「今夏、昭和&平成の仮面ライダー達が映画で総登場する。」という嬉しいニュースを先月紹介させて貰ったばかりだが、今度は「昭和&平成のウルトラマン総勢50体登場する映画が12月公開予定。」とのニュースが飛び込んで来た。黒部進氏や森次晃嗣氏等、“昭和ウルトラマン”で人間体を演じていた役者も登場というのは嬉しい。「ウルトラマン総勢50体」というのは上記した仮面ライダー映画を意識した訳では無いだろうが、これだけ揃うとさぞかし壮観な事だろう。初の悪役ウルトラマンも登場するという事で、これ又楽しみ。
閑話休題。
一昨日、子供の臓器移植に道を開くかどうかが焦点となっている臓器移植法改正に関する採決が衆議院本会議で行われ、4案の内で最初に採決に掛けられた「A案」が263票と過半数を得た事で可決に到った。今後は参議院での審議となるが、A案に対する反対の声も少なくない為、A案ですんなり可決となるか否かは不透明。
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=臓器移植法と改正A案の差異= (6月19日付け東京新聞[朝刊]より)
① 脳死の位置付け
現行法: 臓器提供の場合だけ人の死。
改正A案: 一般的に人の死
② 提供の条件
現行法: 本人が書面で意思表示し、家族が同意。
改正A案: 本人が拒否していなければ、家族の同意で可能。
③ 提供可能年齢
現行法: 15歳以上。
改正A案: 制限無し。
④ 親族優先提供
現行法: 無し。
改正A案: 意思表示しておく事が出来る。
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「臓器移植によって救われる命が多く在るで在ろう以上は、移植の可能性が増えるのは望ましい。」というのが私見。我が国で臓器の提供を待っている人は約1万2千人で、それに対して実際に移植を受けられる人は年間約200人という数字が在る。特に脳死者からの移植に関して言えば、年間10件程度なのだとか。現行法では小児患者への国内に於ける移植が事実上不可能な為、海外での移植に望みを託すケースも少なくない。自分が亡くなった際、その臓器で救われる命が在るのならば、提供するに吝かで無いという気持ちは在る。
唯、気になる点が無い訳では無い。自民党の5人の首相経験者の内、海部俊樹氏と森喜朗氏、小泉純一郎氏、そして福田康夫氏の4人はA案に賛成票を投じるも、安倍晋三氏は問題性を感じて棄権。「子供に臓器移植を可能にする事には賛成だが、脳死を一般的な『人の死』とする事には問題が在ると思った。」というのがその理由。又、A案に反対票を投じた麻生太郎首相は、その理由に付いて「人の命を救うという話と、人の死をどう考えるかという事の選択。(A案は)臓器移植の道を開く傍ら、脳死に付いては未だ世論がきっちり固まっていないのではないかと思った。」とコメント。民主党の鳩山由紀夫代表も同様の理由から反対票を投じた様だが、彼等の「『脳死=一般的な人の死』としてしまうのは、現状如何なものか?」という考えには共感出来る部分が在る。*1
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「<臓器移植法>『脳死』から8年、身長も伸びた」(6月18日、毎日新聞)
脳死を人の死とし、15歳未満の臓器提供に道を開く臓器移植法改正案が18日、衆院で可決された。「A案が成立すると、うちの子供の様な生き方が認められなくなるのではないか」。長男みづほ君(9歳)が「長期脳死」の女性=関東在住=は、A案の大差での可決を知り、肩を落とした。
みづほ君は2000年、1歳の時、原因不明の痙攣を切っ掛けに自発呼吸が止まり、脳内の血流も確認出来なくなった。旧厚生省研究班が纏めた小児脳死判定基準の5項目の内、人工呼吸器を外して自発呼吸が無い事を確かめる「無呼吸テスト」以外は全て満たした。それから8年、人工呼吸器を付けて自宅で過ごし、身長は伸び体重も増えた。
「今後も移植が必要な人は、どんどん増えるだろう。更に臓器が足りなくなれば、死の線引きが変わり、私達の方へ近寄って来るかもしれない。」と不安を口にする。
