ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「自分達の生活を守る事だけで精一杯な高齢者」も少なくない

2013年02月17日 | 其の他

子供の頃、夢中になって見ていたNHK連続TV人形劇新八犬伝」。ウン十年経った今でも忘れられない番組で、「全464話中、4話しか現存しない。」というのが返す返すも残念でならない。子供に媚びた作りでは無く、大人の鑑賞にも十二分堪え得る、名作の1つだったから。

 

新八犬伝をもう一度見ようよ!」というサイトが在る。運営されているCarina様は「新八犬伝」放送当時は小学生で、年の離れた令弟居られた事からチャンネルの選択権が無く、実際に「新八犬伝」の放送は見ておられなかったそうだ。でも、ノベライズされたストーリー等に触れ、同番組の大ファンに。「こんな素晴らしいTV番組が在った。」と後世に伝えたく、サイトの立ち上げを決意。此の番組を忘れられない人が多い様で、立ち上げから12年7ヶ月が経とうとしている同サイトは、約25万回のアクセス数を記録している。

 

同サイトではCarina様が、御自身の事に関して時折書かれているのだが、2010年1月に「昨年11月末に、義母恥骨及び坐骨骨折しました。けれど、認知症徘徊もすると正直に話したら入院させて貰えず、自宅安静を言い渡されまして、毎日が戦争です。」という記述が。毎月第一土曜日の夜には同サイトにチャット・ルームが開設され、新八犬伝のファンが集まってチャットするのが恒例なのだが、「12月のチャットでも途中で義母が大声を出して騒ぎ出し、御挨拶もせずに抜けてしまって済みませんでした。」とも。

 

其の後の記述を拝見していると、義母様の症状はどんどん悪化されている様で、Carina様が疲労困憊されている様子がひしひしと伝わって来て、「大変だなあ・・・。」と思う許りだった。

 

昨年末に「誰もが老いる」という記事を書いたけれど、学生時代の同級生達の中にも「親の介護」という現実に直面している者が居る。其の内の1人は両親共に認知症の症状が出ており、毎週2回、両親の住む家に、介護の通っている。「症状が悪化したら、両親の家に“単身赴任”する事も考えないとなあ。」と彼は冗談めかして言っていたけれど、「自分(giants-55)も、『親の介護』という現実に直面する年代になったのだなあ。」と改めて感じたもの。

 

ブログは“懐かしネタ”を結構書いている事も在って、覗いて下さるのは同年代、又は同年代以上の方が多い様だ。中にはブログを運営されている方も居られ、ちょこちょこ覗かせて貰っているのだが、近年目立つのは「(義理も含めて)親御さんの介護」に関する記事。今年に入って(まめ)たぬき様が「とりあえず家から近い有料老人ホームの見学」という記事を書いておられたけれど、3日前には雫石鉄也様が「老母を施設に入れる」という記事を書かれていて、何方身につまされる思いで拝読

 

雫石様の場合、90歳を超えられた御母様が体調不良を訴えられ、入院されたのは昨年の大晦日の事。検査の結果は「異常無し。」という事だったが、「老衰」と判断された。「病院のトイレに行けない。ベッドの脇に携帯トイレを置いて貰って、用を足している。テレビも見ずに、ずっとベッドに寝ている。」という状態で在っても、「老衰」は“病気”と見做されず、従って「病人で無い者」はずっと病院には置いて貰えない現実。

 

紆余曲折は在ったものの、雫石様及び御身内の方々の御献身、そして親身になって動いてくれた周りの方々の優しさも在り、御母様は2日前に「介護老人保健施設」に入る事が出来たと言う。親を介護老人保健施設に入れる事に関しては様々な意見が在ろうが、自分は「今の日本の現状では、止むを得ない事。」と思うし、「比較的早い段階で入所先が決まって、雫石様及び御身内の方々、そして御母様にとって良かったなあ。」とも。

 

老母を入居させるに付いての条件は、費用が老母の年金賄える事。そうで無いと、小生も弟も経済的に非常に厳しい。と雫石様は書かれていたが、此れも非常に理解出来る。「『親』も『子』も、自分達の生活を何とか切り盛りする事で精一杯。」というのは我が家も例外では無いし、そういうケースは我が国で多数を占める事だろう。

 

「祖父母が教育資金を一括して孫に贈ると、(孫)1人当たり1,500万円贈与税非課税にする。」という制度を、政府は“期間限定”で導入しようとしている。“箪笥預金”やら“金融機関に預けられたになっている金銭”等、高齢者が所有する“眠っている金銭”を吐き出させ、使用させる事で市場を活発化させようという狙いは判らなくも無いが、其れだけ余裕の在る高齢者が、果たして何れだけ居るのだろうか?

