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ぼくが生まれた1934年から1945年までの11年間、日本は戦争の真っ只中にありました。戦争が終わってから、すでに60年以上も経過しているのです。その頃、生まれた人のすべてが、還暦を過ぎ、サラリーマンなら定年を迎え、多くの人が「高齢者」と呼ばれるグループの仲間入りをしています。
いま「少年時代」にある人にとって、その頃のことは、もはや「歴史上」の出来事のように思えるのではないでしょうか。ぼくが生まれる30年前の1904年に起きた「日露戦争」でさえ、少年のぼくにとっては、遠い歴史上のこととして語られたのですから、60年以上ともなると、気の遠くなるような大昔にちがいありません。
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浅見光彦シリーズ等で御馴染みのミステリー作家・内田康夫氏が、少年少女向けに書き下ろした作品「ぼくが探偵だった夏」の後書き「ぼくが少年だった頃」で記している文章より抜粋させて貰った。
嘗て大人気を博したドラマ「君の名は」では、冒頭に流れる「忘却とは忘れ去る事なり。」というナレーションが流行語になったそうだが、人間という生き物は「新しい情報」を得る見返りに「過去の出来事」を忘却して行き勝ちなもの。昔は「十年一昔」なんて言ったけれど、世の中の移り変わりが激しくなった昨今では「五年一昔」といった感じかもしれず、そうなると15年前の出来事は相当昔という事になるのかもしれない。
未曾有の震災「阪神・淡路大震災」が発生してから、今日で満15年を迎えた。当事者の方々にとっては未だに忘れられない哀しい記憶だけれど、当事者では無かった人の中にはその記憶が薄らいで来ている人が居るかもしれない。ましてや“あの時”に生まれていなかった子達、否、生まれていたとしても余りに幼かった子達にとっては、あの大震災も内田氏の指摘する「歴史上の出来事」の一つになっている可能性を否定は出来ないだろう。
あの日に自分が受けた衝撃は、5年前の記事「あの日自分は・・・」で記した。今でも忘れられない記憶だけれど、当事者の方々と比べるともしかしたら薄らいで来ているかもしれない。15年を迎え、改めてあの日の衝撃を思い返し、深く脳裏に刻み込んだ。
ぼくが生まれた1934年から1945年までの11年間、日本は戦争の真っ只中にありました。戦争が終わってから、すでに60年以上も経過しているのです。その頃、生まれた人のすべてが、還暦を過ぎ、サラリーマンなら定年を迎え、多くの人が「高齢者」と呼ばれるグループの仲間入りをしています。
いま「少年時代」にある人にとって、その頃のことは、もはや「歴史上」の出来事のように思えるのではないでしょうか。ぼくが生まれる30年前の1904年に起きた「日露戦争」でさえ、少年のぼくにとっては、遠い歴史上のこととして語られたのですから、60年以上ともなると、気の遠くなるような大昔にちがいありません。
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浅見光彦シリーズ等で御馴染みのミステリー作家・内田康夫氏が、少年少女向けに書き下ろした作品「ぼくが探偵だった夏」の後書き「ぼくが少年だった頃」で記している文章より抜粋させて貰った。
嘗て大人気を博したドラマ「君の名は」では、冒頭に流れる「忘却とは忘れ去る事なり。」というナレーションが流行語になったそうだが、人間という生き物は「新しい情報」を得る見返りに「過去の出来事」を忘却して行き勝ちなもの。昔は「十年一昔」なんて言ったけれど、世の中の移り変わりが激しくなった昨今では「五年一昔」といった感じかもしれず、そうなると15年前の出来事は相当昔という事になるのかもしれない。
