政府が9月2日に青森県八戸市で主催した「教育改革タウン・ミーティング」で、内閣府等が参加予定者に対して「教育基本法は見直す可きだ。」等、教育基本法改正に賛成の立場で質問する事を事前に依頼していた事が明らかとなった。具体的な質問案が列挙された”依頼書”には、「あくまで自分の意見を言っている感じで」とか「棒読みは避けて」等の”懇切丁寧な”注意書き迄記されていた。
内閣府側は「会場からの活発な意見を促す目的で、参考になる資料を提供する事も在る。全てでは無いが、参考資料を作成した。」と質問案の作成を認め、安倍首相は「タウン・ミーティングは国民との対話の場で在り、そうした誤解が在ってはならないと(内閣府側に)注意した。」と述べたという。
良くもまあしゃあしゃあと、「参考になる資料」だとか「誤解」だとか言えたものだと感心するばかり。これは明らかに、「教育基本法改正を推し進める為に、政府が世論誘導を図った。」としか考えられないではなか。
「政府が国民の生の声を吸い上げる。」というのが、タウン・ミーティングのそもそもの目的だろう。この目的自体は決して悪くない。しかし小泉前首相の頃より、このタウン・ミーティングが単なる政治家達のアピールの場としか自分には思えなかった。さも国民の声を聞いているが如く振舞いながら、その実は国民の不平&不満のガス抜きと、「私達は御覧の様にちゃんと働いてるのだから、次の選挙では自分に投票して下さいよ!」というアピールをする。そんな無意味さを感じていたのだが、よもや桜を仕込んで迄世論誘導を図ろうとしていたとは・・・。
メディアを上手く利用して政権基盤を確固たるものにし、長期政権を維持して来た”毒”が、政府・与党には骨の髄迄染み渡っているという事か。本来の目的が忘れ去られたタウン・ミーティングならば、その存在意義が在るとは思えない。即刻止めるべきだ。貴重な税金を、世論誘導の為の手段に費やして貰いたくない。
そして案の定と言う可きか、首相補佐官の存在意義も疑問視され始めている。先月の25日に行われた衆院議院運営委員会理事会で、民主党が「首相補佐官の国会答弁を認める可べきではないか?」と質した所、与党は「大臣や副大臣、政務官が答弁する事で説明責任は充分に果たしている。」として拒否の姿勢を示した。
内閣法の第19条第1項には、「内閣官房に、内閣総理大臣補佐官5人以内を置く事が出来る。」と定められている。又、補佐官の職務に付いては同条第2項に「内閣総理大臣補佐官は、内閣の重要政策に関し、内閣総理大臣に進言し、及び内閣総理大臣の命を受けて、内閣総理大臣に意見を具申する。」と在る。これ迄、「”原則的に”補佐官は国会答弁しないのが”慣例”。」というが、本来その事案を管轄する大臣よりも意識的に動き回り&記者会見を繰り広げている補佐官も居るというのに、「補佐官は答弁不要。」という原則や慣例はどんなものか。
以前にも書いたが、事に当たるには少数精鋭主義に越した事は無い。対応する窓口を多くすれば多くする程、”現場”は混乱を来たすだけ。表現は宜しくないかもしれないが、「答弁、即ち説明責任を果たさなくて良い立場の人間がウロチョロされるのは、現場にとって迷惑以外の何物でも無いだろうし、補佐官の言いっ放し&遣りっ放しを黙認する事に繋がる。」と懸念している。これ又、存在意義に疑問在りだ。
内閣府側は「会場からの活発な意見を促す目的で、参考になる資料を提供する事も在る。全てでは無いが、参考資料を作成した。」と質問案の作成を認め、安倍首相は「タウン・ミーティングは国民との対話の場で在り、そうした誤解が在ってはならないと(内閣府側に)注意した。」と述べたという。
良くもまあしゃあしゃあと、「参考になる資料」だとか「誤解」だとか言えたものだと感心するばかり。これは明らかに、「教育基本法改正を推し進める為に、政府が世論誘導を図った。」としか考えられないではなか。
「政府が国民の生の声を吸い上げる。」というのが、タウン・ミーティングのそもそもの目的だろう。この目的自体は決して悪くない。しかし小泉前首相の頃より、このタウン・ミーティングが単なる政治家達のアピールの場としか自分には思えなかった。さも国民の声を聞いているが如く振舞いながら、その実は国民の不平&不満のガス抜きと、「私達は御覧の様にちゃんと働いてるのだから、次の選挙では自分に投票して下さいよ!」というアピールをする。そんな無意味さを感じていたのだが、よもや桜を仕込んで迄世論誘導を図ろうとしていたとは・・・。
メディアを上手く利用して政権基盤を確固たるものにし、長期政権を維持して来た”毒”が、政府・与党には骨の髄迄染み渡っているという事か。本来の目的が忘れ去られたタウン・ミーティングならば、その存在意義が在るとは思えない。即刻止めるべきだ。貴重な税金を、世論誘導の為の手段に費やして貰いたくない。
そして案の定と言う可きか、首相補佐官の存在意義も疑問視され始めている。先月の25日に行われた衆院議院運営委員会理事会で、民主党が「首相補佐官の国会答弁を認める可べきではないか?」と質した所、与党は「大臣や副大臣、政務官が答弁する事で説明責任は充分に果たしている。」として拒否の姿勢を示した。
