「ニッポン放送がライブドア傘下になった場合、ニッポン放送への出演を見合わせたい。」と中島みゆき女史が伝えたという。先日、「ライブドアがニッポン放送の経営権を握った場合、同局の『ショウアップナイター』の解説を降りる。」と江本孟紀氏が表明したばかりだが、それに続くライブドアへの拒否反応。同局でレギュラー番組を持つタモリ氏や倉本聡氏、市川森一氏も同様に降板の意向を打ち出しているという。*1
この事に付いて、「売名行為のパフォーマンスに過ぎない。」とか「雇われの身で傲慢!」、「フジサンケイグループの意向を受けての、ライブドアへの嫌がらせだ!」等、批判的な声も少なくない。でも、果たして彼等はそういった事からだけで立ち上がったのだろうか?
人間的な好き嫌いは誰しも在る。これは人間が感情の動物で在る以上、致し方無い事だろう。自分の場合、上記の人間及び堀江社長に関して言えば、次の様な思いを持っている。
***************************
(好き) 中島みゆき
(嫌い) 江本孟紀、タモリ、堀江社長
(どっちでも無し) 倉本聡、市川森一
***************************
特に堀江氏に関しては、「心」や「人」を大事にしない印象がどうしても拭い切れず、昨年の合併騒動で彼が”救世主”として持ち上げられている頃から一貫して不信感を持ち続けている。そして、今回のニッポン放送の”乗っ取り劇”に関しても、法的な正当性は認めるものの、”感情論”としてどうしても受け入れられないものが在る。これは、人間的な好き嫌いとは別の事からだ。
今回の騒動で、堀江氏は相変わらずの過激発言を繰り返した。その中でも気になったのは、「新聞もTVも、報道という側面は我々ネット業界が殺す。」や「インターネットが、5~10年でメディアの主役になる。」といった発言だった。前にも書いたが、堀江氏の過激発言には、彼一流の世論喚起を意図したものが在るのは理解しているし、ビジネスをやって行く上で”或る程度の”大言壮語もテクニックの一つで在るとは思う。でも、上記の発言は長い事モノ作り(メーカー)の世界に居た自分としては、強い抵抗を覚えるものだった。言葉としては発していないものの、「マスメディアがやって来た事、乃至はやっている事はもう古い。」という彼の思いが如実に発言の節々に感じられたからだ。実際にマスメディアに携わって来た者であれば、自身の存在意義を完全に否定され、誇りを踏み躙られた思いがしたであろう事は想像に難くない。
話を戻すが、中島みゆき女史等の行動には、政治的な意味合いやパフォーマンスといったものが絶対に無いとは自分も言わない。でも、根底には放送というモノ作りに携わって来た者としての誇りが強く在り、それを踏み躙られた事への憤怒が在ったと思うのだ。だからこそ、彼等の行動を「傲慢だ!」の一言で切り捨ててしまう論調に、自分は抵抗を覚える。
奇しくも、昨日の日刊ゲンダイに興味深い話が載っていた。元ネタは毎日新聞の「発信箱」というコラムに載っていた話という事なので、御存知の方も少なからず居ると思うが、「光クラブと堀江氏」に付いて触れたものだ。
光クラブなる言葉は耳にした事が在ったが、詳細は今回初めて知った。終戦の混乱が未だ残る昭和23年9月に、光クラブという闇金融会社が設立された。この会社が一躍脚光を浴びる事になったのは、社長の山崎晃嗣氏が東大生だったからだ。彼は次の様に豪語していたという。
「私は法律は守るがモラル、正義の実在は否定している。合法と非合法のスレスレの線を辿って行き、合法の極限を極めたい。」
従来の価値観が崩壊し、拝金主義が幅を利かす世相、東大生の企業家、或る種モラルレスなビジネス・スタンス等々、何やら今回の状況とオーバーラップする部分を多く感じてしまう。
そして、彼の言葉通り、高利な貸付けと有無を言わせぬ取立てによって、光クラブは設立から僅か3ヶ月で月商5,000万円に達し、当時としても空前絶後の発展を遂げる。
