自分の中で最も古い記憶は、「天井にぶら下がった幾つかの白熱電球によって、薄暗く照らされた店内を、多くの買い物客が歩き回っている光景。」だ。八百屋や魚屋等、幾つかの店で構成された“商業施設”(「スーパーマーケット」といった“今風”の雰囲気では無く、「個人商店の寄せ集まり」みたいな感じの施設。)で、其処が何処なのかずっと判らなかったのだが、中学の頃だったろうか、両親に其の話をした所、「昔、大阪に住んでいた際、良く買い物に行っていた近所の商業施設。」で在る事が判明。自分が大阪で暮らしていたのは2歳半ば位迄なので、「そんな頃の記憶も、覚えているものなんだ。」と驚いてしまった。
何でこんな思い出話を書いたかと言えば、「幼児期の環境や経験って、凄く重要なんだなあ。」と再認識させられる話に、先達て触れたから。
世界の辺境の地に暮らしている日本人を訪れ、どうして其処に住み着く事になったのかを紹介するドキュメンタリー番組「世界ナゼそこに?日本人 ~知られざる波瀾万丈伝~」。異国の地、其れも“辺鄙な地”と呼ぶのが相応しい場所で、様々な逆境にめげず、必死で頑張っている日本人を取り上げている此の番組が好きで、しばしば見ているのだが、先達てのスペシャル版では3人の日本人女性が紹介されていた。
ガボン共和国、レバノン共和国、そしてヨルダン・ハシミテ王国と、其れ其れ異なる国に在住の3人なのだが、強く印象に残ったのは、レバノン共和国とヨルダン・ハシミテ王国に在住する2人の日本人女性の幼少期に付いて。
レバノン共和国在住の女性は、幼少期に複雑な家庭環境だった事も在り、孤独な日々を送っていたと言う。そんな彼女を魅了し、そして支えたのが1冊の絵本で、其れは「アラビアンナイト(千夜一夜物語)」。「何時かアラブの国に住んでみたい。」と思う様になり、結果としてレバノン共和国に住む様になったと言う。
ヨルダン・ハシミテ王国の女性は、同国に避難している多くの難民を救済する仕事をしている。19年前、愛する夫と5歳の息子を日本に残し、同国に移住したという事に関しては、人によって賛否両論在るだろう。唯、「『赤の他人を救う為、家族を犠牲にして働く。』というのは、中々出来る事では無い。」というのは確か。彼女が「『人の為に生きる正義の味方』に憧れるようになった。」のは、子供の頃に見たアニメ「鉄腕アトム」【動画】の影響が大きかったと言う。
宇宙飛行士の古川聡氏は、子供の頃に特撮番組「ウルトラセブン」【動画】を見て「ウルトラセブンになりたい。」と本気で思い、其の思いが宇宙への憧れとなり、結果として宇宙飛行士になった訳だ。
「幼少期の夢や憧れを、大人になって完全に叶えた。」という人は、極めて少数派だろう。自分なんぞは様々な夢や憧れを持ったけれど、1つとして叶えていないし。
でも、幼少期に多くの本に触れた事で、今も読書が大好きな人間。こういう事からも、「幼少期の環境や経験って、凄く重要なんだなあ。」と染み染み感じてしまう。
幼少期の夢や憧れを現実のものにしている人たちって、本当に凄いですね。「強く念じて努力すれば夢は叶う」といいますが、それは成功者だからいえること。
現実にはすべての人が夢の実現者に成れることは有り得ないし、もし有り得たとしたら、さらにその先の夢の実現という目的(目標?)が生じるだろうから・・・ってなことを思っているから、夢を実現できなかったんでしょうねえ(苦笑)。
此方に書き込みを下さる方の中には、玄人はだしの料理を作られる方、プロの小説家の様な作品を著している方、そして悠々遊様の様に天文に関して専門家並みの知識を記されている方等、心から「凄いなあ。」と感嘆してしまう方々が多いです。
「夢を諦めない。」、口にするのは簡単だけれど、其れを貫き通す人は本当に稀有。其の意志の強さには、唯々頭が下がります。
波瀾万丈と迄は言わない迄も、他者に比べると比較的“波”の在る人生を送って来たという思いが在るのですが、マヌケ様の人生からすると「全然大した事は無いかも。」と思います。
マヌケ様の書き込みから学ぶ事も多いし、とてもそんな波乱万丈な人生を送られて来たとは思えなかったりもするのですが、仰る様に良い方々に恵まれたのは大きいのでしょうね。何や彼や書かれていても、今は御幸せな御家族に囲まれているというのが伝わって来ますし。
幼少期の出来事がトラウマとなっている・・・結構在ると思います。名古屋に住んでいた幼少期、下の兄弟を連れて、近所の造成地に遊びに行きました。結構な雨が降った翌日だったと記憶しているのですが、広い造成地を歩いていた所、兄弟が大きなぬかるみに足を入れてしまい、ずぶずぶと足が沈んで行ってしまったのです。今考えれば、精々足首よりも一寸高い位置位迄埋まった程度だったのでしょうが、何しろ子供だったものですから、「此の儘、全身が埋まってしまう。」と焦り捲ってしまった。「御兄ちゃん、助けて!」という兄弟の声、そして必死で助け上げる自分。今でも彼の時の事は忘れられないし、ぬかるんだ造成地を目にすると、ゾッとしたりします。完全にトラウマになっていますね。