秋田県藤里町で小1の男児(以後A君と記す。)が殺害された事件だが、逮捕されていた畠山鈴香容疑者(33歳)が殺害を認める供述を始めた。A君の家の2軒隣に住む同容疑者の娘が1ヶ月程前に事故死していたとの事で、この事件が発覚した際には畠山容疑者が、「娘も事故死では無かったと思っている。警察は頭から事故と決め付け、きちんと捜査してくれなかった。」とインタビューに答えている姿がTVで報じられていた。顔も映ってはいない声だけの報道だったが、その時に妙な違和感を覚えた。大事な子供を亡くしたという事で、普通の感情で居られないというのは良く判るのだが、それとは”方向の違った”エキセントリックさを感じてしまったのだ。「もしかしたら彼女が犯人かも・・・。」
こういう御時世なので、ついつい物事の裏を読んでしまうという嫌な癖が付いてしまっている。全く根拠の無い思いで在り、松本サリン事件では第一通報者が犯人扱いされ、自分も同じ様に疑ってしまった反省からも、「彼女が犯人」という思いを頭から排除した上で報道を見守って来たのだが・・・。
嫌な思いが的中してしまった。あくまでも未だ容疑者段階なので、どうこうと決め付けるのは拙速かもしれないが、弁護士を通じて語られた彼女の”告白”はどうにも納得し難い。
「亡くなった娘の遺品を渡そうと思い、家の前を通りかかったA君に声を掛けて自宅に招きいれた。A君の姿に亡くなった娘の姿がオーバーラップしてしまい、『何でうちの子が居ないのか。』と苦しく&切なくなったら、衝動的に殺害してしまった。計画的にA君をを狙った訳では無い。」と強調しているが、”たまたま”玄関先に在った軍手を着用し、”偶然”部屋の中に掛かっていた腰紐で絞殺し、”無意識の内に”遺体に靴を履かせて、”時間を置かずに”草むらに放置しに行ったとでも言うのだろうか?事件発覚当初から、平然と無関係さを装っていたとしか思えないのに、良くもまあ、しゃあしゃあと「殺害は計画的なものでは無かった。」と言えるものだと呆れ果てると共に、更なる怒りを覚えてしまう。
又、3ヶ月程前のニュースだが、「JR横浜駅西口付近のビル屋上から、男子高校生2人(実行犯)がコンクリート辺入りの土のう2袋(約6kg&約4kg)を投げ落とした。」というのが在った。結局2人は、ビルへの建造物侵入の非行事実で保護観察処分となり、内1人は殺人未遂等の非行事実で東京家裁へ移送された。そしてもう1人に付いては、同じく殺人未遂等の非行事実で少年院送致が一昨日決定した。
逮捕された当初は、面白半分に土のうを投げ落とした事を認めていた彼だったが、「別の生徒に向けて投げた土のうが、”誤って”屋上の外に出た。」と供述を変えている。その供述を、「信用性が乏しい上、悪戯では済まない重大な事案なのに、口裏合わせをする等悪質。」として、裁判長は少年院への短期(4ヶ月以内)送致を決定したのだが、畠山容疑者の場合と同様の白々しさを感じるばかり。
両者とも殺意を否定する事で罪を軽減して貰おうという、往生際の悪さが見え隠れしているとするのは言い過ぎだろうか?最近この手の、往生際の悪い&白々しい言い種が幅を利かしている事に不快感を覚えてしまう。中には、弁護士が悪知恵を吹き込んでいる様に思えるケースも見受けられる。
訴訟大国アメリカ。常識を逸脱した、莫大な賠償を求められるケースが後を絶たない。先だっても「トヨタ自動車の米国法人・北米トヨタ自動車の元社長秘書の日本人女性(42歳)が、上司である同社社長(65歳)からセクハラを受けたとして、トヨタ本社等を相手に総額1億9,000万ドル(約215億円)の損害賠償を求める訴訟を起こした。」というニュースが報じられていた。こういった卑劣な行為が本当に行なわれていたとしたら、絶対に許されるべきもので無いのは言う迄も無い。被害者女性には、心からの謝罪と然る可き賠償が為されて当然とは思うが、だからと言って約215億円の賠償額というのは異常としか思えない。