しかし、それから半年程した昭和24年7月に闇金融営業の容疑で山崎氏は検挙、それ以降光クラブは凋落の一途を辿り、光クラブへの出資者達から出資金返済を迫られる中、彼は青酸カリで服毒自殺を図り、26歳の短い人生を終える。
堀江氏の行動力は評価する。でも、ビジネスにマインドも必要ではないか?”箱”である会社を転がし利益を得るのは構わないが、会社を動かしているのは”中身”である人間という観点が堀江氏には抜け落ちている気がする。
*1 ニッポン放送OBも堀江氏の手法を批判している。「社員は、堀江氏の狙いは明らかにフジテレビで、途中経過としてニッポン放送を『道具』として使い、荒らしたと見ている。」との発言はごもっともという感じだ。
唯、これも何度か書いた事では在るが、「視聴率さえ取れれば何でも在り。」というスタンスで、問題人物をバンバン出演させたり、ニュース番組等で自局イベントを恥ずかしげも無く垂れ流し続ける今のマスメディアにはずっと抵抗を覚えている。その最たる局であるフジテレビが今回の乗っ取り劇の最終ターゲットになったのは、自業自得という思いも少なからず在る。
放送の原点に立ち戻って、襟を正して欲しい。
この事に付いて、「売名行為のパフォーマンスに過ぎない。」とか「雇われの身で傲慢!」、「フジサンケイグループの意向を受けての、ライブドアへの嫌がらせだ!」等、批判的な声も少なくない。でも、果たして彼等はそういった事からだけで立ち上がったのだろうか?
人間的な好き嫌いは誰しも在る。これは人間が感情の動物で在る以上、致し方無い事だろう。自分の場合、上記の人間及び堀江社長に関して言えば、次の様な思いを持っている。
***************************
(好き) 中島みゆき
(嫌い) 江本孟紀、タモリ、堀江社長
(どっちでも無し) 倉本聡、市川森一
***************************
特に堀江氏に関しては、「心」や「人」を大事にしない印象がどうしても拭い切れず、昨年の合併騒動で彼が”救世主”として持ち上げられている頃から一貫して不信感を持ち続けている。そして、今回のニッポン放送の”乗っ取り劇”に関しても、法的な正当性は認めるものの、”感情論”としてどうしても受け入れられないものが在る。これは、人間的な好き嫌いとは別の事からだ。
今回の騒動で、堀江氏は相変わらずの過激発言を繰り返した。その中でも気になったのは、「新聞もTVも、報道という側面は我々ネット業界が殺す。」や「インターネットが、5~10年でメディアの主役になる。」といった発言だった。前にも書いたが、堀江氏の過激発言には、彼一流の世論喚起を意図したものが在るのは理解しているし、ビジネスをやって行く上で”或る程度の”大言壮語もテクニックの一つで在るとは思う。でも、上記の発言は長い事モノ作り(メーカー)の世界に居た自分としては、強い抵抗を覚えるものだった。言葉としては発していないものの、「マスメディアがやって来た事、乃至はやっている事はもう古い。」という彼の思いが如実に発言の節々に感じられたからだ。実際にマスメディアに携わって来た者であれば、自身の存在意義を完全に否定され、誇りを踏み躙られた思いがしたであろう事は想像に難くない。
話を戻すが、中島みゆき女史等の行動には、政治的な意味合いやパフォーマンスといったものが絶対に無いとは自分も言わない。でも、根底には放送というモノ作りに携わって来た者としての誇りが強く在り、それを踏み躙られた事への憤怒が在ったと思うのだ。だからこそ、彼等の行動を「傲慢だ!」の一言で切り捨ててしまう論調に、自分は抵抗を覚える。
奇しくも、昨日の日刊ゲンダイに興味深い話が載っていた。元ネタは毎日新聞の「発信箱」というコラムに載っていた話という事なので、御存知の方も少なからず居ると思うが、「光クラブと堀江氏」に付いて触れたものだ。
光クラブなる言葉は耳にした事が在ったが、詳細は今回初めて知った。終戦の混乱が未だ残る昭和23年9月に、光クラブという闇金融会社が設立された。この会社が一躍脚光を浴びる事になったのは、社長の山崎晃嗣氏が東大生だったからだ。彼は次の様に豪語していたという。
