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「配偶者の家事・介護を相続に反映 法務省が検討開始」(1月28日、東京新聞)
法務省は28日、配偶者の相続拡大を議論する「相続法制検討ワーキングチーム」の初会合を開き、遺産分割の際に考慮される配偶者の貢献内容を見直す方針で一致した。現行制度で殆ど勘案されない家事や介護に付いて、相続に反映させる方向だ。今夏に中間報告を纏め、民法改正に向けて来年1月の新制度案策定を目指す。
改正が実現すれば、1980年に配偶者分が3分の1から2分の1に引き上げられて以来の本格的な見直しとなる。
チームは有識者と省幹部で構成し、座長には民法や家族法に詳しい大村敦志東大教授が就任した。
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真剣に捉えている人が少ない様に感じられるのだが、来年1月1日から「相続税及び贈与税の制度」が大きく変わる。「相続税や贈与税なんて、家みたいな貧乏人には無関係な話。」と高を括っている人も多いのだろうけれど、変更後は課税対象者が大幅に増えるのは確かだ。
例えば相続税の場合、「基礎控除の引き下げ」だけでも「固定額:5千万円→3千万円、変動額(法定相続人1人当たり):1千万円→6百万円」と大幅に減る。「法定相続人が妻1人、子供2人、合計3人の場合。」を想定すると、現在の基礎控除額は「5千万円+(1千万円X3人)=8千万円」だが、改正後は「3千万円+(6百万円X3人)=4千8百万円」に減ってしまう。
即ち此のケース、「現在は、相続する財産総額が8千万円以下ならば、相続税が課せられなかった。」けれど、「改正後は、4千8百万円を超えると課せられる。」事になる。非課税対象額が、3千2百万円も開いてしまう訳だ。相続に一寸した土地が絡めば、4千8百万円なんて超えてしまうだろうし、決して「私達には無関係。」という状況では無くなる。そんな状況になれば、相続を巡るゴタゴタは多くなる事だろう。
「配偶者の家事や介護を、相続に反映させる事を法務省が検討開始。」という報道の他に、「子供の場合も、家事や介護の有無を相続に反映させる事を検討。」なんていう報道も在った。「家事や介護を、誠心誠意行った人が報われる。」という点では、悪く無い気もする。
昨年11月の記事「何方も可哀想」。「60年前に生まれた男性に関し、弟達が『実兄では無いのではないか?』と疑い、DNA型鑑定を行った所、新生児として生まれた病院で、取り違えられていた事が判明した。」というニュースを取り上げたのだが、此の記事への(当ブログを良く覗いて下さっている)AK様の書き込みで、強く印象に残った記述が在った。
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ニュースを聞いた時に、大時代的な映画やドラマを連想したのですが、血縁を疑った理由等、何と無く土着的と言うか・・・、そういう「介護を遣りたがらない子供」って多いと思うし(実際、下の世話とか大変ですよ。妻に押し付けて、家庭内争議の末、離婚とか在り勝ち)、偶然こういう結果になったと思うけど、疑った理由が余りに非科学的且つ前近代的で、嫌な感じ。
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「介護をしたくても、出来ない状況。」というのも在るだろうし、「介護をしなかったから。」という理由“だけ”で、爪弾きの様な事になったの“だとしたら”、確かに自分も良い感じは持てない。
「税金」が絡む事から、「国家の介在」が“或る程度”在るのは致し方無い。でも、「『生活保護を受けるレヴェルの人達の生活の面倒を、より広く親族に見させる方針。』を打ち出す。」等、「家族とは、こう在るべきだ!」という“多様性を認めない押し付け”が顕著な現与党だけに、「家事や介護の有無を、相続に反映させるなんて、国家が介在し過ぎでは?」という思いも在る。
家事や介護の有無が相続に反映されるとして、「対象となる家事や介護の“期間”や“内容”」というのも、問題になって来るだろう。極論を言えば、より多くの相続を期待して「僅かな間だけ、乃至は形だけの家事や介護を行う。」というケースも考えられるから。
其処で、皆様にズバリ聞きます!「今回のニュース、皆様はどう考えられますか?」。
うわーこれ事情があってやれないことも多いのにねえ。
また、それを行った子どもにプラス、
行わなかった子どもをマイナスというのも気色悪い。
現実には介護そのほかの担い手となることが多いのに
遺産相続の蚊帳の外に置かれている「嫁」はどうすりゃいいんでしょうかねえ。
相続は法定相続通りを原則、とすべきだと思います。
なお我が家の場合、母親の法定相続人が私だけだったので
夫に了解を得て、結婚直後に母と養子縁組を結んでもらいました。
家族揃って食卓を囲み、TV番組を見乍ら、ああだこうだと談笑する。我が家の夕食時の光景は、そんな感じでした。そういうの光景が普通と思っていたのですが、学生時代の友人から「夕食はTVが点けられる事も無く、黙々と食べるだけで、そういう状況が本当に嫌だった。さっさと食事を終え、自分の部屋に戻ると、心からホッとした。」という話を聞き、「そういう家庭も在るんだ・・・。」とカルチャー・ショックでした。事程左様に、「家族の形」は千差万別なんですよね。
「愛国とは、こう在るべき。」、「家族とは、こう在るべき。」、「国家とは、こう在るべき。」等々、現政権は兎に角「形式」に固執し、其処から食み出すモノは、罰則やらデメリットやらを与える事で、実質的に排除し様としている感じがし、其の点では凄く気持ちが悪い。
