ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

幼児期の環境や経験の重要さ

2013年10月20日 | 其の他

自分の中で最も古い記憶は、「天井にぶら下がった幾つかの白熱電球によって、薄暗く照らされた店内を、多くの買い物客が歩き回っている光景。」だ。八百屋魚屋等、幾つかの店で構成された“商業施設”(「スーパーマーケット」といった“今風”の雰囲気では無く、「個人商店の寄せ集まり」みたいな感じの施設。)で、其処何処なのかずっと判らなかったのだが、中学の頃だったろうか、両親に其の話をした所、「昔、大阪に住んでいた際、良く買い物に行っていた近所の商業施設。」で在る事が判明自分が大阪で暮らしていたのは2歳半ば位なので、「そんな頃の記憶も、覚えているものなんだ。」と驚いてしまった。

 

何でこんな思い出話を書いたかと言えば、幼児期の環境や経験って、凄く重要なんだなあ。と再認識させられる話に、先達て触れたから。

 

世界の辺境の地に暮らしている日本人を訪れ、どうして其処に住み着く事になったのかを紹介するドキュメンタリー番組「世界ナゼそこに?日本人 ~知られざる波瀾万丈伝~」。異国の地、其れも“辺鄙な地”と呼ぶのが相応しい場所で、様々な逆境めげず、必死で頑張っている日本人を取り上げている此の番組が好きで、しばしば見ているのだが、先達てのスペシャル版では3人の日本人女性が紹介されていた。

 

ガボン共和国レバノン共和国、そしてヨルダン・ハシミテ王国と、其れ其れ異なる国に在住の3人なのだが、強く印象に残ったのは、レバノン共和国とヨルダン・ハシミテ王国に在住する2人の日本人女性の幼少期に付いて。

 

レバノン共和国在住の女性は、幼少期に複雑な家庭環境だった事も在り、孤独な日々を送っていたと言う。そんな彼女を魅了し、そして支えたのが1冊の絵本で、其れはアラビアンナイト(千夜一夜物語)。「何時かアラブの国に住んでみたい。」と思う様になり、結果としてレバノン共和国に住む様になったと言う。

 

ヨルダン・ハシミテ王国の女性は、国に避難している多くの難民救済する仕事をしている。19年前、愛する夫と5歳の息子を日本に残し、同国に移住したという事に関しては、人によって賛否両論在るだろう。赤の他人を救う、家族を犠牲にして働く。』というのは、中々出来る事では無い。というのは確か。彼女が「『人の為に生きる正義の味方』に憧れるようになった。」のは、子供の頃に見たアニメ鉄腕アトム」【動画】の影響が大きかったと言う。

 

宇宙飛行士古川聡氏は、子供の頃に特撮番組ウルトラセブン」【動画】を見て「ウルトラセブンになりたい。」と本気で思い、其の思いが宇宙への憧れとなり、結果として宇宙飛行士になった訳だ。

 

「幼少期の夢や憧れを、大人になって完全に叶えた。」という人は、極めて少数派だろう。自分なんぞは様々な夢や憧れを持ったけれど、1つとして叶えていないし。

 

でも、幼少期に多くの本に触れた事で、今も読書が大好きな人間。こういう事からも、「幼少期の環境や経験って、凄く重要なんだなあ。」と染み染み感じてしまう。


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4 コメント

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Unknown (悠々遊)
2013-10-20 08:46:00
わたしも「夢を叶えられなかったその他大勢」のひとりです。いまは趣味の世界で「ごっこ」で代償行為にふけっているようなものです(笑)。
幼少期の夢や憧れを現実のものにしている人たちって、本当に凄いですね。「強く念じて努力すれば夢は叶う」といいますが、それは成功者だからいえること。
現実にはすべての人が夢の実現者に成れることは有り得ないし、もし有り得たとしたら、さらにその先の夢の実現という目的(目標?)が生じるだろうから・・・ってなことを思っているから、夢を実現できなかったんでしょうねえ(苦笑)。
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>悠々遊様 (giants-55)
2013-10-20 23:58:54
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

此方に書き込みを下さる方の中には、玄人はだしの料理を作られる方、プロの小説家の様な作品を著している方、そして悠々遊様の様に天文に関して専門家並みの知識を記されている方等、心から「凄いなあ。」と感嘆してしまう方々が多いです。

「夢を諦めない。」、口にするのは簡単だけれど、其れを貫き通す人は本当に稀有。其の意志の強さには、唯々頭が下がります。
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Unknown (マヌケ)
2013-10-22 12:52:43
人格形成期にトラウマとなるような強い記憶として残る出来事などがあると成人してからも影響はあるでしょうね。 私の場合は体に数か所記憶にないけれど今でも残っている傷があります。 左足の甲に火傷と後頭部の頭蓋陥没痕です。 火傷はおそらくノイローゼ気味だった母が原因かと思われます。 陥没痕は、記憶が飛び飛びであいまいなのですが、誘拐されたような記憶がありまして、その時のものと思われます。 助けられたのは警察からではなく、祖父の政治団体に属していた若い衆によってです。 どうやってそこまで連れてこられたのかの記憶が飛んでいるのですが、金属の歩くとタンタン音がする階段を上がって、アパートの二階の部屋に入り、ちゃぶ台を挟んで若い女の人と対面して畳に座った記憶があります。 それから、体面して座っている女の背中側が玄関で、ドアが開いたままだったので、走れば逃げられると考えた記憶ははっきりとあります。 それから、女の人から「あんたかわいいね、うちの子にならん」と言われたことも覚えています。 玄関の外で黒い服の背の高い男が一人立っていたこともおぼろげながら覚えています。 そこから先は記憶がありません。 いろんなものが吹っ切れるまで、思春期と通り越して、成人して、いい人たちと出会って、ようやっと40歳くらいでまともになれた気がします。
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>マヌケ様 (giants-55)
2013-10-22 14:16:33
書き込み有難う御座いました。

波瀾万丈と迄は言わない迄も、他者に比べると比較的“波”の在る人生を送って来たという思いが在るのですが、マヌケ様の人生からすると「全然大した事は無いかも。」と思います。

マヌケ様の書き込みから学ぶ事も多いし、とてもそんな波乱万丈な人生を送られて来たとは思えなかったりもするのですが、仰る様に良い方々に恵まれたのは大きいのでしょうね。何や彼や書かれていても、今は御幸せな御家族に囲まれているというのが伝わって来ますし。

幼少期の出来事がトラウマとなっている・・・結構在ると思います。名古屋に住んでいた幼少期、下の兄弟を連れて、近所の造成地に遊びに行きました。結構な雨が降った翌日だったと記憶しているのですが、広い造成地を歩いていた所、兄弟が大きなぬかるみに足を入れてしまい、ずぶずぶと足が沈んで行ってしまったのです。今考えれば、精々足首よりも一寸高い位置位迄埋まった程度だったのでしょうが、何しろ子供だったものですから、「此の儘、全身が埋まってしまう。」と焦り捲ってしまった。「御兄ちゃん、助けて!」という兄弟の声、そして必死で助け上げる自分。今でも彼の時の事は忘れられないし、ぬかるんだ造成地を目にすると、ゾッとしたりします。完全にトラウマになっていますね。
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