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嘗て日本のプロ野球では、斯くも熱い人間ドラマが繰り広げられていた。
広島対近鉄の日本シリーズに於ける「江夏の21球」を巡っては、広島のサードだった三村や、近鉄の三塁ベース・コーチだった仰木等からの証言を紐解き乍ら、従来と異なる視点で、真実に迫る。
ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ等と対戦した沢村栄治に付いては、意外な夫婦関係を浮き彫りにする。
更には上田監督の抗議が1時間以上に及んだ阪急とヤクルトの日本シリーズ、昭和34年の初の天覧試合の後日談等、此れ迄語られる事の無かった12本の球界秘話が明かされる。
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スポーツ・ジャーナリストの二宮清純氏が、月刊「文藝春秋」誌上に連載していた内容を、1冊の本として纏めたのが「プロ野球『衝撃の昭和史』」だ。此の本は、以下の12章で成立している。
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第1章:江夏の21球は14球のはずだった
第7章:遺恨試合オリオンズvs.ライオンズ、カネやん大乱闘の仕掛け人
第9章:ジャイアント馬場は好投手だった
第11章:3連勝4連敗、近鉄加藤「巨人はロッテよりも弱い」発言の真相
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第11章及び第12章で取り上げた内容は、元号が「昭和」から「平成」に改められた年に起こっているので、正式には「平成元年の出来事」となるのだが、「昭和の余韻が感じられる事も在り、敢えて『昭和史』として本書に収めた。」と、前書きにて二宮氏は説明されている。
野球ファンとしては何の章も興味深い内容だったが、特に印象に残ったのは「第1章:江夏の21球は14球のはずだった」、「第3章:天覧試合、広岡が演出した長嶋の本塁打」、「第4章:初めて明かされる『大杉のホームランの真相』」、「第7章:遺恨試合オリオンズvs.ライオンズ、カネやん大乱闘の仕掛け人」、そして「第9章:ジャイアント馬場は好投手だった」。
天覧試合で長嶋茂雄選手にサヨナラ・ホームランを喫した村山実投手が、亡くなられる迄ずっと「彼はファウルだった。」と言い続けていたのは有名な話。村山投手の負けん気の強さが表れていて、個人的には好きなエピソードなのだけれど、第3章を読んでいて「面白いなあ。」と思ったのは、此の試合に出場していたタイガースの選手達が「間違い無くホームランだった。」と証言している事。仮に思っていなくても、「絶対にファウルだった。」と“仲間”を庇うのかと思っていたのに。
第4章では「上田利治監督の抗議が長引いた事で、自チーム及び相手チームに大きな影響を与えたけれど、特に相手チームの先発・松岡弘投手を“蘇らせてしまった”という分析。」に、「そういう面は在ったかも。」と頷かされた。
第7章で取り上げられた、1974年から1975年に掛けての「ロッテオリオンズと太平洋クラブライオンズとの、ファンを巻き込んだ遺恨騒動。」に付いては良く覚えているが、「彼の遺恨騒動には、“演出された面”が結構在った。」という事実を、今回初めて知った。其の背景には、「観客動員数激減」に悩むチーム事情が在ったという事で、「そうだったのか・・・。」という驚きが。
ジャイアント馬場氏が「ジャイアンツの投手だった事。」や「不運なアクシデントに見舞われ続け、プロレスラーに転向した事。」は知っていたけれど、「プロの投手としては、1軍で良い成績を残せなかった。」とずっと思い込んでいたので、第9章で紹介されていた「僅か7イニングしか投げていないとはいえ、1軍での通算防御率が1.29という良い成績を残していた。」というのは意外だった。不運なアクシデントに見舞われなければ・・・。
「・・・其の話は墓場迄持って行こうと思うとるんですよ。其の前に一回、西本(幸雄)さんに謝らんといかんでしょうが・・・。」
プロ野球ファンで無くても、其の呼称は知っている人が多いで在ろう「江夏の21球」。1979年の日本シリーズ第7戦、「3対4」とカープが1点した状態で迎えた9回裏、近鉄バファローズの攻撃は、結局21球で封じ込められてしまい、カープが初の日本一に輝くのだが、バファローズの「無死満塁」という大チャンスを江夏豊投手が抑え切ったというのが、「伝説」の「伝説」たる所。
で、第1章では「『江夏の21球』は、『江夏の14球』の筈だった。」と、二宮氏は指摘。どういう事かと言えば、「無死満塁の大ピンチで、打席に代打の佐々木恭介選手を迎え、『1ボール1ストライク』とした後に江夏投手が投じた(9回裏に入って投げた)14球目を、佐々木選手は打った。打球は前進守備を取っていたサードの三村敏之選手の頭上をワン・バウンドして超え、ファウル・ゾーンに転がる。三村選手のグラヴを掠めていたら、彼がジャンプした位置からしてフェア・ゾーンでの触球となり、三塁走者&二塁走者の生還は間違い無く、其の時点でバファローズのサヨナラ勝ちとなっていたが、判定はファウルとされ、結果的に21球でカープは初優勝。でも、真相は三村選手のグラヴを掠めており、『江夏の14球』でカープは負けていた。」という推測だ。
上記した「・・・其の話は墓場迄持って行こうと思うとるんですよ。其の前に一回、西本(幸雄)さんに謝らんといかんでしょうが・・・。」は、2007年に「カープvs.ジャイアンツ」戦の中継にゲストで招かれた二宮氏が、同中継で解説を担当していた三村氏から、“中継の開始前”に「14球目」の件で聞いた話と言う。「実直」という雰囲気が在った三村氏だけに、騙し続けている事に対する複雑な思いが在ったのだろう。
バファローズの監督としてベンチに居た西本幸雄氏、そして三塁ベース・コーチだった仰木彬氏、両者共に「グラヴを掠めており、フェアだ。」という認識は在ったものの、結果として抗議する事は無かった。其の理由として「第4章の出来事」、即ち「前年の日本シリーズで起きた上田監督の猛抗議」が大きく影響していたのではないか?という指摘は、非常に興味深い。
馬場もプロ野球はダメになったけどプロレス界の天下を取ったから満足したんじゃないかな
二宮氏には海外から来た助っ人の話も書いて欲しかったですね(ネタが有るなら)
高度成長時代の男子の小学生や中学生にとって初めて意識(応援、憧れ、サインをもらう)する外人と言ったら歌手や俳優よりもプロ野球の助っ人じゃないかと思います
自分も嘗ては、可成りディープにプロレス中継を見ていました。(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/614a4b7e16c49681c503a05612abb279)力道山氏、アントニオ猪木氏、そしてジャイアント馬場氏という3氏が居なければ、「プロレス」という物の一般的な認知度は、格段に低かった事でしょう。
外国人選手というのも或る意味、力道山氏等3氏と同じ存在意義が在ったと思うんです。日本人選手だけでプレーしていたら、恐らく日本プロ野球は今程隆盛していなかったのではないかと考えているからです。
印象に残っている外国人選手は数多居るけれど、元スワローズのボブ・ホーナー選手もそんな1人。来日早々、神宮球場で放ったホームラン、其れこそ本当にピンポン玉の様に飛んで行った打球には、唖然とさせられた。
以前、週刊誌で「彼の選手は今」的な特集記事が組まれていたのですが、アメリカに戻ってからのホーナー選手は事業に失敗して莫大な借金を抱える等、苦労も多かった様です。「今、何をしているのか?」に付いても、良く判らないとか。