世の中には信じられない程運の悪い人間が居る一方で、逆に信じられない程運の良い人間も居る。一昨日、老衰の為94歳で亡くなられた元調教師の西塚十勝氏は後者の代表格と言えるだろう。何しろ生涯に3度も九死に一生を得た人物なのだから。
1954年、台風15号による強風で遭難&沈没し、1,139名もの死者&行方不明者を出した青函連絡船「洞爺丸」に乗船予定で乗船切符迄購入していたのだが、乗り遅れて難を逃れたのが最初だった。次は1971年、函館空港に着陸寸前で墜落し乗員乗客全68名が犠牲となったばんだい号に彼は機上する予定だったものの、これ又乗り遅れた為に難を逃れる。そして3度目は1982年、死者33名を出したホテルニュージャパンの火災の際、宿泊していたもののその時間は外出していた為に難を逃れる。
これだけの災いを、紙一重の差で潜り抜けて来たというのは凄い事だ。大体どのケースも、普通なら生涯に一度直面するか否かの出来事だろう。そう考えると「物凄い強運の持ち主で在ると同時に物凄く運の悪い人だった。」と言えるのかもしれない。
閑話休題。此処でも何度か紹介させて貰っているtaca.氏のライブ配信への参加は、自分にとって週末の楽しみの一つ。博覧強記で、講談師の如き立て板に水の喋りっぷりのtaca.氏と、其処に集うこれ又個性的な面々との間で交わされる遣り取りがとても面白く、且つ自分自身の”血肉”になっている。時事問題を中心に熱い論議が交わされるのもしばしばなのだが、先週は「TVや映画等での過剰演出」に付いて盛り上がった。
黒澤作品を愛し、映像というものに強い思い入れを持っているtaca.氏が、「時代劇でバッサバッサと斬り倒して行くシーンを良く見掛けるが、大体日本刀は2、3人も斬れば相手の血や脂で切れ味が落ちるし、時には骨に当たって刃毀れを起こしたりするもの。そもそも日本刀は人を斬る為のものでは無く、刺し殺す(突き殺す)為の道具と言われている。だから十人斬りだ何だという演出は荒唐無稽。又、一昔前に『西部警察』というTVドラマが在ったけれども、非現実的なアクション・シーンはさて置き、使われている銃器が”その性能上に於いて”在り得ない使われ方が平気で為されていた。『ドラマや映画なんて所詮作り物だし、見ている側も非現実的な部分も在ると割り切って見ているのだから、何も目くじらを立てなくても良いじゃないか。』という意見が在るのは判っているが、でもああいった事が真実なのだと真剣に思ってしまって、現実社会の事柄にもその考えを当てはめてしまう人達も居ない訳では無いというのは問題ではないだろうか?それに『所詮作り物だから。』と理解している人間が多いという事を”甘え”にして、作り手側が何時迄も余りにも荒唐無稽な演出を続けているというのは、結局作り手全般の質を落としてしまう事にも繋がらないだろうか?『駄目な物は駄目。おかしな物はおかしい。』という勇気を持たないといけないのではないだろうか?」といった趣旨の意見を口にされた。それに対して大半は、「多くが作り物と割り切って見ているのだから、その考えは杞憂に過ぎるのではないか。」という意見だった様に思う。
私見を述べさせて貰うならば、黒澤作品や市川作品(taca.氏は自分と同様に、市川作品のファンでも在る。)に見られるリアルな所作に魅了されているのでtaca.氏の言わんとしている事も判らないでは無いが、バッサバッサと斬り倒したり、銃弾をバンバンぶっ放している映像は見た目に迫力が在るし、この程度の”過剰演出”はまあ許容範囲の様に思う。勿論、明らかに時代考証がおかしかったり(SFタッチの作品や、そういう事を狙っての演出ならば別だが。)、見ていて白け切ってしまうような演出は論外。唯、或る方が書かれた意見には一寸頷かされるものが在った。
「日本のドラマや映画には、無理無理に恋愛ストーリーを押し込んでいる物が多く、『こんな場面で何故恋愛ストーリーを入れるのか?』と疑問に思う事が良く在る。それと日本で医師のドラマや映画を製作すると、受け持っていた患者が亡くなった際に頭を抱えて苦悩したり、泣き叫んだりといったシーンが目立つが、海外の作品では概してそういった”ウエットな”シーンは少ない様に思う。それが非情だとか何だとかという事では一切無く、現実問題として毎日の様に患者の生き死にに直面している医師が、一人一人の患者に過度に感情移入をしていては身体が持たないだろう。それに受け持ち患者が亡くなった際に極端に苦悩したり、泣き叫んだりしている”演出過剰な”作品を多く見せられる事で、多くの日本人が”無意識の内に”『医師とはああ在るのが普通。』という思いが作られてしまい、そうでない対応(これは決して事務的過ぎる対応という事では無く。)を医師が取った場合に、『あの先生は酷い!』と必要以上に感情的になってしまう環境を生み出している面”も”在るのではないだろうか。」