内閣法の第19条第1項には、「内閣官房に、内閣総理大臣補佐官5人以内を置く事が出来る。」と定められている。又、補佐官の職務に付いては同条第2項に「内閣総理大臣補佐官は、内閣の重要政策に関し、内閣総理大臣に進言し、及び内閣総理大臣の命を受けて、内閣総理大臣に意見を具申する。」と在る。これ迄、「”原則的に”補佐官は国会答弁しないのが”慣例”。」というが、本来その事案を管轄する大臣よりも意識的に動き回り&記者会見を繰り広げている補佐官も居るというのに、「補佐官は答弁不要。」という原則や慣例はどんなものか。
以前にも書いたが、事に当たるには少数精鋭主義に越した事は無い。対応する窓口を多くすれば多くする程、”現場”は混乱を来たすだけ。表現は宜しくないかもしれないが、「答弁、即ち説明責任を果たさなくて良い立場の人間がウロチョロされるのは、現場にとって迷惑以外の何物でも無いだろうし、補佐官の言いっ放し&遣りっ放しを黙認する事に繋がる。」と懸念している。これ又、存在意義に疑問在りだ。
為政者がマスメディアを使って世論誘導するというのは、とても危険で在り恐ろしい事だと思うんです。大東亜戦争の半ば以降、日本軍は連戦連敗の完全な負け戦を続けていたにも拘らず、大本営発表では「鬼畜米英を完膚無き迄に叩きのめした。」といった勇ましい嘘を垂れ流し続けていました。それによって我が国の国民は、「今は苦しいけれども、もう直ぐ来るで在ろう勝利の日を信じて頑張ろう!」と泥沼の事態に突入させられていった訳です。
事程然様に、為政者による世論誘導に並々ならぬ警戒心をマスメディア自身が持たなければならない筈なのに、仰る様にマスメディア自身が今回の一件を軽く捉えている様な節が感じられ、「まともな判断力が麻痺してしまっているのか?」、はたまた「マスメディア自身が、やらせを始めとした虚像を作り上げるのに汲々としている為、おかしな事がおかしいと思えなくなっているのか?」と懸念を覚えてしまいます。
マスメディア自身がまともな判断力を喪失してしまっているので在れば、最後の砦は国民個々が事の真相を見抜く眼力をより高める事に在るのでしょうが、ファースト・レディーに妙な愛称を付け、キャアキャア騒いでいる様なミーちゃんハーちゃんが目立つ中では、それも期待薄の気が・・・。
それにしてもマスコミはこの件を軽く考えてる節があるように見える。長年“怪しげ”なことがないとボンヤリしてしまうのか、保身に走っているのか、はたまたマスコミの人間に現政権・首相の思想に近い人が多いからなのか、自分たちの首が締まっていっているかもしれないと常に意識しておかなければならないのに、それがマスコミ側から感じられないことを危惧する。“ただ流れのままに”が一番怖い。
結局、行政側としては自分達が仕切るイベントは、シャンシャン総会の様に全てが時間通りに、何の滞りも無く進められるかが重要で在って、その内容の充実度なんかどうでも良い事なんでしょうね。暗黙の上ではそうだろうなと思っていても、国民が参加する重要な位置付けの”筈の”会合でああも露骨な桜の存在が暴露されたのですから、もっと国民は怒るべきだと思うんです。だって、「御前等こういった形で誘導すれば、付和雷同的に従って来るアホなんだよ。」と言われている様なものですからね。
タウン・ミーティングに参加している人達の中には、勿論真剣に議論をしたいと思っている人や、活発な意見交換に耳を傾けたいと思っている人も居るとは思います。でも、TVで見知った顔が見られるんで”取り敢えず”スターに会いに行く様な感覚で参加してみようかといった、所謂ミーちゃんハーちゃんも少なくないのではないかという気がしています。そういう意味では、政府側にとってもアピール出来る在り難い場所で在り、ミーちゃんハーちゃんの好奇心を満たす在り難い場所なのではないかと。自分の場合、「ありがたや節」が思い浮かびました(笑)。それ程アホらしい、でも笑ってばかりはいられない酷いニュースです。
それにしても、内閣府も嘘を付くならもっと上手い嘘を付けば良いのにと思ってしまう程の御粗末さですね。
♪揃ろた揃ろたよ 質問揃ろた
秋の チョイチョイ
出番サクラ また揃ろた
ハァ ヤラセーマカショ で シャンシャンシャン♪
♪花の国会 もみけしの天才
嘘も チョイチョイ
ながれるお話を
ハァ ウッソーマカショ で シャンシャンシャン♪
♪おらが在所ヘ 来てみてしゃんせ
米の チョイチョイ
なるほうへおじぎする
ハァ 合掌ーマカショ で シャンシャンシャン♪
目出度目出度の 我が町会よ
えさも チョイチョイ
与えて 歯も浮かす
ハァ ヨイショーマカショ
文科省 誘導ーマカショ で シャンシャンシャン♪
余りにも アホらしいので、鳴り物入りで乱入、
バカ笠音頭を踊ってしまいました。 お粗末さま!
昨年の総選挙における選挙戦術にしても、自らの主張を呼びかけるというよりはイメージ戦略で世論をひきつけようとしています。もっともこれは日本だけではありませんが。
官邸機能の強化も良いのだけど小泉政権では官僚が各省大臣を飛び越して何でも官邸に持ち込むようになってしまってました。これは政治から政治家を排除する危険な兆候です。
私はむしろ各省の幹部を外部から登用する制度をつくるべきだと思います。
そのアメリカでは「キッシンジャー補佐官」の精力的な活動が記憶にありますが、棲み分けの出来てなさそうな日本でもそうなるのでしょうか。