昨日の記事「嘗て少年&少女だった方々へ」の中でもチラッと触れたのだが、インターネットというツールの御陰で、調べ物をする際の労力が格段に減じられた。嘗ては書籍類を掻き集め、その中から必要な情報を引っ張り出すのにかなりの手間と時間を要したものだが、今は検索エンジンで瞬時に必要な情報を収集出来るのだから、時代は変わったもので在る。
唯、便利さには落とし穴が在るのも常で、検索エンジンで集まった多くの情報が、全て正しいモノという保証は全く無い。Wikipediaですらも時折誤りが在るのだから、他の情報に在っては余計に情報の鵜呑みをせずに、逐一真偽の程を検証する必要は在るだろう。かく言う自分も、先日は検証を怠って謝った情報を載せてしまったのだから、自戒の念も込めてそう思う。
情報が容易に得られる様になった事での弊害は、他にも在る様に感じる。従来は、欲する情報を見付ける迄に悪戦苦闘していた訳だが、見付けられる迄に要された”それなりの時間”の間に、多くの人はそれがどういったものなのかを自らの頭の中で想像していたのではないか。想像力を働かせて一定のイメージを作り上げ、そして時間をかけて見付け出した情報によって、イメージと実際との微調整を行なう。そういったプロセスが在った様に思う。情報を容易に得られる事が、逆に想像の停止を導き出しているとしたら、これは皮肉な事だ。
又、ネットサーフィンしていると、容易に情報が得られる状況になったにも拘わらず、その容易さすらも放棄し、思考を停止しているのではないかと思える人々に出くわす事が多々在る。一寸検索すれば幾らでも情報を拾って来る様な事柄でも、「○○ってどういう事ですか?」といった書き込みをしているのを目にすると、異星人とコンタクトしている様な眩暈を覚えてしまう。書いているのが幼児なら未だしも、それなりの年齢の人間と思えるだけに一層だ。
人間とその他の動物を分かつモノは、深い思考力と想像力ではないか。それを自ら放棄してしまうのは、非常に勿体無い事だと思うのだが・・・。
唯、便利さには落とし穴が在るのも常で、検索エンジンで集まった多くの情報が、全て正しいモノという保証は全く無い。Wikipediaですらも時折誤りが在るのだから、他の情報に在っては余計に情報の鵜呑みをせずに、逐一真偽の程を検証する必要は在るだろう。かく言う自分も、先日は検証を怠って謝った情報を載せてしまったのだから、自戒の念も込めてそう思う。
情報が容易に得られる様になった事での弊害は、他にも在る様に感じる。従来は、欲する情報を見付ける迄に悪戦苦闘していた訳だが、見付けられる迄に要された”それなりの時間”の間に、多くの人はそれがどういったものなのかを自らの頭の中で想像していたのではないか。想像力を働かせて一定のイメージを作り上げ、そして時間をかけて見付け出した情報によって、イメージと実際との微調整を行なう。そういったプロセスが在った様に思う。情報を容易に得られる事が、逆に想像の停止を導き出しているとしたら、これは皮肉な事だ。
又、ネットサーフィンしていると、容易に情報が得られる状況になったにも拘わらず、その容易さすらも放棄し、思考を停止しているのではないかと思える人々に出くわす事が多々在る。一寸検索すれば幾らでも情報を拾って来る様な事柄でも、「○○ってどういう事ですか?」といった書き込みをしているのを目にすると、異星人とコンタクトしている様な眩暈を覚えてしまう。書いているのが幼児なら未だしも、それなりの年齢の人間と思えるだけに一層だ。
人間とその他の動物を分かつモノは、深い思考力と想像力ではないか。それを自ら放棄してしまうのは、非常に勿体無い事だと思うのだが・・・。
貴重なコメントを有り難うございました。
京塚昌子さんのお写真、汗顔の至りです(喜)
ところで「肝っ玉捕物帳」という番組をご存知でしょうか?京塚さんの人気にあやかり、フジテレビで制作された時代劇ですが、おぼろげな私の記憶では口入屋だか飛脚屋の女将役の京塚さんの立ち回りもありました!高橋英樹さんの「遠山の金さん」みたいに手拭いを武器に戦ってました。
私はこれを死ぬまでにみたいです(笑)
こちらの記事のお話ですが、私も同感です。
間違った情報もそうですが、人間は記憶を知らぬ間に補完、補填をしてしまう傾向がありますネ。
文明が進み便利になった分だけ、怠惰になってるのも実感してますので、私も耳が痛いです。
CMもドラマも早い展開の割に説明しすぎな気がしています。作品に共通の感想を持たせる必要はないのに
、手取り足取りで煩わしくも感じます(笑)
何もかも口にしては「味ない味ない」(長谷川平蔵)
語りすぎ、みせすぎ、何だか頭が悪いと思われてる・・とまでいうと僻みでしょうか(苦笑)
長々すみません。
長さついでに私が死ぬまでにみたい番組は・・
京塚昌子さんと長谷川一夫さんがゲストの『徹子の部屋』です。
お2人の色気、所作、エロキューション、当時の少年だった私にも匂ってくるように新鮮でした。
しかし、前ページの膨大ななつかしリンク。明日ジックリまわってみよう。自分の記憶が実はあんぽんたんだったとショックを受けるのだろうなぁ・・・・。いいのよいいの、忘却も一種の才能よね??ね?
俺もかつては辞書を持ち歩いていたときもありました。
で、最近図書館の自習室へ行くと、受験生がなにやらピコピコと・・・そう、電子辞書なんですね。
わずか数百グラムの手帳みたいなものに分厚い辞書が20冊以上も入ってるってんだから恐れ入りますよ。
まあ俺は電子辞書は持っていませんが、簡単なものなら携帯で出来るので利用しています。
このインターネットも個人が自由に出来るため使い方によっては良し悪しがありますが、それをどう使おうとユーザー次第でしょうかね・・・。
まあ確かに最近は便利さゆえに想像すると言うようなことが減ってきたかもしれませんね・・・(^^;。