患者の身内としては愛する者の死という現実を前にすると、どうしても感情的に為り易いもの。それは自分も経験上良く理解している。その上で言えば、医師の姿をドラマ等で過剰演出してしまう事で、患者の身内の感情をより昂らせてしまう可能性は結構高いのかもしれない。
1954年、台風15号による強風で遭難&沈没し、1,139名もの死者&行方不明者を出した青函連絡船「洞爺丸」に乗船予定で乗船切符迄購入していたのだが、乗り遅れて難を逃れたのが最初だった。次は1971年、函館空港に着陸寸前で墜落し乗員乗客全68名が犠牲となったばんだい号に彼は機上する予定だったものの、これ又乗り遅れた為に難を逃れる。そして3度目は1982年、死者33名を出したホテルニュージャパンの火災の際、宿泊していたもののその時間は外出していた為に難を逃れる。
これだけの災いを、紙一重の差で潜り抜けて来たというのは凄い事だ。大体どのケースも、普通なら生涯に一度直面するか否かの出来事だろう。そう考えると「物凄い強運の持ち主で在ると同時に物凄く運の悪い人だった。」と言えるのかもしれない。
閑話休題。此処でも何度か紹介させて貰っているtaca.氏のライブ配信への参加は、自分にとって週末の楽しみの一つ。博覧強記で、講談師の如き立て板に水の喋りっぷりのtaca.氏と、其処に集うこれ又個性的な面々との間で交わされる遣り取りがとても面白く、且つ自分自身の”血肉”になっている。時事問題を中心に熱い論議が交わされるのもしばしばなのだが、先週は「TVや映画等での過剰演出」に付いて盛り上がった。
黒澤作品を愛し、映像というものに強い思い入れを持っているtaca.氏が、「時代劇でバッサバッサと斬り倒して行くシーンを良く見掛けるが、大体日本刀は2、3人も斬れば相手の血や脂で切れ味が落ちるし、時には骨に当たって刃毀れを起こしたりするもの。そもそも日本刀は人を斬る為のものでは無く、刺し殺す(突き殺す)為の道具と言われている。だから十人斬りだ何だという演出は荒唐無稽。又、一昔前に『西部警察』というTVドラマが在ったけれども、非現実的なアクション・シーンはさて置き、使われている銃器が”その性能上に於いて”在り得ない使われ方が平気で為されていた。『ドラマや映画なんて所詮作り物だし、見ている側も非現実的な部分も在ると割り切って見ているのだから、何も目くじらを立てなくても良いじゃないか。』という意見が在るのは判っているが、でもああいった事が真実なのだと真剣に思ってしまって、現実社会の事柄にもその考えを当てはめてしまう人達も居ない訳では無いというのは問題ではないだろうか?それに『所詮作り物だから。』と理解している人間が多いという事を”甘え”にして、作り手側が何時迄も余りにも荒唐無稽な演出を続けているというのは、結局作り手全般の質を落としてしまう事にも繋がらないだろうか?『駄目な物は駄目。おかしな物はおかしい。』という勇気を持たないといけないのではないだろうか?」といった趣旨の意見を口にされた。それに対して大半は、「多くが作り物と割り切って見ているのだから、その考えは杞憂に過ぎるのではないか。」という意見だった様に思う。
私見を述べさせて貰うならば、黒澤作品や市川作品(taca.氏は自分と同様に、市川作品のファンでも在る。)に見られるリアルな所作に魅了されているのでtaca.氏の言わんとしている事も判らないでは無いが、バッサバッサと斬り倒したり、銃弾をバンバンぶっ放している映像は見た目に迫力が在るし、この程度の”過剰演出”はまあ許容範囲の様に思う。勿論、明らかに時代考証がおかしかったり(SFタッチの作品や、そういう事を狙っての演出ならば別だが。)、見ていて白け切ってしまうような演出は論外。唯、或る方が書かれた意見には一寸頷かされるものが在った。