みづほ君は、この1年、状態は安定している。女性は「この子は『延命』しているのでは無い。こういう『生き方』をしている。参院の審議と判断に期待したい。」と話した。
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脳が死んでも、心臓は動いている。それを「単に生かされているだけ。」と考える人も居るだろう。と同時に、肌に触れれば温かさを有し、肉体が“成長”して行く姿に「間違い無く生きている。」と感じる人も居る。その受け取り方は千差万別だろう。アメリカでは、脳死者が約21年“生存”したという記録が残っていると言うし。
臓器移植云々は別にして、「脳死は一般的な人の死。」というコンセンサスが出来上がると、「脳死者は死者なのだから、うちでは対応出来ない。」と受け入れ拒否をする医療施設が出て来る可能性も考えられる。又、唯でさえ「~でなければならない。」といった「must論」を他者に押し付ける人が少なくない昨今、「死者たる脳死者をベッドの上に縛り付けるのは絶対に許さない!」という大きな御世話なバッシングで、脳死者の家族が苦しまされる事も懸念される。
広く臓器移植が行える環境作りは望ましいと思っているが、理屈だけでは割り切れない難しい点も含んでいる問題だ。
*1 安倍首相及び麻生首相は「D案」に票を投じるつもりだったとか。「15歳以上は現行法を維持し、15歳未満は脳死が人の死と受容出来る親が子供の気持ちを忖度し、承諾する場合に於いて臓器提供を可能にする。児童虐待の恐れが無い事等の条件を加え、医療機関の倫理委員会が確認を行う。」というのがD案の骨子。
閑話休題。
一昨日、子供の臓器移植に道を開くかどうかが焦点となっている臓器移植法改正に関する採決が衆議院本会議で行われ、4案の内で最初に採決に掛けられた「A案」が263票と過半数を得た事で可決に到った。今後は参議院での審議となるが、A案に対する反対の声も少なくない為、A案ですんなり可決となるか否かは不透明。
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=臓器移植法と改正A案の差異= (6月19日付け東京新聞[朝刊]より)
① 脳死の位置付け
現行法: 臓器提供の場合だけ人の死。
改正A案: 一般的に人の死
② 提供の条件
現行法: 本人が書面で意思表示し、家族が同意。
改正A案: 本人が拒否していなければ、家族の同意で可能。
③ 提供可能年齢
現行法: 15歳以上。
改正A案: 制限無し。
④ 親族優先提供
現行法: 無し。
改正A案: 意思表示しておく事が出来る。
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「臓器移植によって救われる命が多く在るで在ろう以上は、移植の可能性が増えるのは望ましい。」というのが私見。我が国で臓器の提供を待っている人は約1万2千人で、それに対して実際に移植を受けられる人は年間約200人という数字が在る。特に脳死者からの移植に関して言えば、年間10件程度なのだとか。現行法では小児患者への国内に於ける移植が事実上不可能な為、海外での移植に望みを託すケースも少なくない。自分が亡くなった際、その臓器で救われる命が在るのならば、提供するに吝かで無いという気持ちは在る。
唯、気になる点が無い訳では無い。自民党の5人の首相経験者の内、海部俊樹氏と森喜朗氏、小泉純一郎氏、そして福田康夫氏の4人はA案に賛成票を投じるも、安倍晋三氏は問題性を感じて棄権。「子供に臓器移植を可能にする事には賛成だが、脳死を一般的な『人の死』とする事には問題が在ると思った。」というのがその理由。又、A案に反対票を投じた麻生太郎首相は、その理由に付いて「人の命を救うという話と、人の死をどう考えるかという事の選択。(A案は)臓器移植の道を開く傍ら、脳死に付いては未だ世論がきっちり固まっていないのではないかと思った。」とコメント。民主党の鳩山由紀夫代表も同様の理由から反対票を投じた様だが、彼等の「『脳死=一般的な人の死』としてしまうのは、現状如何なものか?」という考えには共感出来る部分が在る。*1
