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化学物質過敏症:非常に微量の薬物や化学物質(主に揮発性有機化合物)の曝露によって、健康被害が引き起こされるとする疾病概念。人体の薬物や化学物質に対する許容量を一定以上超えると引き起こされるとされており、個人差が大きいと言われる。
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昨日放送されたNNNドキュメント’19は、化学物質過敏症に苦しむ人々を取り上げていた。シックハウス症候群等、化学物質過敏症に付いて其れなりに理解している積りだったが、“現実”は考えていた以上に大変な物だった。
建材に含まれる化学薬品等だけでは無く、髪の毛や服に付いた煙草や柔軟剤等の匂いにも強く反応し、激しい頭痛や眩暈が引き起こされたり、時には鼻血が止まらなくなったりする人達が存在する。
以前は全くそういう症状が出なかったのに、或る日突然、化学物質過敏症を発症する人も珍しく無い様だ。実際、今回の番組でも「昔は煙草を吸い、髪の毛も染めていたのに、全く症状が出ていなかったが、或る日突然、発症した女性。」が登場していたし。
或る調査によれば、“予備軍”も含めると「我が国の化学物質過敏症患者の割合は、約13人に1人。」と言う。そんなにも多いのに、此の病は発症プロセス等、判らない事だらけなのだとか。
化学物質過敏症患者が出来る事は、“発生元”から逃げる事だけ。仮に発生元が自宅内に在ったとしても、逃げた先の“周り”に新たな発生元(匂い等)が存在している場合も。
化学物質過敏症と、医者から診断されていない“患者”も存在する。其の可能性が非常に高いけれど、病院に行く迄の間、自動車の排気ガス、人から発せられる煙草や柔軟剤の匂い等で気分が悪くなってしまい、診断を受けられないというケースも在るからだ。
昔は普通に飲めていた珈琲が、或る日突然、匂いを嗅いだだけで、体調が悪くなる様になった。化学物質過敏症という事では無いのだろうけれど、実際に自分の兄弟が該当する。「頭痛や吐き気がしたり、体が痒くなったりする。」と何度も訴えていたが、家族は「神経質なだけでは。」と軽く考えていた。と言うのも、昔は問題無く飲んでいたから。でも、「此の苦しみを、誰も判ってくれない。」と涙を浮かべて訴えて来た時に、漸く「どんなに苦しかったが理解出来たし、軽く考えていた事を心から申し訳無く思った。」のだった。
番組では、化学物質過敏症に苦しむ小学生2人が紹介されていた。此の病気に関する理解を深めて貰おうと、患者の親がクラスメートの前で説明、そして質問に答えていた。説明等を受けた後、「発熱すると言っていたけれど、体温計を懐炉で温めて、誤魔化しているのではないかと思っていた。」、「好きな授業だけ受け、嫌いな授業は『体調が悪い。』という理由で、サボっているのだと思っていた。」というクラスメートの声が印象に残った。
苦しくて、時には鼻血を出す事も在ったという2人。彼等にとって、“肉体的な苦しみ”も然る事 乍ら、“病を理解されない苦しみ”というのも、相当な物だったろう。
こうした、目に見えない疾病は、医療の技術的発展、
というより、国による人権意識や、病人、障害に対する理解力
の低さもあるのでしょうね。
民間の意見や、世論が、医療や建設業などのプロの分野に、
一定の影響力を持ち、無計画な投資ではない、本当に
必要な社会事業や公共事業にお金が使われて欲しい
と思います。
「我が国に於ける化学物質過敏症患者の割合は、約13人に1人。」という現実が在るのに、対策に付いて環境省に問い合わせると「其れは厚生労働省の管轄。」とされ、では厚生労働省に問い合わせると「発症のプロセス等が良く判らないし・・・。」と、結局は他に責任を押し付ける状況。縦割り行政の弊害とも言えましょうが、こんなにも苦しんでいる国民が居るというのに・・・。
「一定の影響力を持ち、無計画な投資では無い、本当に必要な社会事業や公共事業に御金が使われて欲しいと思います。」というのは、全く同感です。
又、我々国民も「知らない事は罪。」という事を、もっと自覚しないといけないでしょうね。此の病に対する知識が無いと、仮に周りに悩んでいる人が居ても、「何サボってるんだか。」という思いになるだろうし、延いては其れが差別や偏見を生み出してしまうので。
化学物質過敏症とはちょっと違うかもしれませんが、最近タバコのにおいに特に敏感になってきました。
40歳手前まで20年以上タバコを吸ってきた身としては、他人に文句を言える筋合いではないのですが、スーパーやコンビニの喫煙コーナーのそばを通り過ぎるときや、歩きタバコをする人とすれ違った後も、見えないにおいの帯に付きまとわれて苦痛になります。
愛煙家の中には、余計に税金を払って社会貢献しているから文句を言われる筋合いはない、と逆襲する人もありますが、その税金でこちらの被害が救済されているわけではないので、困ったものです(苦笑)。
「嘗ては喫煙していたけれど、今は煙草の匂いに過敏になっている。」、そういうのも在るのですね。記事で書いた自分の兄弟のケースと、似た感じですね。
喫煙を過度に排除し様とするのもどうかと思うけれど、一方で“喫煙権”を過度に主張するのもどうかと感じています。御互いの立場を慮り、何処で折り合うかを考える。そういう姿勢が重要ですね。