 

「自宅や土地を所有していても、手元の金銭はそんなに無い。」という高齢者は少なくないだろうし、自宅や土地を所有していない高齢者だって当然居る。「弱者叩きの風潮がどんどん強くなっている此の国で、自分達の今後の生活を守る事で精一杯。」という高齢者は結構居る様に感じる。

 

其れなりの“縛り”は設けられる様だが、「教育資金に限る贈与」というのが本当に徹底出来るのだろうか。「政治資金管理団体を経由させる事で相続税を逃れるという、“実質的な脱税行為”。」の疑惑掛けら乍らも、黙り決め込み続けている政治家が、国家を動かしている現実。今回の新制度を悪用し、“実質的な脱税行為”を図ろうとするも出て来るのではないか?金持ちの金持ちによる金持ちの為の相続対策という色合いを、どうしても感じてしまう。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
« 「五島勉氏の本」を思い出し... | トップ | 「プロ野球『衝撃の昭和史』」 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お金と融通 (雫石鉄也)
2013-02-17 05:22:08
結局、お金の問題なんですね。
お金があれば、ホテルのような老人ホームに入れることが可能です。
亡父は財産を全く残していなくて、老母は葬式用にと少しだけ国債を持っていて、わずかな年金で暮らしていました。私も弟も貧乏人なので選択肢が少なく、ほんとうに困りました。
15日老母は施設Aに入りました。ここの経営者I先生のクリニックとは長いつきあいです。I先生のお父さんで先代院長には、私や弟が子供のころ、ケガをしてよく診てもらいました。実は私自身もI先生の患者なんです。先生はかなり融通を効かせてくれたようです。このようなお医者さんが身近にいたことが幸いでした。
介護老人保健施設は老人ホームではありません。あくまで社会復帰を前提とした施設です。だから永住の場ではありません。
1年後には、また介護認定が行われます。その時、要介護が、要支援になれば、費用の問題がまた発生します。最終的には永住できる施設を探す必要がありますが、とりあえずは、一安心しております。
返信する
>雫石鉄也様 (giants-55)
2013-02-17 10:24:07
書き込み及びトラックバック有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

「人生に於ける幸福度の“全て”が、金銭で測れる訳では無い。」というのは確かですが、其の一方で「其れなりの金銭が無いと、一定の幸福は得られない。」というのも、又、確かなんですよね。

雫石様の今回の記事、他人事に感じられず、取り上げさせて貰いました。I先生のクリニックとは仙台の時代から御世話になられているというのも在りましょうが、凄く親身になって下さっているというのが記事からも伝わって来ました。

「増大し続ける医療費が、国を傾かせている。」という事で、「長期入院が、医療費を増大させ続けている大きな要因。其れならば、長期入院出来ない様にすれば良い。一定期間を超えて入院させ続ければ、病院側が得られる対価を減らそう。」と安直な政策を通した自民党時代。以前にも書きましたが、知り合いで略寝たきりの生活を送っている人間が居り、其の家族は一定期間しか入院させて貰えない為、「次は何処に御願いすれば良いのか・・・。」と悩んでいます。御願いしても体良く断られるケースが少なくなく、昨年も「長期預かりますよ。」と言われた病院から出ざるを得なくなったり・・・。

其の一方、橋本龍太郎元首相が、実母を同じ病院に長期入院させていた事(確か9年以上。)が判明し、大きな問題になりましたよね。「自分達は別格で、一般庶民は知ったこっちゃ無い。」というのでは、国民の代表たる政治家としての資格が在るとは思えない。
返信する
Unknown (透明人間)
2013-02-17 11:32:07
親が元気な時は老人介護なんて頭の片隅にも無かったけど母親が去年に足を挫いてから歩く時に足を引きずる様になり自転車に乗る事が出来なくなってから少し身近に感じるようになりました(本当に微々たる物ですが)

こう言う些細な事から寝たきりになると言いますからね
税金で利用者が少ない道路や箱物を造るより老人介護にお金を使って欲しいです
親の介護の為に仕事を辞める人も多いと思いますが国や自治体が老人介護を手厚く(施設や援助)してくれたら安心して働けるから税収が増えると思うんですけどね・・・
余談ながら昔入院中に医者から金が無くて病院に診察に行けなくても救急車に運ばれて来たら金が無くても最低限の治療を病院はするから最悪の場合は救急車で運ばれて来いと言われました(野ざらしにして死亡したらマスコミに叩かれちゃいますもんね)
返信する
>透明人間様 (giants-55)
2013-02-17 11:49:23
書き込み有難う御座いました。

実は昨年末、続け様に2つのトラブルに見舞われました。12月30日の夜、自宅内の階段で足を踏み外し、数段転落。咄嗟に柔道の受け身の姿が取れた事も在り、幸いにも右手首の強打&足に擦り傷といった程度で済みました。

そして大晦日、近所のホームセンターの行った際、駐車場にバックで車を停め様とした際、後部を柱に擦り付けてしまった。かなりゆっくりしたスピードだったので、柱&車体に殆どダメージが無かったのですが、連日のトラブルに少々凹みました。(年内に全ての災いを出し切ったと思う様にしましたが。)

で、感じたのは、「若いと自分で思っていても、運動神経や集中力が若い時分と比べると、相当落ちているんだなあ。」という事。自分ですらそんな感じなのですから、(自分の)母親は言わずもがなですよね。

「転倒して骨折すると、高齢者は一気に老け込む。」と言います。「ベッドで安静にしている事で、筋肉は可成り衰え、其の衰えを回復させるには物凄い努力が必要。でも、努力をしても元のレヴェル迄は戻らない。」という話を目にした事が在りますけれど、「骨折を避ける方策」と「出来るだけ歩く事」というのは、健康を維持する重大要素と言えましょう。

こういう状況ですから、「国」に依存出来る面はどんどん少なくなって来るだろうし、そうなると昔乍らの「身近な組織(町内会とか。)で互助的なシステムを構築し、高齢者を守る。」という方向性を考えなければいけないのかなあと感じたりします。大事を為そうとすると無理が来るし、西川きよし氏の言葉じゃないけれど「小さな事からコツコツと。」というスタンスが大事なのかなあと。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。