昨夜は、相模大野で行われている「もんじぇ祭り」に行って来た。此処数年、「此の祭りに参加し、夏を締め括る。」というのが常となっている。多くの屋台で供される飲食物に舌鼓を打ち、レイニーウッドの野外ライヴで歌を口遊み、そして締めの打ち上げ花火に興じる。今年も、楽しい1日を過ごす事が出来た。
で、帰宅してネット・ニュースを見たら、「今年の“24時間テレビ”、チャリティー・マラソンのランナーはブルゾンちえみさんに決定。」と報じられていた。「一般人数人が、ランナーとして走るのでは?」と予想していたが、全くの外れだった。
そして、今日未明、インターネットをしつつTVを点けたら、24時間テレビの1コーナーが放送されていた。「嵐にしやがれ生放送SP」という事で、嵐の面々が様々な挑戦をするという内容。其の中の1つに、「水面に顔を浸け、何れだけ我慢出来るかを競う。」という“水中息止め対決”が在り、海女さんに立石諒氏、金藤理絵さん、NEWSの増田貴久氏、そして嵐の大野智氏の5人が競った。
最初に顔を上げたのは海女さん。次が立石氏で、昨年のチャンピオンだった増田氏が3番目。残ったのは金藤さんと大野氏だったのだが、此処で番組スタッフの不手際が。残った2人は水面に顔を浸け、未だ頑張れそうだったのに、終了を告げるゴングを鳴らしてしまったのだ。両者共、「自分が勝ったのかな?」と思い、水面から顔を離したのだが、先に上げたのは大野氏で、結局、優勝者は金藤氏に。
未だ競えそうだったのに、スタッフの不手際で唐突な終了。其れも、番組の顔で在る嵐のメンバー・大野氏が優勝するかもしれなかったのにという事で、スタジオは気まずい雰囲気に。
でも、其の気まずい雰囲気を救ったのは、大野氏の“大人の対応”だった。嵐のメンバー・二宮和也氏が「大野さん、何で顔上げちゃったんですか?」と笑い乍ら尋ねた所、以下の様な遣り取りが為された。
*********************************
大野氏:「ん??判んない。何も判らず、顔を上げた。」。
二宮氏:「カンカンカンって聞いて、顔を上げたなら審議となりますけど。」。
大野氏:「え?何?」。
二宮氏:「苦しくて、顔を上げたって事ですか?」。
大野氏:「うん。苦しくて顔を上げた。」。
*********************************
昔から、其の時代を象徴するアイドルが競技に参加した時は、其のアイドルを“勝たせ”て、周りが「〇〇君(又は〇〇さん)凄い!流石、アイドルは違う。」等と煽てるのが常。万が一、“計算違い”でアイドルが負けてしまった場合は、非常に気まずい雰囲気になるし、同じジャニーズ事務所のキ〇タク氏なんかだったら、負け惜しみを言って、更に気まずさを増させてしまいそうな状況。
なのに、咄嗟に場の空気を読み、惚けた雰囲気で「ゴングなんて聞えなかったよ。自分が苦しかったから、顔を上げただけ。」という演技をした大野氏に、「大人の対応が出来る子だなあ。」と感心してしまった。
メディアは、本来、実社会とは直接関わりを持たないものですが、報道が悲報や日々の殺伐としたニュースを伝えざるを得ないのに対して、エンターテイメントは、視聴者と近いところにありますね。政治的には中立で、特に影響力を持たない、という意味では、エンタメの世界の主人公である事は、最も公共の為に資する無欲な人々だと思います。
タレントがしでかす色恋沙汰のスキャンダルが問題ではなく、異性にもてたいとか、目立ちたい、というのは、上昇心に繋がるものです。政治は悪く言われる事が、一つの宿命でしょうが、彼らが悪くないのは、その上昇心が「個人の為」、だから、勝手だという事です。対する政治は全体を巻き込み、社会を動かす事になるから、欲望が制されるべきなのでしょう。タレント議員などは、その個人と公人との間にある格差に気付かずに、失敗するのでしょうね。
“メディア慣れ”というのは大きいでしょうね。唯、テレヴィ番組に出捲っていても、こういう対応を取れず、場を凍らせてしまう人も居たりしますから、其の人が持つ人間性というのも、結構影響するのでしょう。
政治家の醜聞が続出。基本的に色恋沙汰は当事者間で解決すれば良い話で、一個人としてどうでも良い話なのですが、利権に纏わる醜聞、其れもみみっちいレヴェルの物が何度も何度も報じられるのは、本当に嫌になります。「政治資金に厳格な縛りを設け、例えば『2度問題を起こしたら(1度だと、誰かから陥れられる危険性も在るので。)、もう何親等以内は政治家に立候補出来ない。』とか、『得た利益の3倍を返金させる。』とかの厳しい措置。」を取れば、こういった醜聞は少なくなると思うのだけれど、そういう動きは全く無い。「国民受けする言動をするも、良く良く言動を精査すると、我が身に関する縛りは主張せず、国民から金を巻き上げる様な事しか言っていない小泉進次郎議員。」を多くが盲目的に支持している様な国民性ですから、所詮は「其の程度の国民が多い国では、其の程度の政治しか存在し得ない。」という事なのでしょう。
細川護熙が出馬した選挙では、反原発を掲げた小泉の協力はほとんどメディアから無視されていましたが、小泉をタブーとするのではなくて、自民党の新自由主義化において、議論のコアにならないといけないと思います。その中で、クリーンを売りにして来た小泉がメディアの中に埋没して一国民として余生を送りたいのなら、そうさせて、後継者の進次郎を立てるべきと思います。
飽く迄も私見なのですが、「『清廉潔白だけれど、全く無能な政治家。』よりも、『腹黒く、“或る程度”私腹を肥やしていても、其れ以上の国益を生み出す政治家。』の方が評価出来る。」と思っています。“清濁併せ呑む政治家”と言っても良いかもしれませんが、田中角栄しなんぞは、そんな政治家だった様に思います。
で、小泉純一郎元首相及び小泉進次郎議員に関しては、「パフォーマンスは非常に上手いけれど、中身が無い政治家。」と捉えています。クリーンさは在るかもしれないけれど、劇場型政治を主流にしてしまったという意味で、日本を変な方向に推し進めてしまった感が。
個人的には此の2人、人間的に嫌いなタイプでは無いけれど、政治家としては“害”の方が多かった(乃至は多い)様にも。飽く迄も私見ですけれど。