************************************************
「盲導犬利用の45%が受け容れ拒否経験 1年で10回以上の人も・・・障害者差別解消法7年『拒否減った感覚無い。』」(4月22日、東京新聞)
「盲導犬を利用する視覚障害者の45%が、2022年の1年間に、飲食店や医療機関等で受け容れを拒否されていた。」事が、日本盲導犬協会の調査で判った。「10回以上」拒否されたという人も居た。障害者差別解消法の施行から7年が経っても、差別として禁じられている「受け容れ拒否」が後を絶たない。
調査は、3月に221人を対象に電話とメールで行い、218人から回答を得た。2016年から毎年実施している。
「受け容れ拒否に遭った。」と回答したのは100人(45%)。新型コロナ禍で外出が制限された2020年は41%、2021年は35%と減少していたが、増加に転じた。協会は、コロナ禍が落ち着き、外出が増えた影響と見る。
受け容れ拒否が在った場所は、飲食店が92件(47%)と最多。宿泊施設が25件(13%)、電車やタクシー等の交通機関が24件(12%)、医療機関21件(11%)と続く。
協会によると、「医療機関で、受け容れを拒まれた。」という相談が増えている。
埼玉県内の60代女性は昨年11月、インフルエンザ・ワクチンの接種の為に内科クリニックを訪れた。受付で「待合室の端で待って。」と言われた後、医師から「盲導犬は入れないので、他の病院に行って欲しい。」と告げられた。此の為、別の医療機関で接種せざるを得なかったと言う。
「盲導犬を利用する様になって17年。受け容れ拒否が減ったというのは、私の感覚では無い。年に1、2回は在る。」。日本盲導犬協会の広報担当で、全盲の押野まゆさん(37歳)は、自身の生活を振り返り語る。
「言葉の壁」という新たな問題も出て来た。昨年4月、インド・カレー店に入った際「犬は一寸。」と、外国人店員に言われた。盲導犬だと説明したが、上手く伝わらなかった。普段利用している同じ系列の別店舗に電話し、其の店長が店員に説明してくれた事で、入れる様になったと言う。
「結果的に安心して利用出来る店になったが、似た様な内容の相談を受ける事は在る。」と明かす。外国人労働者が増えており、盲導犬に付いて多言語での周知も必要となっている。
盲導犬が居る事で、医療機関から日時を制限された経験も在ると言う。「其の時は、急を要する症状だったので、他の所に行った。盲導犬が居る事で、選択が狭まるのは困りますよね。」。
盲導犬は昨年3月時点で848頭が利用されているが、減少傾向。受け容れ拒否は、利用を躊躇わせる事にも繋がる。「利用者が活動範囲を広げる程、受け容れ拒否の問題は起きる。事業者は法律を理解し、働く人に周知を徹底して欲しい。」と話した。
************************************************
世の中、自分(gints-55)の様に犬が大好きな人許りでは無い。「犬が怖い。」とか、「犬は汚い。」等の理由から、「飲食店等の屋内に、犬が入ってくる事を嫌がる人。」も居る事だろう。そういう気持ちは、理解出来ないでは無い。
でも、「若し自分が、視覚障害者だったら?」という風に、我が身に置き換えて考えても、盲導犬が屋内に入る事を矢張り反対するだろうか?
「他の人の状況を、我が身の事として置き換えて考える。」というのは、確かに容易な事では無い。斯く言う自分も、「全盲の方が『外出した際、歩道に敷設されている視覚障害者誘導用ブロックの上に自転車等の“障害物”が置かれていて、危険な目に何度も遭った。目の見えない私にとって、視覚障害者誘導用ブロックは“目の代わりに安全を確保してくれる存在”で在り、そういう現実を多くの人が理解してくれたら嬉しい。』と投稿していた。」のを目にする迄、視覚障害者誘導用ブロックという物に、そう重きを置いていなかった。
でも、其の投稿を読み、想像してみた。「自分が全盲だったら、外出する際は白杖によって路面を探り、歩かなければいけない。そういう状況では、視覚障害者誘導用ブロックは凄く助かる筈だ。でも、其の視覚障害者誘導用ブロック上に何等かの“障害物”が置かれていたら、又は人が立ち止まっていたら、とても怖いし、危険な事だなあ。」とゾッとした。
盲導犬に付いて、過去に色々勉強した事が在る。“自分の感情”を厳しく律し、“主人”の為に只管尽くす盲導犬の姿に、涙が出てしまった。そんなにも厳しく訓練された盲導犬が、屋内で暴れたり、汚し捲ったりする事なんて、皆無に等しいだろう。視覚障害者にとっての盲導犬が何れだけ大事なのかは、我が身の事として置き換えて考えれば、普通に理解出来る筈だ。
そういう想像が出来ない人達の為には、国による周知活動が必要だろう。又、小学校での周知活動も意味が在りそう。子供達が現実を理解すれば、理解出来ない大人達に注意をする。子供達から注意されれば、余程の大人で無い限り、盲導犬への理解を深めるだろうし。
飲食店が拒否するのは「周りの客の反応」や「衛生面での懸念」を考えればわからないでもないけれど、医療機関が拒否するのは大いに問題あり。
「医は仁術」とはあまりにかけ離れた現実。
「わが身に置き換えて考える」のは思っている以上に難しいことなのかも。
もともと人間と動物の違いのおおきな部分が「想像力の有無」といわれますが、すべての人が「立場の違う相手の事を想像できる力」を持っていれば、世界に戦争などの致命的な争いも差別も起きないだろうから。
かくいう我が身を振り返っても、
障碍者はに自ら望んで障碍者になったわけではない、と思う一方で、
健常者と同じことをするには健常者の手助けが必要なことが多いにもかかわらず、
「健常者の手助けを『当たり前の事』としてお礼のひと言も言わない障碍者」を見聞きすると「なんだかなあ」と思うのは、自分に都合の良いときだけ「わが身に置き換えている」からかもしれないと思ったりして・・・。
正直難しい。
別に見返りを求めている訳では無くても、相手の為に手助けをした際、「有難う。」の一言を貰うだけで、滅茶苦茶嬉しくなったりはしますね。高が一言、然れど一言。」といった所でしょうか。
「我が身に置き換えて考える。」というのは、「言うは易く、行うは難し。」の1つ。昔、悠々遊様から色覚異常の話を伺い、「そういう事も在るのだな。」と目から鱗が落ちる思いでした。色覚異常、子供の頃は「色盲」と呼ばれていましたが、症状等は理解していた積りが、普段の生活の中で意識する事が全く無く、凄く反省した次第です。気を付けていた積りなのに、見辛い色を記事で再度使ってしまった時は、本当に申し訳無い思いでした。