*********************************
「昔『ガロ』、今『ヘイト本』 ~伝説の漫画月刊誌 版元の転向~」(1月10日付け東京新聞【朝刊】)
「嫌韓嫌中本」ブームを牽引する小さな出版社が在る。東京都渋谷区の青林堂だ。安倍晋三首相の資金管理団体も、同社の本を大量購入していた。嘗ては、伝説の漫画月刊誌「ガロ」の版元として名を馳せた。どうして変わってしまったのか。
2011年7月19日、青林堂に書籍代として19万5,930円を支出‐。安倍首相の資金管理団体「晋和会」の2011年度分の収支報告書を見ると、青林堂の名が登場する。
どんな本を購入したのか、晋和会に問い合わせたが、「安倍晋三事務所」の名で「個別の案件に付いては、回答を控える。」とコメントした。
2011年頃、安倍首相は、青林堂の媒体の取材に応じている。隔月刊誌「ジャパニズム」2号(同年6月)では、インタヴューで民主党政権を攻撃。5号(同年12月)では、対談の中で「領土と領海は、私達自身が血を流してでも護り抜く。」と、中国脅威論を煽った。
青林堂はジャパニズム以外にも、右翼的な思想や嫌韓嫌中感情を鼓舞する本を、数多く刊行している。タイトルは「大和魂に火をつけよう」、「反日日本人~韓国・中国だけが敵じゃない!」といった具合だ。
ベスト・セラーも出ている。ヘイト・スピーチ(差別扇動表現)デモを主導する「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の桜井誠前会長の「大嫌韓時代」。2014年9月に出版され、10万部に達している。
今でこそ嫌韓嫌中本作りに勤しむ青林堂だが、中高年世代には、「ガロ」の版元と言った方が通りが良いだろう。
1962年設立。1964年に「ガロ」を創刊した。初代社長の長井勝一氏の「描きたい物を自由に描かせる」方針の下、多くの読者を獲得する見込みは無くても、先駆的な作品を発掘。つげ義春さんや白土三平さん、水木しげるさん等、個性派の漫画家が活躍した。
長井氏は1996年に死去した。編集方針等を巡り、新社長と対立した編集陣が退社。1998年迄に2度休刊した。
青林堂は当時、約1億円の負債の他、印税の未払い等のトラブルを抱えていた。そんな会社の経営を1999年に引き継ぎ、ガロを翌2000年1月号で復刊したのが、蟹江幹彦社長(56歳)だ。青林堂の債権者の1人だった。蟹江社長は就任当時、東京新聞の記事で熱く語っている。「1980年代初めから、『ガロ』を読み続けて来た。芸術的な物も在れば、エログロが当たり前でも在る。“ガロ的”世界に浸っていた。」。
だが、復刊したガロも読者を増やせず、2002年10月号を最後に休刊。そして2010年頃、嫌韓嫌中路線への「転向」を決断した。
蟹江社長は「こちら特報部」の取材に、「経営上の問題。」と打ち明けた。「漫画が売れなかった。(ガロの様な)サブカル系漫画は、ネット時代には厳しい。」。
2010年と言えば、沖縄・尖閣諸島で「中国漁船衝突事故」が起き、嫌中世論が高まった時期と重なる。「『保守本』が、ニッチ(隙間)市場で売れる様になっていた。拡大して行くと思った。」(蟹江社長)。
民間信用調査会社の調べでは、青林堂の2014年5月期の売上高は9千3百万円。2010年5月期と比べて、700万円も減った。蟹江社長は、「他のジャンルの売り上げが減った分を、保守本が補填してくれている。」と説明する。
「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」の岩下結氏は、「出版社は、世論に影響を与える力を持つ。経営が厳しくても、踏み出してはならない分野が在る。ヘイト本が典型だ。伝統在る青林堂が、ヘイトの片棒を担ぐのは哀しい。出版人の原点に立ち返って欲しい。」と指摘した。
*********************************
大の本好きなので、書店を覗くのが楽しい。しかし、近年は楽しい筈の書店で、不快な気持ちになる事が結構在る。嫌韓&嫌中感情を鼓舞するヘイト本が何種類も、其れも山積みにされているからだ。一時期より減ったとは言え、「韓国人や中国人を皆殺しにせよ!」と言わん許りに、野卑で差別的なタイトルの本が山積みされている光景は、書き手のみならず読み手の心根の卑しさを感じてしまうし、其れ以上に同じ日本人として哀しくなってしまう。
話を元記事に戻すが、青林堂は嘗て、自分にとって非常に親近感を覚える出版社の1つだった。「ガロ」の読者では無かったけれど、雑誌自体は良く知っているし、同誌にて発掘された漫画家の作品も少なからず読んでいるし。
そして何よりも、敬愛する手塚治虫氏の作品、其れもマニアックな作品を刊行した出版社という事で、強い親近感を覚えていた。「地味だけれど、地道に“良作”を刊行している。」というイメージが青林堂には在っただけに、ヘイト本を多く刊行する出版社に変わってしまっていたというのは、とても残念な話だ。
綺麗事を言う気は無い。高尚な事をし様と思っても、人は“霞”を食って生きて行ける訳では無く、時には金を稼ぐ為、後ろ指を指される様な事をしなければならない場合も在るだろう。
でも、影響力が強い出版社の場合、其処に従事する人々には、絶対に捨ててはいけない“矜持”、そして絶対に踏み越えてはいけない“一線”が在ると思っている。素晴らしい本を生み出し続けて来た青林堂ならば、猶更そうで在って欲しい。
とても、あの白土三平の「カムイ伝」を出していた出版社とは思えません。
「ガロ」は「COM」とともに昔、愛読してました。
