第11回(2021年)アガサ・クリスティー賞の大賞及び第19回(2022年)本屋大賞、そして第9回(2022年)高校生直木賞を受賞し、受賞は逃したものの第166回(2021年下半期)直木賞の候補作に選ばれた小説「同志少女よ、敵を撃て」(著者:逢坂冬馬氏)。逢坂氏にとって文壇デビュー作となった此の作品は、「独ソ戦が激化する1942年、ドイツ軍と戦う赤軍の女性狙撃兵を描いた。」物だったが、「骨太な内容も然る事乍ら、時代背景や銃撃シーンの描き方、ストーリー展開、登場人物達のキャラ立ち等、とても新人作家とは思えない素晴らしさ。」が在り、自分は総合評価を「星4つ」とした。
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1944年、ヒトラーによるナチ体制下のドイツ。密告により父を処刑され、居場所を無くしていた少年ヴェルナー・シュトックハウゼンは、「エーデルヴァイス海賊団」を名乗るエルフリーデ・ローテンベルガーとレオンハルト・メルダースに出会う。彼等は、愛国心を煽り、自由を奪う体制に反抗し、ヒトラー・ユーゲントに度々戦いを挑んでいた少年少女だった。ヴェルナー等は軈て、市内に敷設されたレールに不審を抱き、線路を辿る。其の果てで“究極の悪”を目撃した彼等の取った行動とは?
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今回読んだ「歌われなかった海賊へ」は、逢坂氏にとって2作目の小説で、時代としては「同志少女よ、敵を撃て」と同じ第二次世界大戦下を描くも、舞台はナチスが支配するドイツ。表紙に描かれたイラストは、「同志少女よ、敵を撃て」と同じ雪下まゆさんが手掛けているが、見る者の心に何とも言えない不安感を与える絵柄が実に印象的で、「戦争」という物の恐ろしさを感じさせる。
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・「そうやって、自分が見た他人の断片をかき集めて、あれこれ理由をつけて、矛盾のない人物像ができあがると錯覚して、思い上がって、分かろうとして、理解したつもりになる。そうすればあとは簡単だ。人を集めて、種類に分けて整理して、一つの区画、一つの牢屋に追い込んで、服に貼った標識を見て安心するんだ。私はそんなに傲慢じゃない。そうだ、私はそんなに傲慢じゃないし・・・。」。
・ヴェルナーは考えた。なぜ、人が収容され死んでゆくことに対して、普通の市民が冷淡になれるのだろうか。彼ら市民が「国民社会」の内側にいるからか。そしてその外側にいる存在は、思いやりや同情の対象ではない、という価値観が公認されているからか。―収容され、死んでゆく者たちは自分たちとは違う―与えられるその基準を疑いもせず、進んで同化することによって「国民社会」の内側に留まれば、権力が自らを弾圧することはない。
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終戦を迎えた時に“少年・少女”だった日本の人達の証言を見聞すると、“当時の大人達への不信感”というのが彼等の中に多く占められている事が判る。「戦中は『鬼畜米英!』だ何だと、敵国を蛇蝎の如く忌み嫌い、“個人主義”を一切認めなかったのに、終戦を迎えた途端に手の平を返し、敵国の人間を大歓迎して迎えたり、『民主主義万歳!』と平然と叫ぶ大人達を見て、自分は大人が信じられなくなった。」という感じ。戦中に多数を“抑圧”していた大人程、“姿”をガラッと変えたのだから、少年・少女の不信感が高まるのも当然だろう。
「歌われなかった海賊へ」にも、そういう大人達が多数登場する。否、“多数”どころでは無く、“殆ど”と言って良いだろう。中には「優しい。」と見做されている“普通の大人達”も存在しているのだが、彼等は“非人道的な行為”が行われている事を(薄らとも含め)知っているのに、「知らない。」とか「見ていない。」と“意識的に思い込もうとしている”のだ。戦中の日本でも、同様な感じだったのだろう。
アドルフ・ヒトラーもそうだが、恐ろしい独裁者達は皆、或る日急に現れた訳でも、又、或る日急に権力を握った訳でも無い。彼等を支持する人が徐々に増えて行き、気付いた時には“圧倒的多数”となっていたからこそ、恐ろしい独裁者は生まれたのだ。「自分自身が多角的に深く考える事無く、表層的な部分のみを見て支持した人間が独裁者となった。」というのに、其の独裁者の行為によって自身も不利益を被ると、「自分は、騙された被害者に過ぎないのだ。」と叫ぶ人が、何と少なく無かった事か。「『騙されていた。』と言って、平気で居られる国民なら、恐らく今後も、何度でも騙されるだろう。」と映画監督・伊丹万作氏は語ったそうだが、其の通りだと思う。
「戦争に関わっているのは“悪なる人”だけで無く、寧ろ“普段は普通の人”というのが殆ど。」というのを痛感させられる作品。“後味”は決して良く無いが、「同志少女よ、敵を撃て」と同様、“読ませる内容”だ。(恥ずかしい話だが、「エーデルヴァイス海賊団」なる組織が実在していたのを今回初めて知り、勉強になった。)
総合評価は、星4つとする。