ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

30年後の彼等

2010年10月10日 | TV番組関連
「『想い出の渚』って曲知ってる?」と問われたら、恐らく若い人達は「知らない。」と答える人が多いのではないだろうか。そして一定年齢以上の人達ならば、「勿論知ってるよ。ザ・ワイルドワンズの曲は結構聞いていたから。」(動画)等と懐かしそうに答えてくれる人が多い事だろう。では自分の場合はと言えば、「ザ・ワイルドワンズの『想い出の渚』も知ってはいるけれど、パッと思い浮かぶのは『ハンダースの想い出の渚』だなあ。」(動画)と答える。

1975年に結成されたコメディー集団「ザ・ハンダース」。グループ名は結成時のメンバーの数が6人、即ち「1ダースの半分(半ダース)」から来ている。レギュラー番組を数多抱える人気グループとなり、1978年には物真似をふんだんに盛り込んだ「ハンダースの想い出の渚」が30万枚を売る大ヒットとなったが、結成から5年後の1980年にグループは解散を迎えた。

身につまされるテーマが多く、ちょこちょこ見てしまうドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」。今日は「あの頃に戻れない~30年後のザ・ハンダース~」というタイトルで、ザ・ハンダースのメンバー6人の今を追っていた。

結成時にはリーダーだったものの、人間関係のトラブルで早期にグループを脱退し、“幻のメンバー”とも言われる小林まさひろ氏。「ありがとうの小林君」とも呼ばれていた彼は、グループ脱退後も芸能活動を続けていたが、タレントとしてのの限界を痛感し、芸能界を引退。河豚調理師の免許を取得し、1985年に赤坂で河豚料理店を開店する。店主兼料理人として働き、バブル期には大流行りしたと言う。しかしバブルが弾けて以降は客足が鈍り始め、長引く不景気の影響から昨年には全従業員を解雇する事に。全く客が来ない日も在るそうで、「自殺を仄めかしていた知人が、本当に自殺してしまった。」という話をした際の寂しげな表情が印象に残った。

小林氏が脱退して以降、実質的なリーダーとなったのは清水アキラ氏。「ものまね王座決定戦」(動画)では“ものまね四天王”の一人となる等、爆発的な人気を博した。絶頂期は億を超える年収を稼いでいた彼も、物真似番組が打ち切られて以降は芸を披露する場が徐々に減って行き、昨年12月からは箱根湯本の温泉旅館で歌謡ショーを行う日々。週刊誌で「都落ち」と揶揄されるも、「年収は大幅に減ったけれど、定収入が得られるのは在り難い。」と語っていた彼。仕事が減ると如何わしいビジネスに手を出し、安直に金銭を得ようとする芸能人が多いけれど、地道に頑張っている彼の姿には拍手を送りたい気持ちだ。

小山ゆ~えんち~!」のギャグで有名だった桜金造氏。グループ解散後はピンとして、又は他のメンバーと組んだコンビとして結構売れてはいたが、2007年に東京都知事選挙出馬&落選した事でタレント活動の場が激減。「政治色が付いたタレントは使い辛い。」という事なのだろう。厳しい生活状況に在る事を、週刊誌で以前語っていたのを覚えている。

アントニオ猪木張りが印象的だったアゴ勇(現在は「あご勇」。)氏。桜金造氏と組んだコンビ「アゴ&キンゾー(現在は「あご&きんぞう」。)」で再び脚光を浴びるも、現在は「エコキュート」の完全歩合制訪問販売員を生業としている。基本給は無しで、交通費や食事代も出ないと言う。嘗ては芸能界で名を成した彼が、玄関先でけんもほろろに追い返される姿には複雑な思いが在った。

以前は「アパッチけん」という芸名だった中本賢氏。現在も俳優としてちょこちょこ顔を見掛けるし、長年の環境活動が認められて川崎市教育委員も務めているのだとか。グループ時代は一番影が薄い感じがしていた彼が、今では一番安定した生活を送っている様に見受けられる。

