芸能人を例に挙げるならば山城新伍氏や大原麗子さん、そして先日亡くなられた山口美江さん等、全盛期の華やかさを知っているだけに、其の最期に憐憫の思いを禁じ得ないケースが在る。勿論、傍目からは「気の毒に・・・。」と感じてしまう最期で在っても、当人からすれば「良い人生だった。」と満足し乍ら、黄泉の世界へと旅立ったかもしれないが。
昔からずっと思っていた事だけれど、周りの近しい人間が徐々に鬼籍に入り出した頃からは一層、「人生の幸不幸って、其の人の人生が終わってみないと、何とも言えない。」という思いが強くなっている。
若い頃より、苦労知らずで育って来た様な叔母が居る。結婚して以降は「そこそこ裕福。」と言える様な生活を送って来ていたのだが、高齢者と呼ばれる年代の少し前辺りから、「不幸」を感じさせる事柄が次々に起こり、挙げ句に彼女自身が難病に罹患してしまった。現代医学では完治が見込めず、病の進行を遅くさせるのが精々というのが実状。症状の悪化を伝え聞く度に、遣る瀬無い思いになってしまう。人生の終盤になって、不幸がどっと押し寄せたという感じが在る。
「幸福」や「不幸」の“尺度”は人其れ其れだし、一概には言えないのは判っているけれど、「一部の人を除いたら、『人生の幸福累計』から『人生の不幸累計』を差し引いたら、多くは余り変わりが無いのかもしれないなあ。」と思ったりもする。「そうでも思わないと、遣り切れない。」という気持ちが在るのも事実だが・・・。
自分はどうなることやら…
奥さんに威張り散らかしていたからこそ、心の何処かに罪悪感をずっと抱え続け、其れで奥さんの介護に専念されていたのかもしれませんね。介護は本当に重労働と思うし、其れで心身共に老け込んでしまったのかもしれませんが、でも罪悪感を少しでも減じられたとしたら、旦那さんも其の点では救われた感が在るかも。