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「榎本喜八さん死去:元祖『安打製造機』として活躍」(3月29日、毎日新聞)
14日に亡くなっていた事が判った榎本喜八さんは、張本勲さんやイチロー(マリナーズ)より前に「安打製造機」と呼ばれた打撃の職人だった。
1955年、毎日オリオンズ(現ロッテ)に入ると、打率、打点等様々な高卒ルーキーの記録を塗り替えて新人王に選ばれた。其の後は凄まじい練習量と研究心で、打撃力を向上させた。打撃の師匠は、早稲田実高の先輩で、毎日入団も取り持った荒川博さん。王貞治さんの師匠でも在る荒川さんは「榎本は王の10倍、馬鹿真面目だった。大晦日も正月も家に練習に来た。」と当時を振り返る。
1960年代には山内一弘、田宮謙次郎、葛城隆雄等と「ミサイル打線」を形成し、一世を風靡した。1968年には川上哲治、山内に次ぐ日本プロ野球3人目の通算2000安打を、31歳7ヶ月の若さで達成した。しかし、選手生活晩年は試合前にベンチで座禅を組む等の奇行が目立ち、1972年、トレードされた西鉄で選手生活を終えた。引退後は指導者の声が掛からず、名球会等の行事にも参加せず、球界と一切の接触を断っていた。
荒川さんは「まさか亡くなるとは。バット・コントロールが素晴らしく、彼だけの打撃の名人は居なかった。」と一番弟子だった故人を偲んだ。
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亡くなられたのは2週間程前との事だが、「安打製造機」と呼ばれるイチロー選手が来日している中、元祖「安打製造機」と言って良い榎本喜八氏の死が明らかになったというのは、何とも言えない因縁を感じてしまう。
榎本選手に付いて、自分はリアル・タイムで見た記憶が無い。しかし8年前の記事「名球会に名が無い男」でも触れた様に、ノンフィクション作家・沢木耕太郎氏の作品「さらば宝石」を読んで以降、「榎本喜八」という人物に強く興味を持つ様になった。様々な書物や証言から浮かび上がる彼のイメージは、「余りにもストイックな古武士」だ。
超一流と呼ばれた(る)野球選手の場合、繊細さやストイックさというのが大概見受けられるもの。打者が「バットのグリップエンドの太さに関して、コンマ何mmの違いにも拘る。」とか、投手が「『ボールを握る際、指の引っ掛かりが全く違ってしまうから。』と、爪切りで爪を切った後に、鑢で念入りに爪の形を整える。」とかと、繊細さやストイックさを感じさせる逸話は少なくない。でも、そんな繊細さやストイックさを抱える一方で、豪快だったり雑だったりする部分も在ったりする。相反する部分を持ち合わせている事で、ストレスが溜まり過ぎない様になっているのではなかろうかと。
榎本氏に付いて知れば知る程(Wikipedia上の情報や、上で紹介した「名球会に名が無い男」等を読んで戴くと御判りになると思うが。)、彼の「余りにストイック過ぎ、余りに繊細過ぎ、余りに真面目過ぎ、然も其れ等で蓄積された膨大なストレスを発散する“捌け口”を持ち得なかったで在ろう男。」の悲哀を感じてしまう。良い意味での「雑さ」が彼に在ったならば、もっと違う人生が在った様に思え、堪らない気持ちになってしまうのだ。
You Tubeに榎本選手の打撃動画がアップされていますが、其処の書き込みにも在ります様に、上手く肘を畳み込んでの打撃は素晴らしい。理想的なバッティング・フォームって、今も昔も変わらないんですね。
http://www.youtube.com/watch?v=Rj3-wf0boVI
今後とも何卒宜しく御願い致します。