グループでは最年少の16歳だった鈴木末吉(現在は「鈴木寿永吉」。)氏も、今や52歳。不景気の影響を受け、営むパブの利益はカスカスとか。長年連れ添った妻とも別れ、今は独り身の生活。コンビニ弁当を食べ乍ら「独り身は寂しいですよ。」と苦笑する彼には、イケメンとしてグループで最も人気を誇っていた当時の面影は無かった。

メンバーの誰だったかは忘れてしまったが、以前、週刊誌で昔の思い出を語っていた。グループ仲は最悪だった様で、人気が在る中での解散というのは其れが大きく影響していたのだろう。其れ程迄に仲が悪かったというのに、解散から30年を経た清水アキラ氏がグループを組んでいた人は皆判ると思うけど、一人で遣るっていうのは寂しさを感じるんだよね。グループだと皆でワイワイ騒いだりして、寂しさを感じないから・・・。といった趣旨の発言を懐かしそうに口にしていた。時の流れや環境の変化が、気持ちを大きく変えさせたのかもしれない。

清水氏がメンバー達に声を掛け、の温泉旅館で一日限りの「ザ・ハンダース復活ショー」を行ったそうだ。参加したのは、中本氏を除く5人。舞台以外では疲労し切った顔をしばしば見せていた清水氏が、嘗ての仲間達を迎えて実に穏やかな笑顔を浮かべていた。、他の4人も良い笑顔を見せていたっけ。此の日ばかりは現実を忘れ、彼等は30年以上前にタイムスリップしていたのかもしれない。

一方で「今が一番楽しい。」と話していた中本氏は、今回の参加を見送った。彼が口にした次の発言も又、印象的だった。

再結成を嘗てのファンが喜ぶ、否、実際には『喜ぶ』というよりも、『懐かしい』という思いでしょうね。でも、其れは一瞬なんですよ。

♪波に向かって 叫んでみても もう帰らない あの夏の日♪

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8 コメント

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うーむ (spa supernova)
2010-10-12 19:13:01
テレビのバラエティはあまり見ないから、知らなかったですが、清水さん、ふーん、そうなっていたんですか・・・。フジテレビと喧嘩して一時期干されたコロッケはしょっちゅう見るから、なんか皮肉だなあ・・。

あの人スキー上手いんだよな、確か。

清水健太郎と親戚だったような記憶があるんですが記憶違いだったのかな、検索したら「大学の先輩後輩」だという記述が散見されました。

http://ameblo.jp/akira-shimizu/entry-10626037734.html
芸名をつけたのは彼だったのですね。


>地味

たのきんの中でよっちゃんが一番安定しているような気がするのと同様でしょうか。
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>spa supernova様 (giants-55)
2010-10-12 20:49:56
書き込み有難う御座いました。

清水氏はスキーが上手い事でも有名でしたね。「器用な人は、何遣っても凄いんだなあ。」と思った事が在ります。

コロッケ氏は1980年代に大麻で捕まり、其れ以降は不遇の時代が在りましたけれど、美川憲一氏の物真似で彼と共に復活しましたね。

一度頂点に立つと、其の座をずっとキープするのは至難の業。大抵は落ちて行く。そういう意味では「一番を敢えて目指さず、二番手以降をフラフラして長く生き抜く所ジョージ氏のポジション」っていうのは上手いなあと感じます。
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ワイルドワンズも判ります (ハムぞー)
2010-10-13 00:10:42
「ハンダース」は6人から来ているのは知っていましたが、初代リーダーは知りませんでした。

当時「半ダースなのに、なぜ5人やろ」と思っておりました。
「チャンバラトリオが4人なのと同じ理由かな」くらいに思ってました・・・

このドキュメンタリーは知りませんでした。
30万枚のヒット(結構売れたんですね)のヒット曲があっても、その後の人生は紆余曲折なんですね・・・
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>ハムぞー様 (giants-55)
2010-10-13 00:34:43
書き込み有難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

ザ・ワイルドワンズの存在は知っているけれど、全盛期をリアル・タイムでは知らない。自分はそんな微妙な年代に在るのですが、恐らく同世代のハムぞー様も同じ感じなのでしょうね。