「ガロ」の「カムイ伝」、「COM」の「火の鳥」が柱でしたね。
「ガロ」にはつげ義春や滝田ゆう、楠勝平など、けっこうな漫画がたくさん載ってましたね。
人それぞれ個人としてどんな思想を持とうと自由勝手。それこそ憲法に保障される思想信条の自由です。しかし、自分のそれを他人に押し付けたり、自分と違うそれを一方的に容赦なく批判するのは、一種のいじめ、言論による暴力ではないかと思います。
ましてそれを自己満足のためや金儲けの手段にするなど、あってはならない浅ましい行為だと思うのですがねえ。
その手の本が見えるところに展示されているからです。
一方で「ダーリンは外国人」や外国から来た人や、ハーフの人が書いた女性向けのソフトな漫画本も売られていますね。(ダーリンは外国人の著者の夫はバリバリの政治活動家ですから、本のファンが本人のサイト見てびっくりってケース多そう)
昔は来日外人が嘲笑気味に書いた(あるいは編集者の誘導かも)「ここが変だよ日本人」とか「進歩的文化人」が書くような「恥ずかしい日本人」「世界で嫌われるエコノミックアニマル」調のものばかりでしたが、今は良くも悪くもバラエティーに富んでいる感があります。
所謂“ヘイト本”が書店に山積みされているのは屡々目にしていますが、真面に目を向けるのも不快なので、其の出版社は全く知りませんでした。今回の元記事により、其の1つが彼の青林堂と知り、大きなショックが。
社長という立場だと、己が生活も当然在りますが、社員達の生活を守らなければいけない。だから、「背に腹は代えられない。」という現実が在るのは判るし、100%綺麗事を言う積りも無い。
とは言え、出版という“人類が生み出した素晴らしい文化”に携わっている以上、最低限の矜持は持ち続けて欲しい。死肉を貪るハイエナの様な事は、好印象を持っていた青林堂だけに、止めて欲しいです。
滝田ゆう氏の漫画、何とも言えない味わいが在り、忘れられないですね。
「権利許りを主張し、義務を一切果たそうとしない。」というのは、昨今の風潮の様に感じている訳ですが、「己が権利を声高に叫ぶ一方、其の権利を過剰行使し、結果として他者を侮蔑したり傷付けたりしても、全く意に介さない。」というのも、良く見られる風潮では在りますね。
「風刺」という概念は非常に重要で在り、其れが過剰に制限される様な事が在ってはならない。でも、其の風刺も限度が在り、特定の人や組織を追い詰め、排除する様な事になるレヴェルだと、仰る様に“言論の暴力”だと思います。
もし自分が相手の立場でだったとして、同様に言動を投げ掛けられたら、相手の事を許せるか?受容範囲を常に考慮し、其の上で言動しないと、不毛な争いは続く事でしょう。
「其の手の本が、見える所に展示されているからです。」、凄く良く判ります。今回の記事では出版社の矜持に付いて触れましたが、「売れるから。」という理由で、盲目的に目立つ場所にヘイト本を山積みしている書店というのも、背に腹は代えられないという事情は判るけれど、「書店としての矜持が無いなあ。」と残念に感じます。
「ダーリンは外国人の著者の夫は、バリバリの政治活動家。」というのは初めて知り、驚きましたが、まあ、「書いている作品の良さ」と「著者自身」というのが必ずしも一致しないのは、百田尚樹氏等で良く見受けられる事ですね。
綺麗事を並べ立て乍ら、実際にはえげつない事をしている。(仰る様に)宗教団体を筆頭に、そういった組織や人は少なからず見受けられますね。
理不尽な形で、特定の人種を差別し、排除し様とする。日本のみならず、何処の国でもそういった連中は居ますけれど、大好きな日本に在って、そういう下衆な連中が増えない事を、心から祈る許りです。
また中国や韓国を敵視してる割に、民進党なんかを敵視してる割に、
数年前までは吠えてた尖閣諸島に関しては、今では何の反応もありませんからね。
未だに尖閣諸島には中国漁船とか来てたりするのに。
あれ?血を流してでも守るんじゃなかったの?(笑)
ネトウヨが最も反応しても良さそうなところだと、
中国や韓国に土下座した安倍談話などに関しても総スルー。
確固たる思想を貫いた上で差別的な言動に繋がってるならまだしも、
そこには何の矜持も知性もないですからね。
書店も本を売るだけの知力やノウハウもないから、
そういった目先の部分にしがみつかざるを得ないんだと思います。
人は成長と共に、其の思考や主張が異なって行ったりするもの。学びや経験から変化して行ったりする訳ですが、其の変化自体は別に悪い事でも何でも無い。(正しいかどうかは別にして。)唯、変化に到った明確な理由が無ければ、其れ迄の思考や主張を知っている人達には、説得力を持ち得ない。
又、もっと説得力を持ち得ないのは、判断基準に一貫性が無い場合。自身が好ましく無いと考えている対象に関しては、何事も「許さない!」と主張しているのに、好ましい対象が全く同じ事をしても、黙りを決め込むのでは「御都合主義だな。」と一笑に付されるだけ。
右や左、そして中庸を問わず、そういった好い加減な判断基準での主張が、近年、非常に目立つ。「若し自分が、相手から同じ事を言われた場合、其れで納得出来るのか?」という第三者的な立場で考えてから発言しないと、其れは単なる罵倒に過ぎないと思うのです。
店員が自ら考え、手書きのPOPで書籍の売り込みを図る等、必死で頑張っている書店も在る。でも、其の一方で「売れるから。」という理由だけで、極右本を積極的に並べている所が在るのも事実。本好きな人間としては、「書店としての矜持は無いのか?」と言いたくなります。
今後とも、何卒宜しく御願い致します。