先日、「幸せを掴んだ川上慶子さん」という記事を書いた所、多くの書き込みを戴いた。20年経とうとしている今でも、あの事故の衝撃は忘れられない。そんな思いを心に持ち続けている人が、他にも多く居るという事なのだろう。
多く戴いた書き込みの中に、MML-Two6様からの貴重な情報が在った。「事故調発表を元にしたJAL123便飛行跡略図_ver1.2」という動画だった。墜落した日本航空123便のコックピットと管制官との遣り取りが残っているのは知っていたし、その一部を聞いた事は在ったのだが、通しで聞いたのは初めてだった。
もし自分がコックピットに居たとしたら、恐怖の余り泣き叫ぶだけだったろう。しかし、123便の機長達は最後の最後迄、何とかしようと”闘って”いた。多くの人命を一身に背負った責任感と悲壮感が綯い交ぜとなった哀しい記録。これは20年前に起こった現実なのだ。
この交信記録に付いて、その見識と造詣の深さには尊敬の念を抱いているtaca・さんが、非常に心に響く文章を書かれていた。その一部を此処に紹介させて戴きたい。
****************************
「諦めない」とはどういう事なのか、「闘う」とはどういう事なのか、日常の安穏が突然、自分と自分の背中に在る数百人の「命」の為の闘いになる。誇り高き男達の「生きる」為の闘い・・・。絶望的な、余りにに絶望的な闘い・・・。
「ああ、死にたくない・・・」と綴られた、乱れた文字のメモ、出張族の父の最期の手紙・・・。
家族を、ニッポンを背負って闘って来た、サラリーマンの誇り高き遺書・・・。
****************************
何度聞いても泣けてしまうとtaca・さんは書いてもいるが、同じ思いを抱く人は少なくないのではないか。
ダッチロールを続ける機内で当時大阪商船三井船舶神戸支店長だった河口博次氏(52歳)が、愛する家族へ「別れの言葉」を手帳に書き残している。今読んでも落涙を禁じ得ない彼の”遺書”を最後に紹介したい。
この事故を、決して風化させてはいけないと改めて思う。
多く戴いた書き込みの中に、MML-Two6様からの貴重な情報が在った。「事故調発表を元にしたJAL123便飛行跡略図_ver1.2」という動画だった。墜落した日本航空123便のコックピットと管制官との遣り取りが残っているのは知っていたし、その一部を聞いた事は在ったのだが、通しで聞いたのは初めてだった。
もし自分がコックピットに居たとしたら、恐怖の余り泣き叫ぶだけだったろう。しかし、123便の機長達は最後の最後迄、何とかしようと”闘って”いた。多くの人命を一身に背負った責任感と悲壮感が綯い交ぜとなった哀しい記録。これは20年前に起こった現実なのだ。
この交信記録に付いて、その見識と造詣の深さには尊敬の念を抱いているtaca・さんが、非常に心に響く文章を書かれていた。その一部を此処に紹介させて戴きたい。
****************************
「諦めない」とはどういう事なのか、「闘う」とはどういう事なのか、日常の安穏が突然、自分と自分の背中に在る数百人の「命」の為の闘いになる。誇り高き男達の「生きる」為の闘い・・・。絶望的な、余りにに絶望的な闘い・・・。
「ああ、死にたくない・・・」と綴られた、乱れた文字のメモ、出張族の父の最期の手紙・・・。
家族を、ニッポンを背負って闘って来た、サラリーマンの誇り高き遺書・・・。
****************************
何度聞いても泣けてしまうとtaca・さんは書いてもいるが、同じ思いを抱く人は少なくないのではないか。
ダッチロールを続ける機内で当時大阪商船三井船舶神戸支店長だった河口博次氏(52歳)が、愛する家族へ「別れの言葉」を手帳に書き残している。今読んでも落涙を禁じ得ない彼の”遺書”を最後に紹介したい。
この事故を、決して風化させてはいけないと改めて思う。
きなこ、これから何があるかわかんないけど、今をせいっぱい生きたいと思いました。
そして、決して、自らの手で命を消すことは絶対にしないと心に誓いました。
いいブログをありがとうございました。
う~ん、きなこが今日書いたブログと大違いです(汗)
生きる権利に対する保証はどこにもないと考えます。
今こうしている間にも、いろんな人があらゆる場所で
様々な理由で死んでいるのでしょう。
その大半は、遺族に向けての遺書を残す余裕すら
与えられず、マスコミに取り上げられる事もなく
人生に終止符を打つものと思われます。
全ての事故は人間が自身の能力以上の力を得てしまったことへの代償なのでしょうか?
ちょと悲しいですね。
・墜落前、皆が運命と闘ったことは、決して消えない痛みです。彼らの訴えを生活・業務に活かし、風化させないことが大事であり、美化すべきではありません。まあ、実際は↑のように10年で忘れられてます。
・古今、報道後に起きている嫌がらせは、マスコミばかりでなく私達自身の問題でもあります。何でこんな社会になったのか?対策はないのか?よくわかりません。。
「事故調発表を元にしたJAL123便飛行跡略図_ver1.2」は、最後まで見ることはできませんでした。
当事者でもない私なのに、恐怖と悲しさと,,,とにかくそういう感情が入り混じってしまいました。
本当は、風化させないためにも直視しなければいけないのかもしれないのですが...。
最後まで懸命に戦った、機長。生きようとした乗客。愛する人を失った遺族。本当に悲しい事故です。
どんなことがあっても、生きようとしなければ...生きなければいけないのだとあらためて考えさせられました。
最近も航空会社の整備ミスのニュースを耳にします。また、詳しくはわからないのですが、自衛隊や駐日米軍の関係で、一般航空会社が利用できる「領空(?飛行機が通れる空の道)」がとても制限されていて、かなりのトラフィック、ニアミスが発生していると聞きます。このような悲しい事故を二度と起こさないためにも、根本的な仕組みの改善が必要なのでは?と感じます。
あの頃の私は、まだ高校生だったので、胸苦しさを覚えながらも、心のどこかで、ただ単に、降下していく、機内の中でよくもあれだけの“遺書”が書けるなんて、とても冷静で、知的な人間なんだろうとむしろ当時は、不謹慎にも、“感動”さえしたものでした。
しかし、歳月が経ち、改めて拝見させて頂くと、私も伴侶のいる身であり、人の親でもある立場になると、また違った胸苦しさがあります.....さぞかし、無念だったでしょうね。今死んでしまう場合じゃない!!冗談じゃない!!と心の中で叫んでいたのかもしれません.....しかし、この方は最後まで、企業戦士でありながらも、家庭人でもあったのですね。もう自分は助かる見込みが無い!!と腹を括って、最後の限られた時間の中で、夫として、父親として伝えるべき事をダッチロール状態のゆれる機内の中で、一生懸命“遺書”という形で、家庭人として真っ当したのでしょう.....。最後は、企業戦士ではなく、一家庭人である事を選ばれた、このお方は、きっと幸せな家庭生活をおくっていたのでしょうね......。
支離滅裂な文章にて大変申し訳ありません。