ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

新自由クラブ

2009年01月29日 | 政治関連
昨日、報道された2人の著名人の訃報に目を奪われてしまった。1人は青山孝史(旧芸名は青山孝)氏。1970年代を代表する男性アイドル・グループ「フォーリーブス」のメンバーで、愛称は「ター坊」。新御三家が登場する迄は、フォーリーブスが男性アイドルの頂点に居たと言っても良い程。当時は幼かった自分だが、熱狂的な声援を送る女の子達(と言っても、自分よりは遥かに年上だった訳だが。)の姿を覚えている。「1978年に解散したファーリーブスが、数年前に再結成された事。」や「青山氏が肝臓癌罹患している事。」はスポーツ紙の情報で知ってはいたが、まさか57歳の若さで亡くなられるとは。「踊り子」()や「ブルドック」()、「地球はひとつ」()等、懐かしい歌は少なくない。

そしてもう1人は、元国会議員の柿澤弘治氏。嘗て外務大臣を務めた彼が、食道癌にて75歳の人生を終えられたと言う。気さくな人柄で、確か昨年末に亡くなられた飯島愛さんとも親交が在ったと記憶している。2003年に政界を引退して以降、表舞台に立たれる事は余り無かった様だが、75歳というのは若過ぎる。御二方の御霊合掌

柿澤氏と言って思い出すのは、嘗て存在した政党「新自由クラブ」。*1元首相の逮捕に繋がっロッキード事件が発覚する等、国民の政治不信が非常に高まっていた1970年代後半。与党で在る自民党から離党した国会議員達が、1976年に結成した新党が新自由クラブだ。そのメンバーの一人が柿澤氏だった訳だが、その他の中心人物の顔触れを見回すと「時の流れ」を感じてしまう。

現在の衆議院議長河野洋平氏(現在72歳)は新自由クラブの初代代表だったが、次期衆議院選挙には立候補せずに政界から引退する事になっている。新自由クラブ解散後、自民党に復党した彼。自民党総裁を務め乍ら、首相就任しなかった最初の議員になりそうだ。

新自由クラブ解散後、所属議員が次々と自民党に復党して行く中で、恐らく唯一復党しなかったのが初代副代表だった田川誠一氏(現在90歳)。筋を通した姿勢が、政治家としてと言うよりも人間として好ましく感じていた。1993年に政界を引退。

初代幹事長だった西岡武夫氏(現在72歳)は1980年に自民党に復党し、1988年には文部大臣に就任。現在は民主党に在籍し、参議院議院運営委員長を務めている。

初代の国会対策委員長を務めていた山口敏夫氏(現在68歳)のその後は、嘗ての新自由クラブ所属議員の中で最も劇的と言えよう。小柄な体格で派手なパフォーマンスを繰り広げていた彼は「政界の牛若丸」等と呼ばれ、同党の中でも一番目立つ存在だった。新自由クラブ解散後に自民党に復党し、1984年には労働大臣を務める等存在感を示し続けて来たが、1994年に新進党の結党に参加。しかし翌1995年、東京協和及び安全という2つの信用組合(同年東京共同銀行に統合。)による乱脈融資事件に関与したとして衆議院で証人喚問を受け、その年の12月に背任、業務上横領、詐欺の共犯容疑で逮捕。新進党を離党する事に。1996年には政界から事実上引退をしたが、その後に懲役3年6ヵ月の実刑が確定。2007年3月22日に収監された。現在も“塀の中の住人”という事になる。

*1 「新自由クラブに関連する主な政治家の一覧」を見ると、意外な顔触れに驚かされる。中川秀直氏に鳩山邦夫氏、野末陳平氏、中村鋭一氏、そして水野晴郎大先生の名前迄。

コメント (5)    この記事についてブログを書く
« 「終末のフール」 | トップ | パッと思い浮かぶ有名人は?... »

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
“フォー”リーブスで無くなるんですね… (さのかづみ http://m-c89c98dfca4ba000-m.cocolog-nifty.com/blog/)
2009-01-29 02:05:03
こんばんは。夜分遅く失礼します。
青山孝(孝史)さん、亡くなられたんですね…。癌を患ってる話は聞いていたのですが…。
子供の頃、新御三家,ジュリー,そしてフォーリーブスに憧れたものでした。

合掌…
返信する
Unknown (マヌケ)
2009-01-29 15:57:56
フォーリーブスがテレビで歌っている頃、私は甲虫標本にウットリ見とれる変な小学生で、あまり歌謡曲にも関心がありませんでした。 高校生の叔母がサッポロ一番を作ってくれ、祖父の屋敷でレコードを聴きながら食べた記憶があり、具のキャベツの芯が喉につかえて吐きそうになり、涙目で食べたのを笑われました。 フォーリーブスの一員は小さい頃に見たマグマ大使に出ていた子供が大きくなったものだと、レコードのジャケツとを見て気づきましたが、叔母のキミコ姉ちゃんはあまり関心なさげに、ふぅーんという感じだったと思います。 ユリコ、ミドリ、エイカ、キミコと確か4、5人叔母がいましたが、キミコ姉ちゃん以外はフォーリーブスファンだったようで、黄色い声を上げると、祖母が「狂うちょる、ばかじゃなかろか、こげなもんがどこがええじゃろか」と言うので、やっぱりこの姉ちゃんたちは不良なのだろうかと少し不安になりました。 キミコ姉ちゃんは私の知らない英語の歌、カーペンターズやビートルズをむしろ好んで聴いていたことに感動し、母に「キミコ姉ちゃんが英語の歌とか聴きよる」と言った記憶もあります。 同級生の誕生会に呼ばれた時、靴下には穴が空いていて恥ずかしかったし、プレゼントは父の会社にあった画用紙の束で、それを渡した時の反応が?だったのですが、友達の家は製鉄のお偉いさんで、大きな御宅にステレオからカーペンターズが流れていました。 この曲知ってると思い鼻歌を歌うと、○○クンのお宅もこういうの聴くのと言われたのですが、当時自分家にあったのは確かマジンガーZなどのソノシートと母が聴く水前寺清子とか橋幸雄だったと思います。 数年後にはブルースリーのソノシートと郁恵ちゃんのドーナツ盤が加わります。 昆虫よりもアイドルのオッパイに関心が向くようになったのはある意味健全な証拠かとも思います。
返信する
リーブス (赤い三角定規)
2009-01-29 18:11:05
その世代よりは上ですが、親しんでいたことは間違いない年代です^^;。
でもター坊が亡くなってしまうなんて…。
悲しいですし、なんだか遠ざかる1970年代、ですよ…。
返信する
>マヌケ様 (giants-55)
2009-01-29 20:04:31
書き込み有難う御座いました。

それ迄に流行っていたGSが年長者には不良の象徴の様に思われていた様ですが、それとは全く違う爽やか路線だったのがフォーリーブスだったのかなあと。特に青山氏は優等生といった印象(七三分けの髪型等。)が強かった。

江木氏を最初に知ったのは、やはり「マグマ大使」。ガム役の子は芸能界から引退し、運送業に従事しているという話を昔聞いた事が在りますが、今はどんな感じになっているんでしょうね。
返信する
>赤い三角定規様 (giants-55)
2009-01-29 20:10:13
書き込み有難う御座いました。

自分の場合はファーリーブスに夢中になっていた世代よりは下なのですが、それでも女の子達がキャアキャア騒いでいたのは覚えています。本当に人気が在りましたからね。青山氏は小さい御子さんが居られるという事で、さぞかし無念だったと思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。