ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

右で無ければ左、左で無ければ右となってしまうのか?(Part1)

2006年09月27日 | 其の他
24日に行われた「マリーンズv.s.ファイターズ戦」。4-1とファイターズの3点リードで迎えた5回裏、2死満塁となった事でファイターズの先発・金村曉投手はトレイ・ヒルマン監督から降板を命じられた。この試合では5回途中迄で8安打を喫する等、決して調子が良いとは言えない金村投手を見切った訳だが、代わった投手が走者一掃の二塁打を喫し同点に追い付かれ、最終的にはその後の投手も打ち込まれた事でファイターズは最悪の逆転負けとなってしまった。5年連続2桁勝利の権利を得る迄後1アウトという状況で降板を命じられた金村投手は、試合後に記者団を前にして次の様な監督批判を繰り広げたという。

絶対許さない。外国人の監督だから、個人の記録は関係無いのでしょう。顔も見たくない。

プロ野球選手は或る意味、個人事業主と言っても良いだろう。チーム一丸となって優勝に邁進するのは言う迄も無いが、それ以前に何時首を切られてもおかしくない状況で、選手個々が自らの存在意義の”一つ”で在る記録に固執してしまうのは、”或る程度は”止むを得ないと思っている。又、自分も嘗ては余りにも理不尽極まりない言動に終始する上司に、我慢に我慢を重ねた上でぶち切れた経験を持っているので、金村投手の気持ちも良く判る。それに差別的な発言だって、正直に言えば自分も内輪レベルでする事は在る。

しかし公の場で、尚且つチームが正念場を迎えている大事な時期に、チームの主力と言える選手が監督批判をしてしまったというのはやはりまずいだろう。そして何よりもまずかったのは、「外国人の監督だから」という部分だったと思う。個人記録よりもチームの勝利に固執する日本人監督はこれ迄に居なかったかと言えば、それはノーだろう。ましてや、チームが優勝を争っている状況下では、殆どの日本人監督が個人記録よりもチームの勝利を優先させた筈。個人記録を優先させるのは、チームの順位が粗方定まった消化ゲームに多く見られた事。「外国人監督=個人記録を全く無視。」といった思い込み、もっと厳しい言い方をすれば偏見が金村投手の頭には在ったと言えないだろうか。

金村投手の話をいきなり持ち出したのは、別段此処で彼をバッシングしたいからでは無い。彼も重いペナルティーを課せられ、猛省していると聞く。一度発してしまった言葉は消し去れないのだから、彼には今後生まれ変わった姿でベスト・パフォーマンスを見せてくれる事を望むだけだ。

では何故彼の話を持ち出したかと言えば、彼の思い込みよりも遥かに上を行く思考形態が、最近特に幅を利かしている様に思えてならず、その事を記事にしようと思っていた中でこの一件が起こったからだった。

此処で断っておきたいのは、自分がかなり偏った考え方だというのは重々自覚している。その自覚の上で自戒の意味も込めて、これからの内容を書くという点を理解して戴きたい。

先日、自分が良く参加させて貰っているライブ配信サイトで、白熱した議論が交わされていた。発端は21日に東京地裁で下された「東京都教育委員会が、入学式や卒業式で教職員が国旗に向かって起立し国歌斉唱する様通達したのは、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する。」とした違憲判決に付いてだった。この件に関しては人それぞれの意見が在ると思うし、今回テーマにしたい話とは異なるので、此処で私見を書くのは差し控えさせて貰う。唯、国歌斉唱&国旗掲揚を教職員の側も政治家の側も政治利用するな!という事だけは記しておきたい。

話を戻すが、この判決に関して議論されて行く中でマスメディアの問題に話が移って行った。多くの方々が参加していたのだが、その中には”自分と同様に”かなり偏った考え方と思われる方も居た。特に此処ではA氏*1とさせて戴くが、その方の書き込みは「そこ迄言ってしまうのはどうだろう?」と毎回感じてしまう内容。その特徴は、朝日新聞=反日報道100%といった概念で、毎回の様に「朝日ではこの様に報じられていたのが許せない。」といった具合で、良くぞ此処迄と感心すらしてしまう程、朝日バッシングの材料を大量に書き込んでおられるのだ。例えば一部抜粋(都合の良い部分だけを抜粋する訳では無く、その前後は文章の流れとしてカットしても問題は無いだろうという判断に基づいてで在る。)すると、次の様な書き込みが在った。

特に朝日等は安倍の祖父を持ち出し、必ず安倍の名前の上に、A級戦犯・・・安倍という表現を欠かさない。A級戦犯を名前の上に冠する異常さ。このメディアにみんな辟易としている。

当ブログでもくどい程書いているが、自分も近年のマスメディアの報道のおかしさには疑問を持っている。「世論を一方向に誘導しようとしているのではないか?」という懸念を覚える事も数え切れない程だ。そして、朝日新聞を定期購読している訳では無いが、この新聞の偏重報道が俎上に載る度に、当該記事を実際に目にすると「確かに一寸偏り過ぎた論調だなあ。」と感じる事も少なくは無い。

しかしだ、上記した様に定期購読をしていないので断言は出来ないが、安倍氏の祖父を持ち出した際には、必ず安倍氏の名前の上に『A級戦犯の祖父を持つ』といった冠を付けている。というのはに信じられないものが在る。本当に「必ず」という程の頻度で、その冠を付しているのだろうか?

又、朝日新聞が極左の総権化とするならば、産経新聞なぞはその真逆の極右メンタリティーを色濃く滲ませたメディアではなかろうかと思ってしまう。朝日の”寄り”は気になるが、産経の”寄り”は気にならないという事なのだろうか。「このメディア」、即ち朝日新聞に辟易とした思いを持っている人は確かに多いかもしれないが、同様に真逆のメンタリティーを持ったメディアに辟易とした思いと迄は言わなくても、「一寸おかしくはないか?」といった疑問を持っている人も少なくないのではなかろうか。皆が辟易としている。としてしまうのは、「日本国中が大喜びしています。」といった皇室報道的な居心地の悪さを自分は感じてしまう。

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