「岐阜の短大生が今年2月、海外研修で訪れたイタリア・フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の見晴らし台の壁に、油性ペンで日付や自分&友人5人の名前の他、学校名を落書きをしていた事が明らかとなり、学長から口頭で厳重注意を受けた。」と報じられたばかりだが、今度は「京都の大学生3人が今年3月、同じくサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の柱に、油性ペンで日付や名前、大学名と『イタリア旅行記念』と落書きしていた。」事が明らかとなった。
半世紀以上前に法隆寺の金堂が改修工事された際、卑猥な絵等が天井の桟に描かれている事が判明。再築された当時(7世紀頃)、現場の人間がこっそり落書きしたのではないかとされているが、公の建造物に落書きが為されていたケースは古今東西結構在る。落書きは或る意味、人間が生来持っている欲望の一つで、多くの者はそれを理性で抑えているだけなのかもしれない。
だからと言って、今回の学生達の行為が決して許される物では無い。「馬鹿な事をしてくれたなあ。」という情けなさを感じている。でも、だからと言って「当該学生達を退学処分にしろ!」と迄非難する気も無い。若かりし頃の自身を振り返れば、彼等の軽率さを一方的に責められないからだ。
「二度と馬鹿な真似はしない。」と猛省してくれれば、それで充分だろう。
ライオンズの若手選手が窃盗事件を起こしていたというニュースにも、「馬鹿な事をしてくれたなあ。」と思わずにはいられなかった。昨年秋、所沢市内の銀行ATMで前の客が取り忘れた現金3万円を置き引きしたのだと言う。(同居女性へのDVも同時に報じられていたが真偽の程が定かでないし、基本的に男女間の問題は他者がどうこう口出しすべき物では無いという思いが在るので、此処では敢えて追及しない。)恐らく防犯カメラに、犯行の一部始終が撮られていたのだろう。目の前に金銭が置きっ放しにされていたら心が揺れ動いてしまうのは理解出来るが、それを理性で抑えるのが真っ当な人間だろう。
今回の落書き事件、そして窃盗事件双方に言えるのは、「天網恢恢疎にして漏らさず」という事。悪事は露見してしまう物なのだ。
半世紀以上前に法隆寺の金堂が改修工事された際、卑猥な絵等が天井の桟に描かれている事が判明。再築された当時(7世紀頃)、現場の人間がこっそり落書きしたのではないかとされているが、公の建造物に落書きが為されていたケースは古今東西結構在る。落書きは或る意味、人間が生来持っている欲望の一つで、多くの者はそれを理性で抑えているだけなのかもしれない。
だからと言って、今回の学生達の行為が決して許される物では無い。「馬鹿な事をしてくれたなあ。」という情けなさを感じている。でも、だからと言って「当該学生達を退学処分にしろ!」と迄非難する気も無い。若かりし頃の自身を振り返れば、彼等の軽率さを一方的に責められないからだ。

ライオンズの若手選手が窃盗事件を起こしていたというニュースにも、「馬鹿な事をしてくれたなあ。」と思わずにはいられなかった。昨年秋、所沢市内の銀行ATMで前の客が取り忘れた現金3万円を置き引きしたのだと言う。(同居女性へのDVも同時に報じられていたが真偽の程が定かでないし、基本的に男女間の問題は他者がどうこう口出しすべき物では無いという思いが在るので、此処では敢えて追及しない。)恐らく防犯カメラに、犯行の一部始終が撮られていたのだろう。目の前に金銭が置きっ放しにされていたら心が揺れ動いてしまうのは理解出来るが、それを理性で抑えるのが真っ当な人間だろう。
今回の落書き事件、そして窃盗事件双方に言えるのは、「天網恢恢疎にして漏らさず」という事。悪事は露見してしまう物なのだ。

記事でも書きました様に、大昔の建造物からも落書きは見付かっていますので、今だけが酷いという訳では無いのかもしれません。
観光地の落書きは昔のほうがやりたい放題だったよ。
イタリア人と変わらなかったと思う。
やたら「これだから日本人は」とか「海外で落書きするのは必ず日本人や韓国人、台湾人」とか指摘してる人いるけど、アジア人コンプレックスもいい加減にしろって思いますよ。
イタリアンはローマ文化の本家だぜい(笑)!