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「<臓器移植法>『脳死』から8年、身長も伸びた」(6月18日、毎日新聞)
脳死を人の死とし、15歳未満の臓器提供に道を開く臓器移植法改正案が18日、衆院で可決された。「A案が成立すると、うちの子供の様な生き方が認められなくなるのではないか」。長男みづほ君(9歳)が「長期脳死」の女性=関東在住=は、A案の大差での可決を知り、肩を落とした。
みづほ君は2000年、1歳の時、原因不明の痙攣を切っ掛けに自発呼吸が止まり、脳内の血流も確認出来なくなった。旧厚生省研究班が纏めた小児脳死判定基準の5項目の内、人工呼吸器を外して自発呼吸が無い事を確かめる「無呼吸テスト」以外は全て満たした。それから8年、人工呼吸器を付けて自宅で過ごし、身長は伸び体重も増えた。
「今後も移植が必要な人は、どんどん増えるだろう。更に臓器が足りなくなれば、死の線引きが変わり、私達の方へ近寄って来るかもしれない。」と不安を口にする。
みづほ君は、この1年、状態は安定している。女性は「この子は『延命』しているのでは無い。こういう『生き方』をしている。参院の審議と判断に期待したい。」と話した。
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脳が死んでも、心臓は動いている。それを「単に生かされているだけ。」と考える人も居るだろう。と同時に、肌に触れれば温かさを有し、肉体が“成長”して行く姿に「間違い無く生きている。」と感じる人も居る。その受け取り方は千差万別だろう。アメリカでは、脳死者が約21年“生存”したという記録が残っていると言うし。
臓器移植云々は別にして、「脳死は一般的な人の死。」というコンセンサスが出来上がると、「脳死者は死者なのだから、うちでは対応出来ない。」と受け入れ拒否をする医療施設が出て来る可能性も考えられる。又、唯でさえ「~でなければならない。」といった「must論」を他者に押し付ける人が少なくない昨今、「死者たる脳死者をベッドの上に縛り付けるのは絶対に許さない!」という大きな御世話なバッシングで、脳死者の家族が苦しまされる事も懸念される。
広く臓器移植が行える環境作りは望ましいと思っているが、理屈だけでは割り切れない難しい点も含んでいる問題だ。
*1 安倍首相及び麻生首相は「D案」に票を投じるつもりだったとか。「15歳以上は現行法を維持し、15歳未満は脳死が人の死と受容出来る親が子供の気持ちを忖度し、承諾する場合に於いて臓器提供を可能にする。児童虐待の恐れが無い事等の条件を加え、医療機関の倫理委員会が確認を行う。」というのがD案の骨子。
私自身、もし脳死者を家族に持てば、せめて臓器だけでも、生きて人の役に立てばいいと考えます。
私自身、脳死になれば、役に立つ臓器はすべて利用してもらいたいと考えます。
ただ、そうでない人もおられるでしょう。脳死者が家族にいて、その死を受け入れられない状態の人もいるでしょう。
移植を必要とする患者さんがいます。その患者さんに、その脳死者の臓器がぴったい適合した場合、しぶる脳死者のご家族に、「脳死は死だ、臓器が欲しい」との無形の圧力がかからないか心配です。完全に、まったくの自由意志で「家族の同意」なら、いいのですが、突然の事故などの場合、ご家族は混乱されておられるでしょう。そのような状態の時「家族の同意」の自由が本当に守られるか心配です。
脳死云々。アタシはあまりこの問題は興味が無い(移植医療にタッチしていない。)のでなんとアレなんですが、「死者たる脳死者をベッドの上に縛り付けるのは絶対に許さない!」っていう声はまあ上がっても少数だと思います。問題は生命維持にかかる費用を社会保険でまかなうかどうかという問題でしょう。死亡していると診断されれば、当然社会保険は適応にならず、人工呼吸器に乗っかっての状態維持にかかる費用は月に100万円を超えます。社会保険が適応なら3割負担で済みますし(それに月に10万円以上かかる医療費に関しては自治体が別途に負担してくれる。)、そういう事が家人にとってはしんどくなってくるだろうな、いや、現実状態維持が不可能になるケースが多いんだろうなと思います。