弁護士資格を持った人間が溢れ返っているアメリカ(弁護士数は、日本の場合8,500人に1人、アメリカの場合350人に1人と言われている。)では、弁護士が訴訟を作り上げているという説も在る。莫大な賠償金が期待されそうな案件に近付き、原告(正確に言えば原告候補。)を焚き付けて訴訟を起こさせ、入れ知恵をガンガン吹き込んだ上で勝訴に持ち込むというのだ。(上記したセクハラ訴訟が、そういった遣り方に当該しているという訳では全く無いので、誤解無き様に。)
司法制度改革の一環として、弁護士数が大幅に増えると言われている我が国。無辜の民を守る弁護士がより身近な存在になるというのは歓迎するが、間違ってもアメリカの様な訴訟大国になる端緒にはならない事を切に願う。全てをアメリカに倣う必要は無いのだ。
こういう御時世なので、ついつい物事の裏を読んでしまうという嫌な癖が付いてしまっている。全く根拠の無い思いで在り、松本サリン事件では第一通報者が犯人扱いされ、自分も同じ様に疑ってしまった反省からも、「彼女が犯人」という思いを頭から排除した上で報道を見守って来たのだが・・・。
嫌な思いが的中してしまった。あくまでも未だ容疑者段階なので、どうこうと決め付けるのは拙速かもしれないが、弁護士を通じて語られた彼女の”告白”はどうにも納得し難い。
「亡くなった娘の遺品を渡そうと思い、家の前を通りかかったA君に声を掛けて自宅に招きいれた。A君の姿に亡くなった娘の姿がオーバーラップしてしまい、『何でうちの子が居ないのか。』と苦しく&切なくなったら、衝動的に殺害してしまった。計画的にA君をを狙った訳では無い。」と強調しているが、”たまたま”玄関先に在った軍手を着用し、”偶然”部屋の中に掛かっていた腰紐で絞殺し、”無意識の内に”遺体に靴を履かせて、”時間を置かずに”草むらに放置しに行ったとでも言うのだろうか?事件発覚当初から、平然と無関係さを装っていたとしか思えないのに、良くもまあ、しゃあしゃあと「殺害は計画的なものでは無かった。」と言えるものだと呆れ果てると共に、更なる怒りを覚えてしまう。
又、3ヶ月程前のニュースだが、「JR横浜駅西口付近のビル屋上から、男子高校生2人(実行犯)がコンクリート辺入りの土のう2袋(約6kg&約4kg)を投げ落とした。」というのが在った。結局2人は、ビルへの建造物侵入の非行事実で保護観察処分となり、内1人は殺人未遂等の非行事実で東京家裁へ移送された。そしてもう1人に付いては、同じく殺人未遂等の非行事実で少年院送致が一昨日決定した。
逮捕された当初は、面白半分に土のうを投げ落とした事を認めていた彼だったが、「別の生徒に向けて投げた土のうが、”誤って”屋上の外に出た。」と供述を変えている。その供述を、「信用性が乏しい上、悪戯では済まない重大な事案なのに、口裏合わせをする等悪質。」として、裁判長は少年院への短期(4ヶ月以内)送致を決定したのだが、畠山容疑者の場合と同様の白々しさを感じるばかり。
両者とも殺意を否定する事で罪を軽減して貰おうという、往生際の悪さが見え隠れしているとするのは言い過ぎだろうか?最近この手の、往生際の悪い&白々しい言い種が幅を利かしている事に不快感を覚えてしまう。中には、弁護士が悪知恵を吹き込んでいる様に思えるケースも見受けられる。