「私は法律は守るがモラル、正義の実在は否定している。合法と非合法のスレスレの線を辿って行き、合法の極限を極めたい。」
従来の価値観が崩壊し、拝金主義が幅を利かす世相、東大生の企業家、或る種モラルレスなビジネス・スタンス等々、何やら今回の状況とオーバーラップする部分を多く感じてしまう。
そして、彼の言葉通り、高利な貸付けと有無を言わせぬ取立てによって、光クラブは設立から僅か3ヶ月で月商5,000万円に達し、当時としても空前絶後の発展を遂げる。
しかし、それから半年程した昭和24年7月に闇金融営業の容疑で山崎氏は検挙、それ以降光クラブは凋落の一途を辿り、光クラブへの出資者達から出資金返済を迫られる中、彼は青酸カリで服毒自殺を図り、26歳の短い人生を終える。
堀江氏の行動力は評価する。でも、ビジネスにマインドも必要ではないか?”箱”である会社を転がし利益を得るのは構わないが、会社を動かしているのは”中身”である人間という観点が堀江氏には抜け落ちている気がする。
*1 ニッポン放送OBも堀江氏の手法を批判している。「社員は、堀江氏の狙いは明らかにフジテレビで、途中経過としてニッポン放送を『道具』として使い、荒らしたと見ている。」との発言はごもっともという感じだ。
唯、これも何度か書いた事では在るが、「視聴率さえ取れれば何でも在り。」というスタンスで、問題人物をバンバン出演させたり、ニュース番組等で自局イベントを恥ずかしげも無く垂れ流し続ける今のマスメディアにはずっと抵抗を覚えている。その最たる局であるフジテレビが今回の乗っ取り劇の最終ターゲットになったのは、自業自得という思いも少なからず在る。
放送の原点に立ち戻って、襟を正して欲しい。
私は作品制作では密な人間関係が重要だと思っております。その意味では、生理的嫌悪感を感じる人間とはしっくりいかないのもやむを得ないのかもしれないと思います。少々論点がずれますが、一つtrackbackさせて頂きます。dawnより
タイトルにも書きましたが、この劇的な人生を送った青年・高利貸しは、ドラマにもなりました。そのタイトルが「青の光芒」です。主演は根津甚八でした。livedoorが光クラブに例えられているんですね。時代の寵児→奈落の底という図式でしょうか。
私はなぜだか不思議と、ホリエモンに対して嫌悪感がわかないんです。なぜなんだろう…。とても不思議です。中島みゆきやタモリが番組を降りるという話は、基本的には「オーナーがかわることと、どう関係があるの」と、ちょっと疑問視しています。日本って、本当に情緒的な社会だと思います。
そもそも、私は民放ラジオ放送があまり好きでないというのも理由です。とにかく騒がしい。夏場はナイター中継ばっかり。日本人が全員プロ野球が好きではないのに、あの押し付けがましい放送は辟易とします。これでも、公共財なのかと常々思っているので、私は冷ややかです。
私は番組を降りたい人は降りればいいと思っています。世代交代になっていいんじゃないでしょうか。50代以上が居座っている世界の新陳代謝は必要だと思います。今の20代の若者の閉塞感って、想像以上です。若い人にチャンスをあげて欲しい。いつもそう思っています。結局、どの場面を見ても既得権益集団の抵抗にしか映りません。そこに風穴を開けるには、ホリエモン的手法が(その是非を問わずに)必要なのだと思います。
一方でニッポン放送、もとより民放ラジオは必ずしも好きではありません。いえ、特に恨みがあるわけではないのですがプロ野球中継については私もうんざり気味です。ほとんど巨人対○○しか放送しないんですよね。巨人が首位や優勝争いしているわけでもないのに。当然、いい番組もあるのでしょうけど、野球中継に関しては‘保守的’だと思います。
