ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

自分が“被害者”の立場になっても、同じ事が言えるのだろうか?

2018年08月04日 | 其の他

少し古い話になってしまうのだが、「東京医科大学の裏口入学疑惑」に関して、「高須クリニック」の高須克弥院長が「自分も裏口入学だった。」と明らかにしていた。

 

彼は昭和大学医学部を卒業しているが、学部を受験した際に付いて自身のツイッターで、母子家庭の開業医で父親が卒業生で1次試験の成績が良かったので、2次試験は死んだ父親を良く知っている教授が担当してくれて世間話だけ。入学金も、半額に負けてくれた。昭和医大は、人情の判る素晴らしい大学だった。何が悪い。と記していた。

 

「母子家庭の開業医で父親が卒業生」という部分が表現的に判り難いのだけれど、「(自分は)母子家庭の開業医(の家に育ち)、(亡くなった)父は(昭和医大の)卒業生」という意味なのだろう。

 

「1次試験の成績が良かった。」というのは飽く迄も高須院長自身の主張で在り、其れが事実なのかは当人のみぞ知るだ。「1次試験の成績が良かった。」というのが事実として、又、“そういう制度”が在ると仮定したら、高須院長のケースは“裏口入学”では無く、“特待生としての入学”というのが正しいだろう。

 

私立大学なのだから、“独自の基準”で入学させても構わない。」、「家庭的に恵まれない受験生に便宜図るというのは、実に人情的な大学で在る。」といった考えから、高須院長は「何が悪い。」と主張したのだろうけれど、若し“特待生制度”というのが無いのに、“特別な形”で入学させたとしたら、其れは問題だろう。又、私立大学とはいえ、から少しでも資金援助を受けているならば、「何をしても自由。」という訳にはいかない。

 

そして、何よりも疑問に思うのは「人情の判る素晴らしい大学」という部分。大学には入学定数というのが決まっているのだから、高須院長が入学した分、間違い無く1人は不合格になっている。「其の不合格となった人物が1次試験で、高須院長より良い点数、又は同じ点数だったら、どうなのか?」、「其の人物が高須院長と同じく母子家庭だったら、どうなのか?」、もっと言ってしまえば、高須院長の様な形で不正に合格した人物がて、其の煽りを受けて、本来合格出来る点数だったのに不合格となったとしても、高須院長は「人情の判る素晴らしい大学。」と言えるのだろうか?

 

寄付活動等、評価している部分も在る高須院長だが、其の主張には「自分が良ければ、全て良し。」的な物が見受けられ、「何だかなあ・・・。」と思ってしまう事が結構在る。

 

何度も書いているけれど、「男女関係の問題は、『明白に違反したり、第三者に迷惑を掛けたりする。』場合を除いては、当事者間で解決すれば良い話で在って、第三者がああだくこうだ口出す事では無い。」というのが自分のスタンス。そんな自分だが、「大好きな有名人が不倫騒動を起こした際、『(不倫した)Aは、全く悪く無い。不倫されたAの家庭に問題が在るのだ!』という感じで、不倫した有名人を異常に庇っている人達。」を見掛けると、「彼等は自分が“不倫された側”になっても、全く同じ事が言えるのかなあ?」と思ってしまう。

 

又、此れも過去に書いたけれど、親戚に「コネも実力の内。」と言って憚らない者が居る。自分は此の主張に全く反対なのだが、彼は「コネによって他人が利益を得、其の煽りで自分や自分の身内が不利益を被る事になった。」としても、変わらずに「コネも実力の内。」と言えるのだろうか?

 

「自分は、絶対に“被害者”の側にはならない。」と無根拠に思い、自身にとって都合の良い主張をする。「自分が“被害者”の側になったら、どう思うだろうか?」という事なんか、少しも頭の中に無いのだ。


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2 コメント

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>悠々遊様 (giants-55)
2018-08-05 00:04:17
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

先日頂戴した書き込みに対しても書かせて貰ったのですが、人間誰しも好き嫌いは在るし、どういう考え方で在れ、心の中で持っているのは全くの自由だと思うのです。悠々遊様に関しては「非常にリベラルで真っ当な方。」という認識が在りますので、確かにLGBTへの御考えは意外でも在りましたけれど、だからと言って悠々遊様は其れを表に出し、排除に向かうという訳では全く無い。そういう意味でも、矢張り真っ当だと思います。

「自分の考えこそが唯一無二的に正しく、其れ以外の考えは排除して構わない。」というのは、選民意識が強い人により多く見られる気がしますね。自分と少しでも違った対象を、嬉々として排除する。でも、「そういう果てには、自分自身が排除される側に回る。」という、過去の歴史に幾らでも見受けられる現実を彼等は判っていないのでしょう。
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Unknown (悠々遊)
2018-08-04 17:29:02
こんにちは。
残念な事ですがそういう人たちは一定数いるようですね。
特に、成功体験がある人や恵まれた環境で育ち、敗者や自分たちとは違う環境におかれた人の痛みに気づく機会のなかった人たちに、それが多い気がします。
先の「LGBT」の件に関しては、私もそうなのかもしれませんが。

政治、宗教、経済界にかかわらず「自分たち選ばれたエリートがこの国を動かし、導いていく」といった選民思想が21世紀の世界を覆ってきているように感じられいます。
これも一種の先祖がえりでしょうか。
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