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「大阪市長選、無効票13.53% 過去最多6万7千票」(3月23日、朝日新聞)
出直し大阪市長選では、無効票が6万7,506票(13.53%)に上った。記録の残る1951年以降では、1963年の5万9,445票(4.71%)を上回る過去最多。無効票の内、白票は4万5,098票を占めた。
無効効票は白票の他、判読出来なかったり、候補者名以外が記されたりしてもカウントされる。主要政党が対立候補を擁立せず、有権者の受け皿が無かった事が、大量の無効票に繋がったと見られる。
投票率23.59%は、過去の政令指定都市長選の中でも6番目に低い。市民の関心の低さが窺える。
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先月の記事「小皇帝」で、「“『下”が言う事を聞かないから、今の職を辞して、選挙で民意を問う。』というのを、(橋下徹市長は)何度繰り返せば気が済むのだろうか?」とし、今回の出直し選挙に大義が全く無い事を記した。
「投票率は、過去の政令都市長選の中でも6番目に低い23.59%。(ワースト1は、1979年の京都市長選での16.13%とか。)」、「無効票が6万7,506票(13.53%)で、其の内、白票は4万5,098票を占めた。」という結果からは、多くの大阪市民が今回の選挙に大義を見出せなかった事、そして憤りを感じていた事を表しているのではないだろうか。
「選挙は、民意を問う重要な存在。」なのは事実で、多額の血税が投入されるのは致し方無いと思っているが、飽く迄も其れは「選挙に“少しでも”大義が見出せられる場合。」で在る。今回の出直し選挙の場合は「橋下市長及び松井一郎府知事が、“コップの中の嵐”を楽しんだだけで在り、独り善がりな“マスターベーション”に過ぎなかった。」としか思えず、こんな事に6億円とも言われる血税を投入されたのでは、大阪市民も堪らない事だろう。
「雀百迄踊り忘れず」と言うが、「仮想敵を其の都度作り上げ、噛み付いては、自身の存在感をアピールする。」という橋下スタイル(松井スタイルと言っても良い。)は、今後も変わらないのだろう。そういうスタイルに、大阪市民の何れ程が付き従って行ける事か・・・。
横山ノック元知事のときもそうでしたが、軽いノリで表面だけ見て「面白い」「かっこいい」候補者を選んでしまうと、後が高くつきます。
それにしても、棄権を橋下手法への批判の言い訳にする選挙民もどうだかなあ・・・棄権は白紙委任状にもなり得るわけで、決して批判の意思表示ではないですよね。
選挙権は行使するけどあんたの名前は書かないよ、と白紙投票する方がまだしも意思表示になると思うけれどなあ。
「大阪には、“御笑い百万票”というのが在る。」と良く言われます。関東メディアによる関西を見下した表現という面も在りましょうが、横山ノック氏や橋下徹氏といった府知事や市長を生み出した背景には、そういう面が全く無いとは言えない気がしています。橋下市長が良く口にする「ふわっとした民意」というのが、そんな感じなのでしょうね。
唯、そういう感覚は大阪だけに存在するのでは無く、全国的に増加している様にも感じるんです。「深い部分は全く判らないけれど、勇ましい事を言っているので支持する。」といった“声の大きい人を盲信する風潮”とでも言いましょうか。
「白票が多かったのは、メディアの責任だ。」、今回の選挙に関して橋下市長は、“案の定”責任転嫁をして来た。「遣り取りに打ち勝つ事だけを唯一の目標とし、言い訳三昧&他者攻撃に明け暮れる。」というのは、“ああ言えば上祐”と言われた(オウム真理教)元代表・上祐史浩氏の専売特許でも在りましたが、橋下氏の言動は彼に瓜二つ。会見で「メディアは恐ろしいなあと実感した。恐ろしいですよ。」と再三呟いたそうですが、自分から言わせれば、こんな状況下でも未だ「言い訳三昧&他者攻撃に明け暮れている貴方が、一番恐ろしいですよ。」と言いたい。
橋下市長の言動からは、悪い意味での「餓鬼大将」という感じしか感じられなくなっています。最初の頃は、「意図的に過激な言動をする事で、世間の耳目を集め、其れをパワーの源泉とし、色々変革しようとしているのかも。」という思いが在りましたけれど、こうも「俺は正しい!他の奴らが、全て誤っているんだ!」といった言動が続くと、「大人に成り切れない、幼稚なおっさん。」としか思えない。
選挙制度、変えないといけない点は多いですね。メリットも在るとは思うけれど、「死に票が余りにも多くなり、独裁的な政治体制が出来上がってしまう。」という点で、「1人区」は変えないとまずいと思っています。「世襲制度」もプラス面より、マイナス面が多過ぎる。有権者1人1人が、もっと賢くならないと駄目というのは、言う迄も在りませんが。