未だに深い哀しみの淵から抜け出せないでいる。「ペットロス」なる症状は知っていたし、うちの犬が亡くなったら自分もそれに近い状態になるのではないかと思ってはいたが・・・。
このブログを始めた頃に、「ワンコへの注射は必要か?」という記事を書いた。その中で、うちの犬が不治の病に罹患し、何度も生死の境を彷徨ったものの、今は元気になった事に触れた。何時亡くなってもおかしくないと言われた命が再び”生”の炎を燃やし始めた事に、無神論者で在る自分もこの時ばかりは天に感謝したものだった。
今年になって、身内の者が子犬を飼い始めた。とてもヤンチャで人懐っこい犬。自分が遊びに行くと、尻尾を千切れんばかりに振りながら走り寄って来るのが常だった。小さな身体を抱き抱えると、一心不乱に自分の顔を舐めて来る可愛い奴。11歳を迎えたうちの犬とは祖父と孫程の年の差が在り、最初に顔合わせした時はその余りの元気の良さに、うちの犬が逃げ回っていたものだった。でも、何度か顔合わせして行く中で、徐々に御互いが慣れて行っていた。「このチビが或る程度大きくなる迄は、うちの犬も生きていて欲しい。」とずっと思っていた。なのに・・・。
元気でヤンチャだった子犬の方が先に逝ってしまった。帰宅途中に身内の家に寄った際には、何時もと変わらないヤンチャで元気な姿を見せていたのに、それから間もなく容態が急変。「様子がおかしい。」との電話を受け、自宅から車を飛ばして、その子を動物病院に運ぶべく迎えに行った。車中で何度か大きな深呼吸をした後動かなくなってしまったが、人工呼吸を施して病院内へ運び込んだ。それ迄に病気らしい病気はした事の無い元気な子。そして、未だ1歳にもならない生命力の溢れた身体からは、死の影を感じ取る事等全く無かった。でも、必死の救命措置も虚しく、天国に旅立ってしまった・・・。
火葬して貰った後に残った小さな骨。それ迄に何度も滂沱し、もう涙も枯れ果てたと思っていたが、余りにも小さい骨片を目にして、その短過ぎた一生に涙が溢れた。「いぬのえいが」の最後のエピソードを見た時に、その飼い主の思いが痛い程判ったが、現実はそれ以上の哀しみを伴うものだった。生きとし生けるモノ全てが必ず通る道では在るのだが、それは判っていても何とも辛かった。
死因となった病は、完治するものではなかったと後から知った。突然死するケースも多いのだそうだ。最愛なる我が子を失った身内の心中は、自分の比ではなかろう。でも、傍目から見てもあれだけ可愛がられた子はそうは居なかったと思うし、1年に満たない蜻蛉の如き短い一生だったが、幸せな時間を過ごせたのではないかと思いたい。最後の一瞬は苦しんだかもしれないが、それ迄の濃密で幸せな時間に救いを求めたいし、皆に幸せを運んでくれた小さな天使に心から感謝の思いが募る。
本当に有難う。今頃は天国でヤンチャに走り回っているんだろうね・・・。
このブログを始めた頃に、「ワンコへの注射は必要か?」という記事を書いた。その中で、うちの犬が不治の病に罹患し、何度も生死の境を彷徨ったものの、今は元気になった事に触れた。何時亡くなってもおかしくないと言われた命が再び”生”の炎を燃やし始めた事に、無神論者で在る自分もこの時ばかりは天に感謝したものだった。
今年になって、身内の者が子犬を飼い始めた。とてもヤンチャで人懐っこい犬。自分が遊びに行くと、尻尾を千切れんばかりに振りながら走り寄って来るのが常だった。小さな身体を抱き抱えると、一心不乱に自分の顔を舐めて来る可愛い奴。11歳を迎えたうちの犬とは祖父と孫程の年の差が在り、最初に顔合わせした時はその余りの元気の良さに、うちの犬が逃げ回っていたものだった。でも、何度か顔合わせして行く中で、徐々に御互いが慣れて行っていた。「このチビが或る程度大きくなる迄は、うちの犬も生きていて欲しい。」とずっと思っていた。なのに・・・。
