「五・一五事件」や「二・二六事件」に比べると、「血盟団事件」の一般的な認識度は低い気がする。歴史、特に近代史が好きなので、「血盟団事件」を知ってはいるが、じゃあ「どういう事件なのか?」と問われたら、「日蓮宗の僧侶・井上日召が率い、『一人一殺主義』を掲げた右翼団体『血盟団』が、革命を目指し、1932年に起こした連続テロ事件で、前大蔵大臣・井上準之助氏と三井財閥の総帥・團琢磨氏が暗殺された。」位しか答えられない。以前より「此の事件に付いて、詳しく知りたい。」と思っていたので、「血盟団事件」(著者:中島岳志氏)を手に取った。
資料に当たり、事件に関係する場所を実際に訪れ、そして関係者へのインタヴューを行う等し、此の本を書き上げたという中島氏。インタヴューの相手は「首謀者・井上日召の娘」、「被害者・團琢磨氏の曾孫」、「血盟団のメンバーの1人・四元義隆氏(後に政界の黒幕的な存在として、歴代首相の指南役となった)と近しかった中曽根康弘元首相」、そして「血盟団のメンバーの1人・川崎長光氏」。川崎氏は後に「五・一五事件」で陸軍軍人・西田税を狙撃した人物でも在るのだが、インタヴューが行われた2010年時点では存命(2011年に101歳で亡くなった。)だった。「遥か歴史の彼方の話」と思っていた血盟団事件だが、“最後の血盟団員”が3年前迄存命だったという事実に、「同事件は、今の世の中と“陸続き”なのだなあ。」と感じさせられた。
*********************************
私は、血盟団事件を追いかけながら、どうしても現在社会のことを思わざるを得なかった。格差社会が拡大し、人々が承認不安に苛まれる中、政治不信が拡大し、救世主待望論が浸透する現実が、1920年代以降の日本とあまりにも状況が似ている。既成政党に対する不信が「第三勢力」への期待とつながり、「決められる政治」や「グレート・リセット」を叫ぶ政治家に人気が集まる状況は、この国の過去と重なり合う。
*********************************
後書きに記されていた様に、「血盟団事件が起こった当時」と「今」では、世情に似通った部分が少なく無い。社会に閉塞感を覚え、冗談にせよ「戦争でも起こって、社会が大きく変わってくれないかなあ。」なんぞと口にする連中が結構居たりする「今」に、何とも言えな不気味さを感じる。
********************************
左派はすべてを階級闘争に還元し、日本の歴史を階級闘争の連続として読み解こうとする。しかし、それは「社会主義共産主義」の演繹的な解釈に過ぎず、平和よりも闘争を煽り立てている。左派の理論では「永遠に平和は来らずして猛獣の世界が現出する事にな」り、彼らは「人類の反逆者」となる。
一方、右派の議論では、個人の自由競争を「指導原理」とするため、資本主義的闘争が永続する。生活の中心は経済に支配され、弱肉強食の論理が横行する。人は資本をめぐって闘いつづけ、利己的個人に成り下がる。
*********************************
1973年の文献に記された井上日召の言葉だが、「成る程。」と思わされる部分が。「巧みな弁舌で農村の若者達を魅了し、次第にカリスマ的指導者として君臨する様になった。」とされる彼だけ在る。
血盟団のメンバーには「大洗グループ」と称される農村の若者達の他に、「東京帝大グループ」や「京都帝大グループ」と称される連中も居る。「“宗教色”を漂わせるカリスマ的指導者の下、エリートと呼ばれる若者達が集まり、自らの考えを押し通す為にテロを実行する。」とか「組織から“信者達”を離脱させない為、『階級』を設け、修行のレヴェルに応じて、階級を上げ下げする。」とか、嘗ての「オウム真理教事件」との共通点を感じさせる。
テロ、其れも殺人行為が在ったというのに、恩赦で早い段階に社会に戻る等、血盟団メンバー達への寛容さが見受けられるのは、「軍部が台頭して来た時代」というのと無関係では無かったろう。又、社会に戻った彼等の多くが、其の後、要職に就いたという事実も、中々興味深い。
此の本を読む迄、「井上日召は、最初からテロを目論んでいた。」と思っていたのだが、「当初は暴力的な活動を志向しておらず、飽く迄も地道な啓蒙活動に依拠していた。」というのは意外だった。社会の理不尽さを真剣に憤り、「何とかしなければ。」という使命感だけで行動したメンバーも少なからず居た様だが、其れ以外の思惑を持つ人物達が介在して行く中で、「暴力によって物事を解決しようとする集団」へと変貌して行った様だ。
北朝鮮等、明々白々な「独裁国家」に在る国民が、自国を変えんとして暴力行為に及ぶのは理解出来なくも無いが、(そうで無いのに)自身の理想や理念を遂げる為だけに暴力行為に及ぶというのは、個人的に賛成出来ない。(況や、無関係な人間をも巻き添えにするなんて言語道断。)「血盟団事件」を読んで、其の思いを一層強くした。
重信さん全盛期当時は赤軍派と血盟団の共通点も語られることが多かったです。幹部に厳然たる学歴による階級があったこと(トップが京大で、次が同志社、大阪市大、最前線は桃山学院、とか)、基本的にこの時代の極左は「反米」かつ愛国的とみなされていたこと。(反日という印象がもたれるようになったのは1970年代からと思います)実際に赤軍派が相次ぐ指導者の逮捕で瓦解して、一部はアラブに逃げ、一部が「京浜安保共闘」と合同し、連合赤軍になるのですが、この「京浜~」のモットーが「反米愛国」でした。
そういう意味では常にこういった行き場の無い激しい思想の若者がいたことは事実かと思います。
私の先輩で「特攻隊になりたかった…」が口癖の極左がいました。未だにそう言ってるようです。ちと気持ち悪いですが。今は極右に転向してネトウヨブログやってて怖いです^^;。「男は死に向かって生きるべきなんだそうです」。だったらもう60過ぎなんだからいいじゃないか、と言いたくてウズウズ。
恥ずかしい話ですが、重信房子の父親と血盟団の関係を、今回の書き込みで初めて知りました。「血盟団のメンバーだった四元義隆と同郷の鹿児島県出身で、第二次世界大戦前の血盟団事件に関与した右翼団体『金鶏学院』の門下生だった。」んですね。驚きです。
渡邉恒雄氏や中曽根康弘元首相、赤尾敏氏、西部邁氏等、共産党シンパから転向し、右派の重鎮的な存在になった人は結構居ます。以前にも書いた事だけれど、「極左⇔極右」の転向が少なからず在るという事は、「極左と極右って紙一重なんだろうなあ。」と思います。
「『だったら、もう60過ぎなんだから良いんじゃないか。』と言いたくてウズウズ。」というAK様の御気持ち、凄く判りますね。理想や理念を持つ事は決して悪い事では無いのだけれど、其の理想や理念に振り回されるだけだったとしたら、「何だかなあ・・・。」と思ってしまうし。
「行動の美学」を口にするような人たちって、自己陶酔型のような気がしますが。
無闇矢鱈と「愛国」やら「正義」やらを口にする人、其れも「形式」に異常な程固執し、他者に強いる様な人は、概して「こんな事を主張する自分って、何て素晴らしいんだろう。」という自己陶酔に陥ってるケースが、自分も多い様に感じますね。