戦時中、軍の幹部は自ら購入して使用し、兵士は任務に応じて貸与を受けていた拳銃の事を「軍用拳銃」と呼ぶ。その多くは終戦時に連合国軍に差し出され、回収されたが、一部は自宅に保管される等して回収から漏れた。回収から漏れた軍用拳銃の押収数が近年、増えているのだとか。
1月13日付けの東京新聞(朝刊)に「旧軍人の銃押収最多」という記事が載っていた。これによると、都内の過去10年間の押収数は2000年の27丁から次第に減り、2006年&2007年は各16丁だったが、2008年には20丁と増加に転じ、昨年は28丁と過去10年間で最多を記録したそうだ。その理由に付いて軍事史家の熊谷直氏は、次の様に推測している。
「戦時中、将校で最も若かった人でも、現在85歳位になっている筈。本人や、直接関わりが在った遺族が寿命を全うする時期が来ており、遺品の整理等で多く見付かっているのではないか。」
家庭の天井裏や倉庫等に“眠り続けた”軍用拳銃が、持ち主たる旧軍人が亡くなった事により、形見の整理や引っ越しの際に家族によって発見される。終戦から今年で65年が経つけれど、未だ戦争を引き摺る事象は存在しているのだ。
尚、警視庁組織犯罪対策5課によると、軍用拳銃は発見後速やかに届け出れば、銃刀法違反の罪には問われないとの事。今でも発射可能な銃&銃弾が見付かるケースも在るそうなので、心当たりの在る方は調べられた方が良いだろう。
1月13日付けの東京新聞(朝刊)に「旧軍人の銃押収最多」という記事が載っていた。これによると、都内の過去10年間の押収数は2000年の27丁から次第に減り、2006年&2007年は各16丁だったが、2008年には20丁と増加に転じ、昨年は28丁と過去10年間で最多を記録したそうだ。その理由に付いて軍事史家の熊谷直氏は、次の様に推測している。
「戦時中、将校で最も若かった人でも、現在85歳位になっている筈。本人や、直接関わりが在った遺族が寿命を全うする時期が来ており、遺品の整理等で多く見付かっているのではないか。」
家庭の天井裏や倉庫等に“眠り続けた”軍用拳銃が、持ち主たる旧軍人が亡くなった事により、形見の整理や引っ越しの際に家族によって発見される。終戦から今年で65年が経つけれど、未だ戦争を引き摺る事象は存在しているのだ。
尚、警視庁組織犯罪対策5課によると、軍用拳銃は発見後速やかに届け出れば、銃刀法違反の罪には問われないとの事。今でも発射可能な銃&銃弾が見付かるケースも在るそうなので、心当たりの在る方は調べられた方が良いだろう。
伯父が亡くなった時に、遺品の中から軍刀が見つかりました。
戦時中の軍刀は、板バネをグラインダーで磨いだだけのような、刀が多いのだそうですが、伯父の軍刀は、刀鍛冶に作ってもらった、ちゃんとした日本刀だったそうです。もちろん、伯母はすぐ届け出たそうです。
ずいぶんと軍用銃が残ってるんですね。
そういえば不発弾もまだ眠っているんですよね。
コワ~x±x
野球評論家の杉下茂氏だったと思いますが、軍隊に入った際の話をドキュメンタリー番組で語っておられました。満足な軍靴も与えられず、「これで日本軍は大丈夫なのだろうか?」と思ったとか。少なくとも敗戦の色が濃厚になった頃には、一般兵士に供される物は銃器を含めて酷い状態だったのでしょうね。
法事で会うことあったら聞いてみよう。去年身内の葬儀で会いましたがすごく元気でした。
ああいう人には話聞いておきたいですが、いろいろうるさそうな人で説教くらいそうなんでちょっと敬遠もしてます^^;。
父親が中学のとき猟銃買ってもらって鳥撃っていたそうですが(食用にしたり売って小遣いにして遊興費、身の回り品や株(!)買ったりしたとのこと。戦後10年ぐらいの話なんで^^;相当儲けたそうです)、でも就職してから銃をどこにやったかわからなくなったとのこと。いずれ出てくるんでしょうか・・・。
ちなみに銃は無許可だったようです。いい加減な時代です。
自分は歴史、とりわけ近・現代史が昔から好きだった事も在り、祖父母からは戦前・戦中・戦後の話を聞く機会が多かったのですが、彼等が亡くなった今、「もっと多く聞いておけば良かった。」という思いが強いです。(余り良い思い出では無いという事で、積極的に語ろうという感じでは無かったけれど。)
祖父や父は大昔に趣味で猟をしていたのですが、「戦後暫くの間、銃の取り締まりは結構好い加減だった。」とやはり言っていましたね。
戦前、女学校を優秀な成績で卒業して、陸軍にタイピストとして採用された女性がいました。文書作成が主な仕事でしたが、終戦後お役御免となり、帰郷する際に「御国の為の仕事をしていた記念」として、自分が作成した文書の原版を持ち帰ったのでした。
戦後50年以上経って、彼女の遺族が押入れの中からその原版を発見。その中には、戦後、占領軍の駐留を前に破棄した極秘文書も含まれていたのでした。
その番組は、彼女の遺した文書の原版から日本軍の秘密兵器だった風船爆弾の全貌を探る内容のドキュメンタリーだったのですが、軍用拳銃のみならず、こういった極秘資料も思いかけないところから発見されるかもしれませんね。
そのドキュメンタリー番組、自分も見た記憶が在ります。又、昨夏にTBSで放送されたドキュメンタリー番組「シリーズ激動の昭和 最後の赤紙配達人」でも、似た様な話が紹介されていました。通称「赤紙」と呼ばれた召集令状を実際に配達していた西邑仁平氏が、敗戦と同時に赤紙を含む一切の資料の廃棄を命令されるも、自らが配達した赤紙によって戦地に赴き、そして死んでいった者達の事を考えると廃棄するのが耐えられず、秘密裏に自宅に持ち帰ってずっと隠していたのが、最近になって発見されたという内容。こういう人達が居た御蔭で、戦争の真の悲惨さが後世に伝えられるのですよね・・・。