昨夜の「筑紫哲也NEWS23」で、発達障害の子供を抱えた複数の家族の実状を取り上げていた。発達障害に関しては、以前、記事で取り上げた為、或る程度の知識を持っているつもりだったが(広汎性発達障害と呼ばれる自閉症やアスペルガー症候群等に付いては、まだまだ知識不足だが。)、登場した家族達が一様に語った次の言葉が胸に突き刺さった。
「子供を外へ連れて行った際、(病気の一症状である多動性から)子供が動き回ったりすると、親の教育がなってないと白い目で見られるのが辛い。」
発達障害を取り上げ、それなりに知識を持っているつもりであった自分でも、電車等で縦横無尽に動き回る子供の姿を目にした際、「こいつ等の親はどういう教育してんだ!」と思う事がしばしば在った。勿論、病を抱えた子供を持つ訳でもなく、親として当然の義務である子供への社会教育を放棄し、「自分は放任主義や自由主義を実践しているのだ!」と平然と宣う勘違い親には厳しい目が向けられても当然だと思う。しかし、データ的には、一学級に3~4人の発達障害児が存在する現状を考えると、須らく「親の教育がなってない!」と決め付けていた自分に恥じるものが在った。
一昨日、南野法相がハンセン病に関して、差別的表現を繰り返したという報道が在った。就任以来、何度か物議を醸す言動をしている彼女だが、その根底に悪意が在る様には思えない。多分に無知から来る言動だと思う。国を規律するのは法律。その法律の番人たる法務省のトップが、かくも無知であって良いのかという議論はここではさておいても、無知であるが故の言動が、言動の矛先となった人達を、無意識の内に傷付けてしまう事が多々在り、それは或る意味、”確信犯的に”悪意を持ってなされた言動よりも深く人を傷付けてしまうのかもしれない。自戒の一言だ。
「子供を外へ連れて行った際、(病気の一症状である多動性から)子供が動き回ったりすると、親の教育がなってないと白い目で見られるのが辛い。」
発達障害を取り上げ、それなりに知識を持っているつもりであった自分でも、電車等で縦横無尽に動き回る子供の姿を目にした際、「こいつ等の親はどういう教育してんだ!」と思う事がしばしば在った。勿論、病を抱えた子供を持つ訳でもなく、親として当然の義務である子供への社会教育を放棄し、「自分は放任主義や自由主義を実践しているのだ!」と平然と宣う勘違い親には厳しい目が向けられても当然だと思う。しかし、データ的には、一学級に3~4人の発達障害児が存在する現状を考えると、須らく「親の教育がなってない!」と決め付けていた自分に恥じるものが在った。
一昨日、南野法相がハンセン病に関して、差別的表現を繰り返したという報道が在った。就任以来、何度か物議を醸す言動をしている彼女だが、その根底に悪意が在る様には思えない。多分に無知から来る言動だと思う。国を規律するのは法律。その法律の番人たる法務省のトップが、かくも無知であって良いのかという議論はここではさておいても、無知であるが故の言動が、言動の矛先となった人達を、無意識の内に傷付けてしまう事が多々在り、それは或る意味、”確信犯的に”悪意を持ってなされた言動よりも深く人を傷付けてしまうのかもしれない。自戒の一言だ。
アスペルガー障害といわれた娘を持つハハです。
「障害」という言葉がつき
ビビっていますが
娘は一見ホントにごく普通です。
ごく普通なだけに
ハハですら気づきませんでした…
自分も含め沢山の方の理解が深まるといいな、と思い
ブログをはじめました。
TBありがとうございました☆
しかし、それが関係者には差別的に捉えられることなどを身をもって知らなかっただけです。
ふつうのおばちゃんならそれでも良かったのでしょうが、大臣を務める公人がそれではまずいですよね。
私にしても知識としては知っていてもいざ直面してみると「知らなかった」ことが多くあります。
日々、反省しなければいけないですね。
横にそれますが、たとえ病気であっても放っておくような親は、親としてなっていないと言わざるを得ないでしょう。
「この子は病気だから…」と平気で言い放つ親も多いです。
実は、そういった人々が偏見や差別を助長させていると私は考えます。
障害者にだって躾はある、障害を認めつつ受け入れつつ、言葉を捜していきたいです。
ニュース23私もみましよ。
あっという間に終わってしまいましたけど、もっともっと理解が深まって欲しいな、そして私も
わかりやすいように伝えていければなって思ってます。そして私も親の愛情が足りない、躾がなってないなど言われてきました・・
軽度ならではのわかりにくさが、常にあって誤解がつきまといます。昨日のニュース番組でこんな子もいるって知って欲しいですね。
ご趣旨は、その通りだと思います。
でも、別の観点から多少の懸念があります。
もしも普通の子を「○○症候群」と診断してしまったら、どうなるのでしょう。私は心配性なのです(最近の医療事故等を見ていると特に)。
「ニュース23」を見ていないので、変なことを申し上げていたら、ご勘弁下さい。dawnより
こういう子どもたちが随分存在することを全く知りませんでした。
障害者マークなどバッチにして分かるようにしたら、偏見を免れませんかね。
それとも、もっと差別が大きくなってしまうでしょうか?