自分は幼少時より御笑い大好き人間&TV大好き人間でしたので、ザ・ハンダースが6人編成だったのは知っていたのですが、彼等の出身母体で在る「ぎんざNOW!」(せんだみつお大先生の全盛期。)を見ておられなかったとしたら、小林氏の事は御存知無くても仕方無いと思います。

浴びたスポットライトが派手で在れば在る程、人気が凋落した後の落差は大きく感じてしまうもの。身につまされるシーンも多かったのだけれど、清水氏が「男には3度のチャンスが在るって言うけれど、俺の男のチャンスは未だ来ていないと思っている。此れからですよ。」と前向きだったのが救いでした。
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同期生はサザン (はし れんたろう改めマラソン・マン)
2010-10-13 00:47:09
ハンダースがレギュラーで出ていた、金曜日夜8時からフジ系列で放映されていた物真似番組は好きでした。おかげで、新日プロの'70年代後半の名勝負の大半を見逃していますが(苦笑)。ちなみに、この番組から竹中直人さんがデビューしました。

サザンの桑田さんが、今は無き月刊プレイボーイのインタビューで語っていたことですが、デビュー曲「勝手にシンドバット」は有線放送大賞の新人賞にノミネートされるも、「将来性を買われて」ハンダースが受賞したのだそうです。デビュー時のサザンは、一発屋と思われていたみたいです。もっとも、マニアックな洋楽ファン向けの学生バンドをメジャーにするために、最初はコミック・バンドと思わせるという戦略は結果的に「成功」だったと言えますが。

洋楽、邦楽問わず、かつての人気バンドの再結成というのは多くのファンの関心を集めます。日本のバンドで、最も再結成が待望され、かつ、実現が困難とされているのは、1にボウイ、2にオフコースだそうです。

中本賢さんの言葉はそんな「再結成待望論」の本質を鋭く衝いていると思いました。彼にとっては、ハンダース解散後の芸能活動のテーマは
「いかにして“アパッチけん”から脱皮するか」だったのでしょう。それに成功した今は、過去には戻りたくないのでしょう。「アゴ&キンゾー」のコントは好きだったのですが。
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>マラソン・マン様 (giants-55)
2010-10-13 03:57:13
書き込み有難う御座居ました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

「サザンとハンダースが同期!?そんな事無いでしょ?ハンダースはもっと前からTVに出ていた記憶が在るし。」と思って調べましたら、レコードデビューが1978年と同期なんですね。納得です。

サザンオールスターズを初めて見たのは「ザ・ベストテン」でした。ランニングシャツに短パンで、歌っている曲が「勝手にシンドバッド」と、当時流行っていた2曲の合わせ技みたいなタイトルで、「こりゃあ際物バンドで、一発屋で消えるな。」と思った物。しかし少し年下の従弟が「サザンは良いよ!」とやけに入れ込んでいて、「ほんまかいな?」と思っていたのですが・・・完璧に化けましたね。2曲目の「気分しだいで責めないで」辺りから、完璧に自分はサザンのファンになってしまいましたから。

其れにしても、サザンよりハンダースの方に将来性を感じての新人賞ですか。竹内まりやという同期がい乍ら、新人賞を総舐めにした桑江知子(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%91%E6%B1%9F%E7%9F%A5%E5%AD%90)を思い出させる逸話ですね。

アゴ&キンゾーのネタは、或る意味シュールでした。
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ぎんざNOW (ハムぞー)
2010-10-13 06:32:03
残念ながら、関東ローカルなので
見たことは無いんです。
聞いたことはあり升が・・・・
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>ハムぞー様 (giants-55)
2010-10-13 09:58:57
書き込み有難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

「ぎんざNOW!」は関東ローカルだったんですね。Wikipediaの情報を見ると、放送時期から考えて自分が見ていたのは後期だった様です。其れ迄は名古屋に住んでいたので。

其れにしても、素人時代に此の番組にゲストとして出演していた面々の顔触れが凄い。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8E%E3%82%93%E3%81%96NOW!#.E3.82.B2.E3.82.B9.E3.83.88)竹中直人氏や矢沢栄吉氏、シャネルズの面々、とんねるずの石橋貴明氏、小堺一機氏、TM NETWORKの2人等々、「伝説の番組」と称されるのが判ります。
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