そして、私は一部の堀江批判に疑問を持っています。確かに堀江氏の手法は強引ですが、これって一昔前に日本の会社が海外でやっていたことですよね。アメリカの会社やらビルを買い取って『他人の家に土足で踏み込んで』いたわけです。今でも、日本の企業が中国などに進出し、現地企業を買収するケースもあります。その全てが敵対的というわけではありませんが、どうも日本人は買収=悪と思っている節があるのでは。ニッポン放送が、ということではないですけどバブルの時代、散々海外の資産を買いあさっていた日本企業が、一応『法律に違反していない』手段で、しかも同じ日本の会社に買収されたことに嫌悪感を抱くことに外部の人、外国人はどう思うのでしょうかね。
日本的経営の全てが悪いわけでないし、『心』にも大いに価値があるものと私は思います。ですけどライブドア批判の方の中には閉鎖的な、『島国根性』が一部に潜んでいる気がしてしまうのです。堀江氏は嫌いですが、ニッポン放送も好きではありません。しかし新たな展開もありましたし、日本のある意味現状をよく表しているこの騒動の行方を注意深く見守って行きたいと思います。
今まで仕事中車で移動する仕事が多かったので、ラジオはテレビよりもずっと親しいメディアです。変わらないで欲しいなという思いは当然ありますが、ほりえもんが番組編成の方針に口を出したら変わらざるを得ないでしょう。その為に買収したんだと口では言っている訳ですから。リスナーが聞きたくないもに出たくないというのは当然ではないかと思います。
コメントいただきました件で
農地改革はアメリカの小麦を買わせるための陰謀であった。というのもありますが、そういう側面も少しはあったのかなという気もします。
新潟地震の時被災して家をなくした人がテレビのインタビューで「国は元の生活が送れるようにする義務がある」という答えをしていたおじさんの言葉にに違和感を覚えました。このおじさんが義務を果たしていないとは思いませんが、災害に見舞われた人をどこまで国は面倒見なければいけないのでしょうか?
種をまかずに麦を食べたがる人が多すぎるように思います。
バブル景気に沸いていた頃の日本では、「(地価高騰で)日本の国土を一部売れば、アメリカが買える。」とか「ロックフェラービルを購入した日本企業は凄い!」といった発言が飛び交っていました。その根底には、敗戦で背負わされた西欧諸国への劣等感が在り、その思いがバブル景気という”あだ花”的時代に一気に爆発しているのではないかと思っていました。
札びらで頬を叩き、深い思慮も無く唯ひたすら買い漁る姿勢。その対象が、その国の精神的な支柱とも言える存在で在ったならば、その当該国民の怒りや屈辱感は想像するに難く在りません。法律の範囲内で行なっているのですから、不法行為では当然在りませんが、「心を踏み躙る」方法で在ったと思っています。
堀江氏の件も、問題は方法論だと思うのです。堀江バッシングをしている人々の中には、旧態依然としたシステムを固持し、既得権益を享受し続けたいという人も少なくないでしょう。企業のトップや、高給を食んでいる社員達にもそういった考えは見られるのかもしれません。この点に関しては、自分も抵抗を覚えますし、そんな古臭いシステムは壊してしまえ!とも思います。
しかし、バッシング、と言うか堀江氏に抵抗を覚える人々の中には、彼のやり方がどうも駄目というのが多い様に思います。自分もそうですし(笑)。
根底に、えげつなく金儲けしようというものが在るであろう事は同じなのでしょうが、孫社長のやり方には堀江氏程の抵抗を覚えない。それは、やはり、バブル期に「札束で頬を叩く」様なやり方に抵抗を覚えた人々と同じ思いを抱いてしまうからではないかと。要は身内に対する場合は問題なく済んだのかもしれませんが、外向き、つまり対外的なコミュニケーション能力が堀江氏には欠落している気がするのです。頭の良い人間だと思うし、あの行動力は正直羨ましくも在るので、何か勿体無いなあという気持ちを堀江氏には持ってしまいます。
ほりえもん、ほんと、あの話し方がキライ!「わかります?」って、聞くところが、も~、やでやで仕方がない!なんで、あんな話し方をするの?って言いつつも、ほんとは、きなこ、この騒動に飽きちゃった。えへ。