今回の一連のニュースに対し、現地イタリアでは「落書きした人達は、何でこんな厳罰に処されているのか?」という声が結構上がっている様ですね。「フィレンツェに限らず、イタリアでは古代遺跡はスプレーに塗れ、アルプスの山々には、石を組んだ文字が溢れ返っている。その大半がイタリア人によるもので、落書きを悪い事とは余り思っていない様だ。」との報道も。御国柄の違いなのかもしれませんね。唯、だからと言って落書きが許される事では無く、もしイタリア人が落書きを悪い事と余り思っていないにしても、その考え方に日本人が“便乗”する必要も無い。処罰が日本独特の厳しさと指摘されるならば、それはそれで日本人のモラル意識の高さと捉えても良いかと。魔女狩りの様な風潮になってしまうのは反対ですが、モラルが崩壊しつつある我が国に在っては、今回の騒動が良い教訓になってくれればと思います。
勧められて買おうが持参しようが落書きしてしまえば結果は同じです。
日本でもよく観光地で
「この鐘を鳴らせば二人の愛が実ります」とか
「幸せの○○」とか売ったりしてますね。
そんなのホントに信じるんでしょうか?
商業主義に乗せられているだけでしょう。
幸せがそんなに安易な方法で手に入るわけありません。
シャレでそういうのにお金使う分には本人自由ですが。
その監督さんも「二人の名前を書いたら幸せになれる」かどうかわかるトシです。
「大聖堂には既に沢山の落書きがある」とか
「日本人だけではない」とかいう報道もありますが、大人なら他人に流されず自分で判断しましょう。簡単なことです。
日本人による海外の名所旧跡での落書きは今に始まったことではなく、ヨーロッパでの生活が長い評論家の犬飼道子さんが古い著書の中でその存在を指摘されています。
「××大学、と学校名まで書いている。いったい大学生にもなって何を学んでいるのだろうか」と嘆いておられていました。
この度の報道をきっかけに根絶されることを願います。
他者の物や公共物に落書きをした事自体は決して許される事では無いし、非難されて仕方ないとは思うのですが、自分も赤い三角定規様宛に書かせて貰った様に、「魔女狩り」の様相になってしまっている所に嫌な感じを覚えます。「同じ日本人として情けなかった。皆さんはどう思いますか?」といった感じでネット上に掲載したケースは未だしも、バッシングを楽しむ目的で晒している様なケースはどうかと。
落書きしに行くことではなく、「こんなあります」と写真をワザワザ取りに行くことが、です。
言葉足らずになりました。
現地の日本人の格好のウサ晴らしにもなってそう…(結構、外国に赴任したりすると日本人どおしの付き合いがとんでもないストレスになりますからね…)。
観光地ではうかつに変な薦めには乗ったらいけないですね。どこで嵌められるか分かりません。
でもこんなことで人生棒に振るのって日本かやたら戒律の厳しいアラブかどっかの国ぐらいだろうなあ、とも思います。
ラクガキはモチロンいけませんが、なんとも厳しい国です。
高校野球の監督迄もが落書きをしていたといううニュースには唖然とさせられましたが、そういった状況も在ったのですね。成人となってかなり経つ者ならば、常識的に考えれば為して良い事なのか否かは判断出来るだろうに。過去の事で在り、高揚感も在ったで在ろう事を考えると、監督解任というのは厳し過ぎる気もしますが(政治家や官僚達の不祥事に対する御咎めは非常に軽く思われるので。)、自ら撒いた種ですから止むを得ないのかもしれません。
唯、自分が今懸念するのは「ネット上で『こいつも落書きしてたぞ!』といった“魔女狩り”が広がらないか。」という点。一連の落書き事件が露見したのもネット上の書き込みからと言われており、確かに為した事は悪いけれども、面白半分に晒す様なのはどうかと。過去は過去として当事者には“個々で”猛省して貰う一方で、重要なのは今後こういった愚行を為す人間が極力出ない様にする事だと思います。
こんなに同じ場所で何人も続くというのも可笑しな話だと思っていたら、なるほどそういうことだったのか、と合点が行きました。日本各地にもそういう名所ありますよネ。
ちょっと一方的な報道と一面的な見方を変える必要がありそうです。
彼は新婚旅行であったということ、確かに高揚感もあったと思われますね。
おそらく「現地の人」というのはパック旅行についてきたガイドの方だったかもしれないですね。
繁華街で店舗のシャッターに落書きを何度もされ、嘆いている店主の姿を或る番組で目にしました。落書きを消す為には、手間も暇も掛かる。消さないで放っておけば、それこそ「割れ窓理論」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96)で益々酷い事になってしまう。落書きをした当人は軽い気持ちで遣った事なのかもしれませんが、相手の立場になって考えたら同じ事が出来たでしょうか?街頭でゴミを捨て、それを注意すると「ゴミを捨てる人間が居るからこそ、掃除する人も食っていけるんじゃないか!」とアホな逆切れをする人間が居る。こういった連中は、本当に困ったもの。
