛感させられた。
「日本兵は亡くなっても2時間位は精神力で生きていた。」この喩えは愛する者を守りたいと思う気持ちが、極限迄の力を引き出したと取るべきなのか。はた又、虫けらの如き死に方をしなければならなかった無念さが、この世への執着として生き長らえさせたと取るべきなのか。どちらにしても、亡くなられた御霊の無念さをどうしても感じてしまいます。
硫黄島で嘗て激戦が演じられた事は知っていても、その詳細迄知っている日本人はそれ程多くないのかもしれませんね。近・現代史が好きな自分ですが、恥ずかし乍ら、”バロン西”氏が彼の地で御亡くなりになった事すら存じ上げていなかった位ですから。「この悲惨な歴史を日本人に、否、広く世界の人々に知らせなければいけない。」という使命感に駆られてイーストウッド監督が、この作品を製作して行ったというのには胸を打たれます。
どういう形で在れ、国を守る為に無念の内に亡くなって行った御霊には心から哀悼の意を表すのは当然ながら、「愛国心」という名の下に多くの命が打ち捨てられて行ったという事も心に刻まなければならないと思います。「靖国」という言葉が、真に戦没者を悼む形で使われるのは良いのですが、「この言葉を使えばどんな主張を掲げても許されるのだ。」となってしまうのは問題でしょうね。どうに「靖国」という言葉を前面に押し出して、”不必要に”第三者を貶める事に使っているケースが目に付くのが個人的には気になります。
愛する祖国の為、否、愛する身内を守る為に戦地に赴か”なければならなかった”兵士達。そんな彼等が圧倒的に不利な戦いを挑んでいる中、新たな武器の輸送を本国に求めた結果が”竹槍”だったというのは余りにも哀しいシーンでした。
セクショナリズムというのは、当時の米軍でも先ず在った事とは思いますが、平時ならばいざ知らず、自国の兵士達が明日をも知れない命に在る中、海軍だ陸軍だとくだらないセクショナリズムを死守しようとしていたのは呆れ果てるばかりですし、そのくだらなさによって命を落とす事になった御霊には心から同情の念を禁じ得ません。
追い詰められた状況での集団心理の怖さも、この作品からは感じました。
>勝者の正義や敗者の悪を声高に叫んではいない
まさしくその通りですね。
どうしても1本の映画で戦争をテーマにしてしまうと主人公と敵、主人公が(勝者であろうと敗者であろうと)正義、敵が悪という視点になりがちなところを双方の視点から独立した2本の映画として、しかも正義や悪という価値観を取り除いて描ききったところが見事だと思います。
そして、ただでさえセンチメンタルに流されがちなテーマから出来る限り涙を誘う演出を排除し、安っぽい同情や「愛国心」で本質を見間違うことのないように丁寧に作られた作品だと感じました。
また、「日本映画」であるかのようなこの作品を通して、現在も戦争を続けている自分の国や同胞に対し人種や文化や国力が違えど「敵」も自分たちと変わらない人間なのだ、その人たちを殺すのが戦争なのだ、と言うことを訴えかけているようにも思えました。