兄弟(以降、Aと記す。)が、手術に臨んだ。病気自体は大した物で無いし、手術も良く行われている類いの物なのだけれど、少し不安が在った。と言うのも、偶然では在るのだけれど、手術日が“近しい人間が亡くなった日”と全く一緒だったから。手術日前に墓参し、手術が無事終わる事を祈った。
で、手術は無事完了。心配された出血も余り無く、ホッとしていたのだが・・・。
早朝、病院からの電話で目が覚めた。「Aさんが一時、意識を無くした。集中治療室に入り、治療を受け、今は意識が戻っている。直ぐに病院に来て貰えないか?」と言う。慌てて着替え、病院へと車を飛ばした。
病室に飛び込むと、酸素マスクや心電図を装着されたAが、ベッドに横たわっている。目は開いているものの、意識は半覚醒状態という感じ。呼び掛けて、「俺の事判るか?」と尋ねると、確り認識出来ていたので、取り敢えず安心。
担当医から説明を受けると、少し気になる症状が出ていると言う。具体的には記せないが、不安が募る。若し改善されなければ、今後のAの人生に大きな影響を与え兼ねないからだ。其れ以前に、容態の急変という可能性も頭を過り、不安の中、ずっと病院に留まった。
幸いな事にAの容態は安定し、気になる症状も改善。痛みは残っている様だが、夜には元気を取り戻した事で、ホッとする思いに。先祖達に感謝すると共に、久々に“生と死”という物を考えさせられる1日となった。
癌を罹患し、苦しみ乍ら亡くなった祖母が闘病中、母に何度か言ったそうだ。「幾ら御金が在ったとしても、健康じゃ無かったら如何しようも無い。健康在っての人生だよ。」と。年を重ねる毎、祖母の此の言葉を強く意識する様になっていたが、今回、「本当にそうだよなあ。」と痛感。
私は、昨年は2度入院し、今年の1月に手術を受けましたが、健康をそこねると何もできませんね。
私の手術は内視鏡のレーザーの手術でしたが、それでも半身とはいえ、麻酔するので不安はありました。さいわい上手な麻酔医で、大過なく手術が終わりました。もうすぐ手術後1年です。
いまは、すっかり健康を取り戻し、毎日、会社へ行って、落語会や映画にも行って、酒も飲んで、SFを読んで、ショートショートを書いております。これも健康なればこそです。
雫石鉄也様を始めとして、遣り取りをさせて戴いているブロガー様の中には、御自身や御親族の病気に付いて書かれておられる方が結構居られ、記事を読ませて戴く度に、「健康」という物を強く意識させられております。
幸いにも自身は大きな病気をした事が無いのですが、そういった記事を読ませて貰う事で、“将来の心準備”が出来、とても有難く思ったりも。本当に、結構在っての人生なんですよね。