「御国の為、死んで来い!」と、周りの目を気にして、心にも無い事を言わざるを得なかった親達が、大東亜戦争中の日本では何れだけ居た事か。「御国の為に死ねない者は非国民。」という意識と、「~とは、~で在るべき。」という強制とは、非常に似ている気がします。
「こういう形が望ましい。」という理想が在ったとしても、家庭は其れ其れ異なった環境を有する訳で、十把一絡げ的に「統一」し様とするのはおかしな話。
最近の日経にも「嫁」救済遺産相続術みたいなおそらく団塊以上ターゲットの特集記事が出てたし。
でももう20年遅かったよね。これからお世話になる年代の人たちは結構終活熱心ですよ。自分たちが前近代的な親世代に痛めつけられた&子供の数が少ない上に近くに住んでいないからだと思う。
うちのほうは「企業城下町」を形成してた中規模の製造業の一部上場地元会社が海外移転積極的にしたもんで、そこの人結構単身赴任などで何十年も東南アジアや中国って例が多いんですわ。第二次オイルショック以降約10年新卒取らなかったから、今その前に高卒で入った人らが現地の幹部になって行ってる。「ヨソの大企業とは違って、ワークシェアリングの最先端だろ。上の仕事も下の仕事も全部やってるぞ」なんて自虐気味に「タイ行って20年」の同級生に言われました。
そういや「子沢山」かつ「長男の嫁が見るべき」という思考のご老人はこの20年の間にだいぶ死んじゃったし。
うちの親類にもそれで揉めに揉めた例がいくつか…。
私の家庭は配偶者含めて兄弟少ないもんで揉めようがないのが幸いなのか、他人に押し付けた挙句に権利だけは主張する意地悪小姑(舅)になれなくて不幸なのかわからない。もっとも今、まあ地域にもよるだろうが、そんなことしたら悪評プンプンで村八分にされるだろうけど。うちのあたりはヤクザ温泉街の廃温泉旅館を改築して国民年金程度で入れる高齢者マンションが結構多いのです。そこに行く人が多いらしいです。
上に書いたような事情で中年層も薄いからだと思います。
「介護を押し付けられ勝ちなのに、遺産相続の範囲外の『嫁』救済策だと思いますよ。」、そういう面は在るでしょうね。記事でも記した様に、「家事や介護を、誠心誠意行った人が報われる。」というのは「在り。」だと思うのですが、「美しい国の国民は、こう在るべき。」という「形式の押し付け」を感じてしまう“政策”が目に付くのが、気になる所。「多様性を認めず、排除の論理が罷り通るスタンス。」というのは無理が在り、社会から潤いを無くすだけだと思うんです。何でも彼んでも「自由」というのも良く無いけれど、其の正反対も同様。日本って、何でもこうも極端な方向に触れちゃうんでしょうね。
変な話、ネトウヨさんから「反日」扱いの旧全共闘の方々のほうが大真面目に介護に取り組んでいるかも。
「私(俺)を生んでくれた人だから!」とか必ずこの文句つき。確かに、こんな暴力学生にまでなった人間をかばってくれた親はありがたいですが、あんたらがそういうの下の世代にまでその価値観押し付けてたら、あんたらが心底嫌っていた戦中派と一緒じゃない、って思うんですよね。だからロスジェネに殺したいほど嫌われるんだよ、と。
ネトウヨさんって、あいつらのせいでエライめに遭ってるその年代(1968-1980?生まれ?)がコアな年代と思うし、私のタイ生活20年の同級生のように『おかげで嫁の来手がありませんでした』的な人も多そうだし。
苦笑するしか無いのは、極右や極左といった余りに極端な主張をする人達は“概して”、自身が“攻撃している対象”と、結果的には同じ様な事をしている点。「人が遣ったら許さないけれど、自分達がする分には全くOK。」というのでは、余りに身勝手。「自分がされて嫌な事は、他者に対してしない。」というのが、真っ当な人間だと思うんですけどね。
中国や韓国が「政府に対する国民の不満」を反らす為、“ガス抜き”として「反日」という概念を執拗に持ち出す。こういうのは自分も辟易としている訳ですが、彼の政府が「使い勝手が良い。」と散々使って来た「反日」という概念も、若い世代が“染まり過ぎた”が為に、当局が彼等の“暴走”をコントロール出来なくなって来ている。こういう愚策は結局の所、政府への大反発として跳ね返って来るのではないかと。
先日、知り合いから「安倍首相のFacebookが凄い事になっている。」とのメールが在り、記されていた所を覗いてみた所、確かに凄い事になっていました。
成り済まし等が在りますから、本当に安倍首相のFacebookなのか断言出来ないのですが、書かれている内容から九分九厘間違い無いと思うのですが、自民党が応援する都知事候補に対する罵詈雑言の書き込みで溢れ返っていて、其の殆どが「論」を為しておらず、「在日だから応援するな!」的な内容許り。本当に在日なのかどうか知らないし、そんな事は個人的にどうでも良い事なのだけれど、「在日だから都知事にさせてはいけない。」という書き込みを、良い歳をした連中が自身の顔写真や名前付きで書き込んでいる事に、正直呆れ返りました。
苟も一国のトップのFacebookに、こういった差別的な書き込みが多く並んでいるというのは、同朋として恥ずかしい許りか、此れを他国の人達が見たら、「日本という国をどう思うだろうか?」と哀しかった。
所謂ネット右翼達の熱い支持を受け、彼等に受ける様な言動をし、そして彼等を利用して来た安倍首相。自民党の中からも、「国民はネット右翼だけでは無い。ネット右翼に囲まれる事に居心地の良さを感じ、どっぷり浸ってしまうのは、非常に危険。」という声が以前から出ていましたが、「在日だ何だ。」と主張する程迄に差別主義者では無い(と信じたい)安倍首相も、彼等を利用し過ぎたが為に、中国や韓国と同様、“染まり過ぎた連中”によって自らの足元を掬われるのではないかという感じがしています。