先月、「福岡県の赤村に在る丘陵は巨大な前方後円墳で、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないか?」という記事が、西日本新聞に載っていた。全長は約450mで、日本最大の前方後円墳「大仙陵古墳」(大阪府堺市)の墳丘長に迫る大きさ。後円部に当たる部分は直径約150mで、此れは魏志倭人伝に記されている卑弥呼の墓の直径記録と略一致するのだとか。
邪馬台国の所在地に関しては「畿内説」、「九州説」、「東遷説」、そして「四国説」等が在る。中でも有力視されているのは「畿内説」と「九州説」だが、赤村に在る丘陵が注目を集めた事で、九州説の巻き返しが予想される。
唯、具体的な発掘調査の目途は付いていない。「発掘には文化庁に届け出た上、厳しい審査が必要だし、丘陵地の地権者が発掘に反対している。」からだとか。発掘し、卑弥呼の墓と確定されれば、歴史的な大発見となるのだが・・・。
歴史的な大発見と言えば、昨日、「織田信長の骨発見か!?」というニュースが報じられた。信長と言えば天正10年6月2日(1582年6月21日)に起きた「本能寺の変」によって死亡したとされるが、焼け跡からは信長のみならず、小姓の森蘭丸等の遺骸が見付かっておらず、其れ故に「信長生存説」も流れていた。加藤廣氏の小説「信長の棺」等、謎多き事件「本能寺の変」に付いては、多くの説が存在する。
で、昨日報じられたニュースによると、京都府の或る寺院に苔生した無縁墓が在るのだとか。墓に刻まれた文字等が読み難い状態だったのでずっと放置されていたのだけれど、地元の歴史家が調べた所、織田家の家紋としても知られる木瓜紋が刻まれている事が判明。埋葬者は「慈喜 僧」となっているのだが、没年月日は「天正10年6月2日」と本能寺の変が起こった日と一致。此の近辺では昔から、「織田信長の骨が埋められている。」という言い伝えが在るのだとか。
中に骨が在るのかも含め、今後の調査によって色々判明するのだろうが、ファンの多い信長だけに、調査前に墓が荒らされる事が懸念され、実際に調査が始まる迄は、具体的な寺院名は明らかにされないそうだ。
歴史的な大発見となるのか?楽しみだ。
・・・と書いたが、今日は4月1日、エイプリル・フールの日だ。冒頭に書いた「卑弥呼の墓か?」というニュースは本当だが、信長の件は嘘。墓に記されていたとする「慈喜 僧(じき そう)」を逆に読むと、「うそ きじ→嘘記事」となる。
信長生存説では、漫画やゲームにもなっていますが、それだけ、人気の根強いリーダーなのでしょう。信長包囲網とか、逆境にさらされた人でもありますが、変革を象徴するリーダーとして、恐るべきは、その速度に振り落とされて、時代の置いてけぼりになる、という事で、時の親王や朝廷もそれゆえ、信長を恐れたのでしょう。
最大のライバルは本願寺とのことで、漫画「センゴク」によると、本願寺軍は狂信集団ではなく、極めて民政的な系統にあったとのことです。対する、信長や徳川というのは、官僚制の政治主体であって、今の日本の行政機構の雛形は、直接民主制的な本願寺に勝った織田や徳川の流れにある、と取れる内容でした。漫画なので誇張もあるでしょうが、戦国はどんなメディアでも面白いですね。織田ファンですが、その敵であった武田信玄も好きです。
織田信長、人気の高い歴史上の人物の1人ですよね。個人的には好きじゃ無いのですが、此れは「上司としてどうなのか?」という観点から。「何を考えているのか読めず、一寸した事で気分を害し、罰せられる。」というイメージが彼には在り、常に張り詰めた気持ちを強いられそうな感じがするからです。彼、豊臣秀吉、徳川家康の3人で言えば、豊臣秀吉、其れも晩年の様な“陰湿さを感じる彼”では無く、天下を獲る前の“陽性の彼”が好きだったりします。
とは言え、織田信長に革新的な面が在ったのも事実で、そう言う点では評価出来ます。