訴訟大国アメリカ。常識を逸脱した、莫大な賠償を求められるケースが後を絶たない。先だっても「トヨタ自動車の米国法人・北米トヨタ自動車の元社長秘書の日本人女性(42歳)が、上司である同社社長(65歳)からセクハラを受けたとして、トヨタ本社等を相手に総額1億9,000万ドル(約215億円)の損害賠償を求める訴訟を起こした。」というニュースが報じられていた。こういった卑劣な行為が本当に行なわれていたとしたら、絶対に許されるべきもので無いのは言う迄も無い。被害者女性には、心からの謝罪と然る可き賠償が為されて当然とは思うが、だからと言って約215億円の賠償額というのは異常としか思えない。
弁護士資格を持った人間が溢れ返っているアメリカ(弁護士数は、日本の場合8,500人に1人、アメリカの場合350人に1人と言われている。)では、弁護士が訴訟を作り上げているという説も在る。莫大な賠償金が期待されそうな案件に近付き、原告(正確に言えば原告候補。)を焚き付けて訴訟を起こさせ、入れ知恵をガンガン吹き込んだ上で勝訴に持ち込むというのだ。(上記したセクハラ訴訟が、そういった遣り方に当該しているという訳では全く無いので、誤解無き様に。)
司法制度改革の一環として、弁護士数が大幅に増えると言われている我が国。無辜の民を守る弁護士がより身近な存在になるというのは歓迎するが、間違ってもアメリカの様な訴訟大国になる端緒にはならない事を切に願う。全てをアメリカに倣う必要は無いのだ。
「秋田県藤里町での男児殺害事件」
容疑者の身勝手な供述は理解に苦しみます。
“異常な罪を犯した人間の証言は異常で理解不能”
とも云い切れない不合理さを感じています。
犯罪心理学の権威という肩書きの男性が、
(反社会的人格障害)
という症例を解説している番組もみていましたが、
それでも釈然としない思いが残りました。
こういった事件を、感情だけで捉えるのは危険だとは重々承知しているのですが、
殺害された男児の親の立場を想像するだけで、私は涙が出そうな気持ちです。
池田小学校の事件もそうでしたが、我が子が味わった恐怖、苦痛を思えば、
側にいてやれなかった、助けてやれなかった自分を責める気持ちに、苛まれているのではないでしょうか?
大人なら殺害されても構わないという意味ではありませんが、無垢な幼い子を殺す人間を、私は到底、許す事は出来ません。
国会議員、企業家、見苦しい言い訳ばかりが罷り通っています。
“人間、腹黒いのが当たり前”
そんな世の中になってしまうのでしょうか?
やるせない気持ちになってしまいます・・・。
秋田県藤里町の事件の容疑者は、
“自供できなかったのは、母を苦しませるから・・”
そんな発言もしていると耳にしました、
罪のない子供を殺害しておいて、我が母にはそんな心遣いのコメントが出来る卑しさが憎らしくてたまりません。
やはり、いつの世も、子供は純粋なまま生まれて、
変ってしまうのは、社会や大人なのでしょうか?
日本じゃ、サンバカとか、イラクに行った連中によく浴びせられてたね。
アメリカの国じゃ、自分でコーヒーをこぼして火傷したとマックに訴えるおばさんも居るし・・・。
日本は、こんな国にしたくないよなぁ。
でも、最近のニュースを見ていてよく思うのですが、どうもこういうニュースの度に湧いて出てくる“知人”と言う人が多いような気がします。マスコミも面白がって「その人の生い立ちから、この事件の性質を探る」だのと言い訳をしながら他人の人生を平気で報道している部分もあると思いますが、こういうときに限って、「嫌われていた、暗かった、切れやすかった、危ない人だった・・・云々」のような否定的なことを言う人しか出てこない事も悲しいです。松本サリン事件の報道被害にあった方も、ひどかったですね。この畠山容疑者を庇うつもりは毛頭ありませんが、最近の彼女の過去に対する発言をしに出てくる人には、どうにも納得がいかない気持ちもあるのです。