今回の件も決して許されない事では在りますが、異国の地に行った事での高揚感も大きく影響したのでしょうね。勿論、それだからと言って許される行為では在りませんが。
子供が自宅や近所の塀に落書きするのとは訳が違います。子供のうちには名所旧跡を訪ねるときは必ず親や教師が同行しますよね。それには子供が間違いを犯さないようにという意味もあるのではないでしょうか。ある年齢になれば大人の同伴の必要なしに訪ねることができるようになるのですが、それは「キミたちは社会常識を身につけた」と判断されたから許されるのであって常識がないなら大人になっても親や教師が同伴しなければいけなくなる。
「よく考えずに」とか「つい軽い気持ちで」と言い訳してますけど、取り返しのつかないことです。短大生や大学生でいる資格がないと思います。
フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会には訪れたことがありますが、あの美しい奇跡のような遺産を汚す理由が全く見当たりません。とても悲しい事件です。
でも歴史的建造物にはした事無いなぁ~。
拾ったものを届けなかった事はあります。
でも社会通念上許される範囲内の金額だったなぁ~。
まして、ATMから盗った事はないね。
中学生くらいになれば、そのくらい分かってほしいですよね。
旅の恥は書捨て
この問題がクローズアップされるにつれ、この言葉がよく使われましたが、恥をかき捨てられるような程、世界は大きくは無くなっているような気がしますね。
申し訳ありません。
「割れ窓理論」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96)というのが在りますよね。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓も間も無く居全て壊される。」という理論ですが、落書きも幾つか描かれていると、「自分が描いても大丈夫かな。」という思いになってしまうのでしょう。
幼少時、公園に置かれた土管等に落書きした経験は在ります
一寸誤解を与えてしまった様で申し訳在りません。DV、これは男女どちらの側が為したに拘わらず、許し難い行為で在るのは当然ですし、その事自体を傍観すべき物としている訳では全く在りません。自分が言いたかったのは、窃盗事件に関しては警察も当該選手もその事実を認めている“事実”なのに対して、DVに関してはその辺がハッキリしない(真偽が定かでない)事も在りますし、もしかしたら男女間の縺れによる嘘の“可能性”も懸念され、そういった事も含めて「男女間の問題は“基本的に”他者がどうこう口出しすべき物では無いと自分は思っている。」と記した次第です。DVが事実で在れば、当該選手が糾弾されて然るべきなのは言う迄も在りません。
男女によって事の捉え方に温度差が在るといううのは、確かにまま在る事でしょうね。唯、DVに関しては女性から男性に為されるケースが年々増えて来ているという話も在り、許せない“犯罪”という点では余り温度差が無い様にも感じます。
昔、家人がATMに引き出した金銭を置きっ放しにした事が在りました。帰宅してから気づいたという超ノンビリ屋なのが困った所ですが(笑)、慌てて銀行に戻ったらきちんと窓口に全額届いていた。届けた人は若い人だったそうですが、名前を告げる事も無く立ち去ったという事で、「世の中、未だ未だ捨てたものじゃないね。」と家人は感動していましたね。
アタシはそういう名所に行っても落書きなんかしたいとも思わないです。
「多くの者」というより一部のそういう「悪癖」がある人たちなのではないでしょうか
その選手は全く知らなんだが、困った人ですね。
昔、うっかり10万円を取り忘れたとパニックになったことがある身には他人事ではないです(実際はウッカリ、自分の別の通帳に預け入れていた)。
混んでて、台数が少ないATMだとついつい後ろからのプレッシャーに焦り、雑な作業をしてしまうので、それからは反省して、一駅先の大きい銀行に行くことにしています。
>
基本的に男女間の問題は他者がどうこう口出しすべき物では無いという
相変わらず古いですね^^;。
個人的には家庭内暴力からの殺人が発覚した際の近所の人のコメント「よく叫び声を聞いた」というような話に、「じゃあどうして知らん振りしたの!」と激高するほうなのです。
もっとも昔は夫婦間の暴力がごく普通で、よく酷い話を見聞きしていましたので、それに対する怒りが常にあります。
男女では捉え方も深刻さが違ってきますね(苦笑)
男の方であれば他人事でも女性ならわが身に起こったとしても何の不思議もないですから(苦笑)