「日本のドラマや映画には、無理無理に恋愛ストーリーを押し込んでいる物が多く、『こんな場面で何故恋愛ストーリーを入れるのか?』と疑問に思う事が良く在る。それと日本で医師のドラマや映画を製作すると、受け持っていた患者が亡くなった際に頭を抱えて苦悩したり、泣き叫んだりといったシーンが目立つが、海外の作品では概してそういった”ウエットな”シーンは少ない様に思う。それが非情だとか何だとかという事では一切無く、現実問題として毎日の様に患者の生き死にに直面している医師が、一人一人の患者に過度に感情移入をしていては身体が持たないだろう。それに受け持ち患者が亡くなった際に極端に苦悩したり、泣き叫んだりしている”演出過剰な”作品を多く見せられる事で、多くの日本人が”無意識の内に”『医師とはああ在るのが普通。』という思いが作られてしまい、そうでない対応(これは決して事務的過ぎる対応という事では無く。)を医師が取った場合に、『あの先生は酷い!』と必要以上に感情的になってしまう環境を生み出している面”も”在るのではないだろうか。」
患者の身内としては愛する者の死という現実を前にすると、どうしても感情的に為り易いもの。それは自分も経験上良く理解している。その上で言えば、医師の姿をドラマ等で過剰演出してしまう事で、患者の身内の感情をより昂らせてしまう可能性は結構高いのかもしれない。
学徒出陣した経験のある方で、その方の話によれば日本刀はライフルを真っ二つにしたり、飛行機の羽も切れるほど(使い手による)凄いものだったらしいです。 日本軍は夜陰に乗じての斬り込みという作戦を敵陣地に対して行いましたが、月明かりで刀が光らないようにグリースを塗って振り回したそうです。 そして確かに2,3人も斬れば血や体液で斬れなくなったそうです。 植民地の英・蘭兵は刀で斬られる事をとても恐れて悲鳴を上げて逃げ惑ったらしく、それが100人斬りとかにまで誇張されたのではないかとのことでした。 物量に乏しく弾薬切れで刀や銃剣による斬りこみが成功したのも初期のうちだけで、照明弾や機銃の十字砲火で守りを固めた陣地にたどり着く前に多くの日本兵が全滅を繰り返しました。
ニュース番組もそうですが、何時の頃からかTV番組でやたらとテロップが多用される様になりましたね。耳の不自由な人に対する配慮という事で在ればまだしも、そうでなければ「其処迄する必要在るの?」という気がします。視聴者に対する過保護な演出が、結果的には視聴者から集中力や思考力を殺ぐ事になっているのではないかと。又、バラエティー番組に関して言えば、「此処が笑うポイントだから笑って下さいよ。」と無理強いされているみたいで嫌ですね。
ニュース報道、特に皇室に関する報道での街頭インタビューは、”加工感”をとても感じてしまいます。本当に皆ああも揃って「皇室万歳!」的な意見を述べているのでしょうか?意図的に悪し様な報道をするのも問題ですが、逆に何でもかんでも美化し過ぎた報道をするのも個人的には気持ちが悪いです。
でも「振り返れば奴がいる」は好きでしたが。
あの柴馬先生の何処まで言ってもクールなところが
痺れます。ちなみにアタシもあれみて外科を志しました(笑)
そうそう、おっさんの配信に参加されているのですね^^
ちなみにアタシもそうです。
何せ、コンバットをリアルで見ていた世代だからかな。
まあ作り物だとわかっていても、いまだに、スプラッターはどうも好きになれない。
「プライベート・ライアン」はリアリズムの極致と言える作品で、あれを見て気持ちが悪くなってしまった人も少なくなかったとか(苦笑)。確かに決して気分のよさを覚える映像では在りませんが、実際の戦争はあれと同じ、又はそれ以上の悲惨さを伴っている訳で、そういったものを直視するというのも大事な面は在る様に感じます。(唯、スプラッター系は自分も苦手で、見る事は先ず無いです。)
P.S. 自分がアンソニー・ホプキンス氏を初めてスクリーンで観たのはドクター役で出演していた「エレファント・マン」でした。以前読んだ雑誌に書かれていた情報によると、ホプキンス氏は「○○○○年○○月○○日」と問われて即座にその日の曜日を答えられるという”林家ペー師匠もどきの特技を持っておられるそうです(笑)。
戦争をテーマにした映画に関しては「プライベート・ライアン」以降、如何にリアルに戦場を再現するかという点に主眼が置かれる様になった面は在ると思います。しかし、よりリアルに再現しようとするとそれに準じて予算も膨らむでしょうし、何よりもリアル過ぎるのを好まない人達がそっぽを向いてしまう懸念も在り、難しい所では在りますね。
どの世界でも言えますが、物事が極端に片方に寄ってしまった時、大概は揺り戻しと言いますか反動が来るもの。演出に於いては一体どうなる事やら。