ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

予断

2014年10月15日 | 其の他

以前にも書いたけれど、「“猟奇的な事件が発生した場所”を、実際に自分の目で見てみたい。」という思いが強い。人の命が奪われたケース殆どなので、非常に不謹慎なのは重々承知しているのだが、「発生した場所に実際身を置き、『加害者は何故、そんな猟奇的な犯行に及んでしまったのか?』という事に思いを馳せる。」のが目的。強靭精神力遵法意識を持った人は別だろうが、人間は概して弱い物。状況や立場が変わったら、「猟奇的な犯罪に手を染めた連中と、絶対に同じ立場にならない。」と断言は出来ない。そういった憎むべき犯罪者にならないにも、彼等の事を深く知るのは、大事な様に思うのだ。

 

12日に放送された「Mr.サンデー」【動画】は、「新証言&極秘資料入手 『東京オリンピック世紀の大犯罪』 ~追跡!封印された死刑囚達の“正体”~」というタイトルの特別版だった。

 

1964年、アジア初の開催となった東京オリンピック。1945年に敗戦国となり、焼け野原から奇跡的な復興遂げ日本にとって、敗戦から19年でオリンピックを自国で開催するというのは、格別な思いが在った事だろう。

 

そんな東京オリンピックの開催が決定したのは1959年の事。「明るい未来」を思い浮かべる人達が多かったで在ろう中、東京オリンピックが開催されるの間に発生した“陰惨な事件”を取り上げたのが、12日の放送。東京オリンピック開催が「光」の部分ならば、陰惨な事件は「」の部分と言えよう。

 

取り上げられたのは「吉展ちゃん誘拐殺人事件」【動画】と「ホテル日本閣殺人事件」、そして「西口彰事件」の3つ。「吉展ちゃん誘拐殺人事件」は余りにも有名だし、「西口彰事件」も佐木隆三氏が事件をモデルにして書いた小説復讐するは我にあり」が爆発的なヒットを記録(緒形拳氏主演で映画化もされ、矢張り爆発的なヒットを記録した。)した事から、此れ等2つの事件は良く知っていた。

 

しかし、「ホテル日本閣殺人事件」に関しては、全くNO知識。(映画「天国の駅 HEAVEN STATION」【動画】は、「ホテル日本閣殺人事件」がモデルとなった作品なのだとか。此の作品の存在は知っていたが、未見で在り、内容は全く知らなかった。)此の事件の首謀者・小林カウは、“女性として”戦後初めて日本で死刑処された人物なのだそうだが、彼女の毒婦振りが余りにも強烈で、(取り上げられた)3つの事件の中では最も印象に残った。

 

「事件解決には、初動捜査が非常に重要。」と良く言われる。「捜査開始から1ヶ月内に犯人逮捕に到らないと、事件解決は概して長期化し、最悪の場合、“迷宮入り”する事も少なく無い。」という話も。「帝銀事件」や「三億円事件」等は、そんな轍を踏み、迷宮入りしてしまった事件。

 

今回の3つの事件、迷宮入りする事は無かったが、「吉展ちゃん誘拐殺人事件」及び「西口彰事件」に関しては、「初動捜査に問題が在った事から、事件解決迄時間を要してしまった。」と言える。

 

此の2つの事件、初動捜査の何処に問題が在ったのか?其れは、捜査員の思い込みや予断だったと思う。

 

吉展ちゃん誘拐殺人事件」は、「身の代金を要求する犯人からの電話音声をTVラジオで公開し、情報提供を求める等、メディア用いて国民的関心を集めた初めての事件。」としても知られるが、の強い訛りが在る犯人の声、そして(事件後)急に羽振りが良くなった事等から、「(2年後に犯人として逮捕される事となる)小原保が犯人ではないか?」という情報が、早い段階から多く寄せられていたと言う。

 

しかし、警察は「犯人の声は40~50代(小原は、犯行時30歳。)と思われ、又、身代金50万円(1963年当時の大卒初任給が「19,400円」という事を考えると、当時の50万円は今の「530万円」位か?)が“素早く”持って行かれた事を考えると、足が不自由な小原は犯人では無い。(実際には、小原は結構素早く動けたらしい。)」と決め込み、結局、逮捕される迄に2年異常を要してしまった。

 

「西口彰事件」の場合、犯人の西口彰は、3件5人の殺害をしている。「福岡で最初の殺人が発覚(2人を殺害)して“直ぐ”、西口は容疑者として全国指名手配され、其の後、静岡で2人、東京で1人を殺害。最後は熊本で逮捕。」という経緯最初の殺人から逮捕される迄に要したのは3ヶ月で、時間的には短い部類と言えるのだが、2番目の殺人事件以降、「西口の犯行では?」とする考えも結構在った様だ。しかし、「そんなに全国各地、転々と動ける訳が無い。」という警察の思い込みから、余計な時間を要してしまった。

 

今ならば「日本国内どころか、海外へも犯人は逃亡する。」と思えるだろうが、当時(1963年10月~1964年1月)は新幹線も無く(新幹線の開業は、1964年10月1日。)、交通網は、そんなに整備されていない。」という思い込みが警察に在ったのは理解出来なくも無いが、実際には転々と出来るだけの交通網が、既に在った訳だ。

 

「捜査員の思い込みや予断は、捜査を攪乱するだけ。」というのは、今も昔も変わらない。


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