脳死に関しては、人それぞれ意見が異なるでしょうね。と言うか、自分(giants-55)の中でも相反する思いが在りますし。もし自分自身が脳死状態となったら、自分としてはそれを「死」として欲しいし、その状態で「生きたい」とは思わない。でも、愛する人間が脳死状態となったら、どんな形で在れ「生き続けて」欲しい。矛盾した思いと言えばその通りなのですが、事程然様にこの問題は難しさを秘めていると言えましょう。
かなり昔の話になりますが、親族が亡くなった際に医師から「献体して貰えないか?」と遺族に依頼が在ったそうです。その医師も遠い親戚関係に在ったという事も在って、かなり執拗に言われたそうで、最後には遺族が「好い加減にしてくれ!」と怒鳴った程だったとか。今とは状況が違うだろうし、遠い親戚関係だらという事での執拗な依頼だったと思いますから、こういうのは非常にレア・ケースなのは判っているのですが、「脳死=一般的な人の死」というコンセンサスが出来上がってしまうと、雫石様が指摘されている「渋る脳死者の御家族に、『脳死は死だ、臓器が欲しい。』との有形&無形の圧力が掛る可能性」を自分も懸念します。自分の経験から言っても、近しい人間が亡くなった時って、暫くは放心状態でじっくり物事を考えられないという感じですからね。
上で雫石様宛のレスでも書かせて貰いました様に、「脳死」という問題は自分(giants-55)の中ですら相反する思いが在るのですから、非常に難しい問題だと思います。
「死者たる脳死者~」というのはまあ極端な例ですが、無言の内にも「死んでいる人間に対して、何で其処迄する?」というプレッシャーが当事者家族に対して従来以上に強くなる可能性が在りそうな気がして、その辺を懸念する次第です。
で、費用面ですが、これは確かに大きな問題ですよね。「生き続けて欲しい。」という“願い”と、多額の費用を負担しなければいけないという“現実”。人によっては何処かで妥協点を見出さなければ行けないだろうし・・・。
戦争で肉体を吹き飛ばされて亡くなった兵隊が、幽霊となって自らの失った肉体を探して彷徨う。そういった話は見聞しますし、マヌケ様の気持ちは判ります。昔は自分もそういう思いでしたので。
唯、馬齢を重ねる事で、自分の中の思いも大分変化して来ました。一番大きいのは、権力者達の死を見て来た事。どれだけ強大な権力を持った人間でも、死んでしまったら「物」と化してしまう。そんな思いが強くなり、「肉体というのは『現世に於ける借り物』。」とい感じがして、それならば困っている人の役に臓器類を役立たせて貰えればと。
でも私のようなズタボロもお役にたつのでしょうか?
悪いコトは言わないから、心臓だけは使うのやめといたほうがいいです。
今年の健診でも心電図は「以上あり」でした。
脳死もそうですが、お産などでの問題も難しいですね。
どこからどこまでが「生の領域」か?
「流産した場合は?」
「堕胎の場合は?」
法律で裁くことのできない難しいケースはたくさんありますね。これらがひとまとめできないように、脳死もひとつの法律でくくっていいのかなぁ。
生死に関わる問題は単純に「法律」でスパッと割り切れる物では無く、「倫理」や「感情」といった物が深く関わって来ますから、人それぞれに違った思いが在るでしょうね。非常に難しい問題だと思います。
「クローン人間」もそうですが、「人為的な作業が何処迄許されるのか?」というのは「これが正解。」と言える物が無いですし・・・。
その坊さんは「月一千万やぞ。あれをつけて儲かるのは病院、損するのは自治体」と言っていたそうです。でもちょっと額のケタをオーバーに言っていたのですね^^;。
宗教者の一部の方がA案に反対の会見をしていましたが、その人はどうなんだろ。実は元県議会議員なので話を聞いて見たいような、話が長くなりそうでうっとうしいから止めときたいような^^;。