「口から出れば世間」という諺が在る。「一旦口に出した事は、何時の間にか 世間に広まるから、良く考えてから口に出しなさい。」という意味。「不用意に口にした言葉の所為で、取り返しの付かない事になってしまった例。」を、此れ迄に数多目にして来た。
1980年代から1990年代前半に掛けて、数多くのヴァラエティ番組に出演していた山田邦子さん。当時、何年もの間“好感度No.1タレント”に選ばれ続けていた彼女は、正に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。然し、そんな彼女も1995年を境に人気が急落し、表舞台からフェードアウトして行く事に。
「露出度が高過ぎて、芸風が飽きられてしまった。」等も在ろうが、人気が急落した最大の理由は、“或る事件”が切っ掛けだった様に思う。1995年冬、「彼女が、既婚男性と不倫している。」という話が大きく取り上げられ、芸能レポーターから執拗に追い回されていた彼女が打ち切れた事件だ。芸能リポーターの井上公浩氏に対して彼女は「御前、持てないだろ?」、「馬鹿じゃないの!」等と罵倒。
人間的に井上氏は自分も好きじゃ無いし、執拗に追い掛け回されて腹が立っていたのは理解出来るけれど、御笑いタレントとして生きている彼女ならば、批判するにしても笑いを交えるべきだった。真剣に打ち切れている彼女の姿を目にして、どん引きしてしまった人は多かったろうし、結果として笑いに転じられなかった事に幻滅し、彼女から離れたファンも結構居たのではないだろうか。
「男が惚れる男」というのが居る。変な意味では無く、「同性で在っても惚れてしまう位、魅力的な人物。」という事。自分の場合、福山雅治氏はそんな1人。イケメンで在り乍ら気取っておらず、寛容的な雰囲気なのが好感を持てる所。
そんな彼の人気が、急落していると報じられていた。2年振りにリリースしたニューシングルの売れ行きが芳しく無いのだとか。リリース初週の売り上げ枚数で言えば、前作の3分の1程に激減。「2年前に女優・吹石一恵さんと結婚した事で、女性を中心にファン離れが進んだのではないか。」という事だった。
「男女を問わず、アイドル的な立場の人が結婚すると、人気が下がる。」というのは、良く在る話だ。「福山氏の場合も、其の例外では無かった。」という事なのかもしれないが、個人的には“或る事件”が、人気急落の大きな切っ掛けだった様な気がしている。
去年5月、福山夫妻が暮らすマンション居室に、1人の女性が不法侵入し、逮捕された。外出していた吹石さんが帰宅した際、侵入ていた女性と鉢合わせになったと言う。女は此のマンションでコンシェルジュとして働いており、「ギターが好きで、福山さんのギターを見てみたかった。」と、合い鍵を使って侵入。許されない話で在る。
で、其の女性の裁判が開始された時だったと思うが、福山氏が記者に語った言葉を目にした。「事件前と同じ生活が送れなくなった。妻も不安で、恐怖を感じている。きちんと懲役刑を受けて欲しい。」と“厳罰”を求める内容。
吹石さんの恐怖が如何程だったかは想像出来るし、愛する妻を思って怒る福山氏というのも理解出来る。でも、彼の寛容な雰囲気に好感を持っていた自分からすると、実際に思っていなくとも、「彼女は許されない事をしたけれど、きちんと罪を償って、遣り直して欲しい。」といった様な“柔らかな言い方”をすると思い込んでいたので、こんなにも強い怒りを彼が露にした事はとても意外で、「ファン離れが進まなければ良いが。」という懸念が。
実際に此の発言が、ファン離れに大きく影響したのかどうかは判らないけれど、山田さんの件といい、「口から出れば世間」というのを痛感させられる一件では在った。
投手は投球が売り物です。山口俊投手の場合、暴力事件をおこしたのはいけません。でも、それと彼の仕事の投球とは別問題です。野球の投手には人格は求めてません。すぐれた投球を求めているのです。ですから、刑事上のお仕置きを受けた後は、彼が優れた投球をするのならば、巨人はまた彼をマウンドにおくればいいと思います。巨人はよく「巨人の選手は紳士たれ」といってますが、わたし自身はプロ野球選手に紳士を求めてません。すぐれた野球選手を求めているのです。
自分も山田邦子さんの芸風は好きじゃなかったし、特に徒党を組んで色々始めて以降は、「〇〇軍団」だ「XXファミリー」だと群れて自分の存在を誇示する様な事が大嫌いという事も在って、殆ど彼女には興味が無くなった。
不倫等、男女間の問題に関しては、個人的にどうでも良い事だと思っています。芸人で言えば、芸が面白くて何ぼの世界。違法行為で無い限り、高潔さなんて求めていない。唯、芸人で在る以上、仮令意に沿わない質問をされ様と、打ち切れるというのは失格だと思うんです。「きつい質問にも、笑いで返す。」というテクニックが芸人には求められるだろうし、そういう意味では大好きな芸人の1人では在るけれど、ビートたけし氏の“フライデー殴り込み事件”には失望した。彼に同情する余地は在るけれど、どういう事情にせよ殴り込みじゃあ笑えない。
山口投手の件、暴力事件は絶対に許されない。然るべき罰を受け、猛省して欲しい。でも、雫石様の書かれている様に、然るべき罰を受け、そして猛省したならば、後は本業の野球で頑張れば良い。ファンの中には選手の高潔性を求める人も居られ様が、自分はそういうのを求めないし、優れたプレーを見たい。
自分自身が人格高潔でもないのに他人にそれを求めるのはお門違い、というのも分かります。
でも私の感覚としては「ちょっと違うな」というのがあります。
芸人、スポーツ選手に限らず、タレント性のある職業のそれも一流と目されている人物は、世間への露出度からも、その職業的練度の高さに加え、人格的練度の高さも合わせて期待されているのだと思います。
事の良し悪し等がちゃんと理解できる大人ばかりが見ているわけではありません。理解の未熟な子供(実年齢ばかりでなく)が、有名人が(は)ああいう事をやっても許されるんだ、と思い込んでは困るから、彼らにはお手本になってほしいという、世間の期待があるのだと思います。
そこのところをすっ飛ばして、職業として一流ならそれでよし、人格まで求めるのはお門違い、と正論で片づけられてしまうと「ちょっと違うな」と。
「判断能力に乏しい子供達の目も在るのだから、著名人は彼等の御手本たり得る様、身を律する必要が在る。」というのは決して否定する気は無いし、そういう人達が多く在って欲しいという思いも在ります。実際、自分が王貞治氏という人物を愛して已まないのは、彼がそういう人間で在るからです。「ああいう人になりたいなあ。」という思いは、昔からずっと在りましたし。
唯、現実問題としては、中々そういう人間が居ないのも事実だし、人間的に足りない人達を見て、逆に反面教師として捉える子供達というのも、“長い目”で見れば少なからず居るのではないかとも思っています。「技術面では凄いけれど、人間的な面では・・・。」、そう捉える子供達が「じゃあ自分は、両方を兼ね備える人間になりたい。」と考えてくれるので在れば、其れは其れで“技術的には凄いけれど、人間的には足りない人達”の存在価値も在る様に思うんです。考えが甘いかもしれませんが。