元気でヤンチャだった子犬の方が先に逝ってしまった。帰宅途中に身内の家に寄った際には、何時もと変わらないヤンチャで元気な姿を見せていたのに、それから間もなく容態が急変。「様子がおかしい。」との電話を受け、自宅から車を飛ばして、その子を動物病院に運ぶべく迎えに行った。車中で何度か大きな深呼吸をした後動かなくなってしまったが、人工呼吸を施して病院内へ運び込んだ。それ迄に病気らしい病気はした事の無い元気な子。そして、未だ1歳にもならない生命力の溢れた身体からは、死の影を感じ取る事等全く無かった。でも、必死の救命措置も虚しく、天国に旅立ってしまった・・・。
火葬して貰った後に残った小さな骨。それ迄に何度も滂沱し、もう涙も枯れ果てたと思っていたが、余りにも小さい骨片を目にして、その短過ぎた一生に涙が溢れた。「いぬのえいが」の最後のエピソードを見た時に、その飼い主の思いが痛い程判ったが、現実はそれ以上の哀しみを伴うものだった。生きとし生けるモノ全てが必ず通る道では在るのだが、それは判っていても何とも辛かった。
死因となった病は、完治するものではなかったと後から知った。突然死するケースも多いのだそうだ。最愛なる我が子を失った身内の心中は、自分の比ではなかろう。でも、傍目から見てもあれだけ可愛がられた子はそうは居なかったと思うし、1年に満たない蜻蛉の如き短い一生だったが、幸せな時間を過ごせたのではないかと思いたい。最後の一瞬は苦しんだかもしれないが、それ迄の濃密で幸せな時間に救いを求めたいし、皆に幸せを運んでくれた小さな天使に心から感謝の思いが募る。
本当に有難う。今頃は天国でヤンチャに走り回っているんだろうね・・・。

で、この方面のお話には非常に(涙腺が)弱いのですが…飼い主様やgiants-55様のかけられた愛情が私にも容易に想像できますし、また受けた愛情の分、こいぬは本当に幸せだったと思います。
少しずつ気持の切り替えが出来てきましたが、それでも夜布団に入るとあの子の顔が浮かんで来てしまいます。身内の者は、気分転換に外出してはいるものの、家に帰って主を失ったケージを見る度に堪らない思いが沸いて来る様です。
言っても仕方ない事なのですが、余りにも早過ぎる死でした。これから成長記録をドンドン撮って行こうと思っていた様で、少ない写真の枚数を思っては後悔する状況。「ああして上げれば良かった。こうして上げれば良かった。」と繰り言が出てしまうと言っておりましたが、人間どれだけ一生懸命やっていても、突然に”時間が止まってしまう”と繰り言は出てしまうもの。「成した事がベストだったのだ。」と思う様にしないととは話したのですが、そう言っている自分自身が又後悔している状況なのですから、説得力が無いですね(^o^;;;。
これからも宜しく御願い致します。
私が学生の頃、初めて屋台でミニウサギを買いました。屋台のおばあさんの「ウサギは水を飲まないから、水はいらない。餌はおむすびでいいよ」という言葉を真に受け、ご飯だけをやっていました。当たり前ですが、水を飲まないウサギは徐々に弱っていき、自分の尿を飲み、それでも水分が足らず、立っている力もなくなりました。慌てた私は急いで叔母と動物病院に駆け込みましたが、お医者さんに手遅れと言われました。ウサギは私の腕の中で、私の顔を見ながら亡くなりました。今でも涙があふれてきます。あの時私がしっかりウサギの飼いかたを勉強していれば、ウサギは死なずに済んだのに。
それからは動物を飼うときにはその動物の飼いかたを調べるようにしています。二度と同じ過ちを繰り返さないように。
大事なペットが死んでしまうのって、本当に悲しいですよね。今うちには猫が2匹いますが、もし死んでしまったら・・なんて考えられません。ペットロスに対しての心理学的な治療も最近では行われているそうです。
老人ホームでは動物にふれあい元気になった方が多いと聞きます。動物って人間にいっぱい元気をくれるんですね。
なんだか支離滅裂になってしまいました。すみません。