未曾有の震災「阪神・淡路大震災」が発生してから、今日で満15年を迎えた。当事者の方々にとっては未だに忘れられない哀しい記憶だけれど、当事者では無かった人の中にはその記憶が薄らいで来ている人が居るかもしれない。ましてや“あの時”に生まれていなかった子達、否、生まれていたとしても余りに幼かった子達にとっては、あの大震災も内田氏の指摘する「歴史上の出来事」の一つになっている可能性を否定は出来ないだろう。
あの日に自分が受けた衝撃は、5年前の記事「あの日自分は・・・」で記した。今でも忘れられない記憶だけれど、当事者の方々と比べるともしかしたら薄らいで来ているかもしれない。15年を迎え、改めてあの日の衝撃を思い返し、深く脳裏に刻み込んだ。
私は一生、忘れない/忘れられない/忘れてはならい、日です。
先日発生したハイチ地震(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2010%E5%B9%B4))では、死者数が最大で20万人とも予測されています。彼の地の人々の姿をTVニュース等で見る度に心が痛む。被災状況の悲惨さは当然なのですが、被災地に於いて強奪行為を為す人が結構居る事にも・・・。
追い詰められた時に、その人間の本性が出ると言います。弱者が弱者を叩くのも人間ならば、弱者が弱者を労われるのも同じ人間なんですよね。
とにかく合掌、しかありません。
部外者の自分にも辛い記憶です。当事者はなおさら。
阪神ファンにとっても、あの航空機事故からも、25年が経とうしております。
また、あの大地震から15年が経ち、その後も多くの震災がありました。
あれから○年。人の営みに変わりはなく、悲しみを胸に抱きつつ、今日に至りました。
そして、球界においても、多くの方が鬼籍に入られました。
今日現在の最新の事で言えば、巨人・阪神で活躍され、指導者としても活躍されていた故小林繁氏も鬼籍に入りました。
ご遺族の方にはお悔やみを申し上げると共に、故人のご冥福をお祈りいたします。
この世に生を受けてからウン十年経ちますが、リアルな映像を見て「信じられない・・・。」と心底絶句した事が2回在ります。1つは2001年8月11日に発生した「アメリカ同時多発テロ事件」。世界貿易センタービルに旅客機が突入したシーンは、実際に起きた事と到底思えなかった。
そしてもう1つは、阪神・淡路大震災。同じ日本で、あれ程迄「崩壊してしまった世界」が存在するというのが、どうしても現実として受け止められなかった。時間の経過と共にそれが現実で在る事を受け止められる様になったけれど、それと同時に被災者の苦しみがどっと心に突き刺さって来た。忘れてはいけない記憶です・・・。
「去る者は日日に疎し」とは言いますが、自分にとって大事な人が亡くなった場合は、時がどれだけ経過しようとも、その喪失感が埋められる事はなかなか無いと自身の経験からも思います。改めて、あの震災で亡くなられた方々の御霊に合掌。
それと小林繁氏が亡くなられたというニュースには、本当にびっくりしました。今季からファイターズの一軍投手コーチに昇任された事も在り、健康面での問題を全く想像だにしていなかったので。心不全という事ですが、57歳は若過ぎます。
3年前に“因縁の相手”で在る江川卓氏とCMで共演されましたが、あの事件を知る自分としてはグッと来る物が在った。晩年は「選挙での落選」や「自己破産」等、厳しい現実に向き合う事が多かった彼だけれど、最後の最後に好きな野球でコーチが出来たというのは、せめてもの救いだったのではないかと。本当に残念ですが、心より御冥福を御祈り申し上げます。
もちろん、野球という体育会系、年長序列であったとしても、江川卓氏が、あそこまで畏まるのも、不思議といえば、不思議ですが。
そうして、CMとして飲んだお酒も、甘かったのか、苦かったのかは、本人でしか分からない事ですね。
やはり、選手同士もそうですが、それを取り巻く者達にとっても、人生なのでしゅうね。
しかし怖かったでしょうね。x±x
新潟の地震からももう5年以上経ちます。
日本は地震王国です。怖いですね。
つい最近も伊豆で大きな地震があったばかりでしたし。