障害者に対する「無知」には2つあると思います。
1つ目は「障害を知らない」という無知。
2つ目は「人となりを知らない」という無知。
正直、いくら障害を知っていたとしても、その人となりを知っていないと、接しにくい部分は多々あります。
それでも、本当に知らなくて偏見を持たれるよりもいくらかマシだと思います。
そして。
診断名っぽいものは、誰にでも付けることができます。
「ADHDっぽい」「アスペっぽい」「自閉っぽい」…
ワタシにも「アスペっぽい」ところはあるでしょう。
なんとなく障害を知っている、ということがこれらの変な「○○っぽい」を産まないように祈る限りです。
もちろん無知の解消も大切なわけですが、もっと根本的なところでの解決が必要だと思うのです。
今、現実に困難を抱えていらっしゃる皆さんはそんな悠長なことを言ってられないのは承知しています。でも、教育の周辺でちょこっと仕事をさせていただいている中で見聞きしたことを思うと、困難を持たない人が百人百様であるのと同様、困難を持つ方も百人百様であると感じているので。
なにはともあれ、こうした場でこういう問題が語られるだけでも知ってもらえるという点でとても意義のあることだと思います。
初対面で立て続けの投稿、ご容赦下さい。
うちにも自閉症の娘がいます。
全くの私見ですが、一言。
この障害は新しいものではないということ。
昔からあったが誤解されつづけていた。
親の育て方のせいだと医師にも言われた時代、親は悩み、ある時は障害を伏せ、隠したことから、まるでそういう人たちがいないかのような社会が回っていたのだと思います。
現在はその過渡期であり、無知→誤解→偏見→差別という連鎖を断ち切るためにも訴えていくことは大切だと思い、自分もblogを始めています。
自分が思う最終的な解決は健常な子の教育だと思っています。
自閉症に限らず、様々な種類の障害があると思います。
現在はそういったこどもたちに特別な環境を用意することが大切との方向で動いています。
しかし恐いのはそういった子が隔離されてしまうことで、健常なこどもたちがそういった子の存在を知ることなく大人になる事ではないかと思います。
以前、自分が幼き時に、ミャンマー(当時はビルマと呼んでいましたが。)からやって来た転校生の話を書きました(http://964.jp/Z3D7)。当時は、今の様に街中で外国人を見掛ける事は非常に珍しく、風貌や文化&習慣の違う”彼”に対して、自分も含めた同級生の幾人かは、差別的な言動を浴びせました。今になって思えば、彼の国に対する知識が全くない事や、自分達とは異なるモノを排除したいという気持ちが根底に在ったと思います。
その事で何度も喧嘩をしました。しかし、喧嘩をしていく中で、御互いが本音でぶつかり合う機会も生まれ、気心が知れて行くようになる迄にはそうは時間がかかりませんでした。
喩えが適切ではないかもしれませんが、障害者と一般社会との関係も、このケースが当て嵌まる様な気がします。一般社会に於いては、正確な知識の流布が必要でしょうし、障害者の方(身内の方も含め)に於いては、勇気を振り絞って積極的に社会との関わりを持って行くというのが、無益な差別や偏見を無くして行く重要要素の様な気がします。
障害者を過度に悲劇的に扱わずに、事実を淡々と報じていく。こういった姿勢も、マスメディアには求められているのではないでしょうか。そういう意味で、今回の「筑紫哲也NEWS23」の特集は、良かったと思っています。
「知っていますか?車いす用のトイレには汚物入れがないんですよ。行政は障害者の女性に生理がないと思っているほどバカなのかしら。すごく無神経でしょう」
小さなそういう事実が、障害者を大きく傷つける。それはとても攻撃的な差別だ。彼女の経験上、そういsったことを当事者や近親者が行政に訴えても何も動かないという。しかし第三者の力は大きいそうだ。マスコミやタレント・著名人ならば当然のこと、学生でも、一般市民でも第三者の訴えというのは受け入れられやすいと力説する。
といっています。だから、ビッグイシューについて書いていくことはきっと彼らの助けになるはずだと励まされています。
blogやSSNなど世論を作っていくとができるといいですね。