ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

色んな考え方が在って当然

2016年08月27日 | 其の他

今年初め、「SMAPが解散」という記事を書いた。「SMAPが解散し、木村拓哉氏以外はジャニーズ事務所から独立する。」という報道がされた事を受け、書いた内容だ。別にSMAPのファンという訳では無いが、歌も御笑いも出来るSMAPは、嘗てザ・ドリフターズと並ぶ“国民的アイドル”。」という認識が在るだけに、「解散は寂しいな。」という思いが在った。

 

だから、彼等が「解散をしない。」と決めた時は、ホッとする思いが在ったけれど、解散騒動を受けて行った“公開処刑”の様な謝罪、そして其れ以降の彼等のぎすぎすした雰囲気を目にするに連れて、「こんな状態でもグループを続けなければいけないというのは、彼等にとってマイナスだし、とても気の毒。」と感じる様になった。なので、今月14日に「今年の12月31日を以て、SMAPは解散する。」と決まった際には、「結果的に良かったんじゃないかな。」という思いが。

 

正式解散の報を受け、芸能人の間からも様々な声が出ている。「残念。」とか「解散しないで欲しい。」という声の他に、今回の決定を“前向き捉える声”も在ったりしたが、こういう“前向きに捉える声”に対し、ネット上で少なからずの批判的な声を目にした。

 

8月22日、ラジオの新番組の記者会見に臨ん小堺一機氏が、記者からSMAP解散に付いて尋ねられた際、次の様に答えたそうだ。

 

情報が錯綜しているよね。言論の自由なのに、SMAPに付いて私的な意見を言うとファンが怒ったりする。『貴方は黙っていろ。』って言うじゃない。日本的だね。離婚と一緒で、中の事は判らないからね。でも、『解散』って漢字は力が在る。散るだからね。でも、なくなっちゃう訳じゃないから。

 

「言論の自由な国なのに、SMAPに付いて私的な意見を言うとファンが怒ったりする。『貴方は黙っていろ。』って言うじゃない。日本的だね。」という部分、全く同感だ。「残念。」とか「解散しないで欲しい。」という主張をすればOKだけれど、解散を容認する様な主張をすると叩かれる。SMAPのファンが複雑な思いを持っているのは理解出来るけれど、「自分と異なる考え方は一切許さない!」というのはどうかと思う。中にはSMAPのファンでも何でも無く、「“少数派意見”を口にする奴は生意気だ!」みたいな感じで、面白おかしく叩く“便乗犯”も一定数存在する様にも。

 

6年前の記事「盛り上がるのは勝手ですが」で書いたが、「2010 FIFAワールドカップ」の開催中、友人と行った“御洒落系の飲み屋”で、非常に不快な思いをした事が在る。店内ではサッカーの中継が流されていたのだが、自分達は全く興味無かったし、静かに酒を飲んで話がしたかったので、(中継を流していた)TVから遠く離れた奥の席に座った。其処で友人と静かに語らっていたのだが、中継を見ていたらしき1人の親爺が傍に遣って来て、「おい!何でサッカーの試合を見ないんだよ。」と丈高口調言い放った。「サッカーに興味無いんです。」と普通の口調で答えた所、其の親爺はサッカーに興味無い?日本代表チームが出場しているっていうのに、見ないって馬鹿じゃないか?此の非国民が!みたいな感じで罵り始めたのだった。馬鹿を相手にしても仕方無いので無視を決め込んだが、盛り上がるのは個人の勝手なれど、「自分以外の人間も、同じ様に盛り上がらなければ駄目!」と押し付けるのは、身勝手以外の何物でも無いだろう。

 

今回のオリンピック、日本人選手が大活躍した事自体は嬉しいけれど、でも、馬鹿騒ぎとも思える報道振りで、中継も含めた関連番組は殆ど見なかった。又、「インフラ整備が進む。」等の理由から、開発途上国に“限って”はオリンピック開催の意義を認めるも、“既に出来上がっている”の場合、「莫大な費用を投じて作った“箱物”が、開催後は大きな負担になる。」等の理由から、開催するデメリットの方が多いと考えている。日本も同様で、「莫大な“箱物”を作る金が在るなら、福祉等、もっと国民にとって重要な事に使って欲しい。」とも思っている。だから、日本でのオリンピック開催には賛成出来なかったし、雫石鉄也様の記事「メダルを何十個取ろうがハラのたしにゃならん」には頷ける所が在った。

 

「今回のオリンピックに関心が無かった。」とか「日本でのオリンピック開催に賛成出来ない。」といった“少数派(?)の意見”を口にすると、非国民扱いされる我が国。「多数派の意見や強き者に対し、少しでも異論反論を口にすると、袋叩きにされる様な風潮。」が強まっている事に、強い懸念覚える

 

小堺氏の話に戻るが、どんな主張に対しても、“に触れない限り”、異論や反論をするのは個人の自由。其れこそ、言論の自由だから。でも、自分の主張と違うからといって、ネット上で“煽り仲間”を集め、スポンサー攻撃をする等の形で抑え込もうとするのは、犯罪以外の何物でも無い。

 

世の中、色んな考えが在って当然。自分の考えと相容れないからといって、“集団リンチ”の如く抑え込もうとするのは蛮行で在る。


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4 コメント

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Unknown (悠々遊)
2016-08-27 16:06:26
たとえばリオのオリンピック。
のめり込むほどじゃないけど結構見てしまいました。
きっかけは様々でも、たまたま才能・素質に恵まれ、本人も一所懸命努力して、栄光をつかみ取った選手たち。
その努力と結果に拍手を送りたいし、サクセスドラマに感動したこともありました。
でも、そこまで。

雫石さんのブログでも書かれていて同感でしたが、彼らは自分が望むことをして世界に誇れる結果を残しただけのこと。
それをむやみに感動の押し売りをされても困るし、ましてやメダリストへの税金を使った報奨金や、メダル有望競技への補助金増額などの話題を聞くと、メダルを税金で買うような気がして一気に冷めてしまいます。

結果を出すことで競技人口を増やし、国民の健康増進に役立つから、税金投入は当然、なんて風が吹けば桶屋が儲かる様な屁理屈いりません。
スーパーマン、スーパーウーマンたちは、自分たちの努力と結果でスポンサーも自力で勝ち取ってください。支援したいという人からの寄付・支援でなら文句はありません。
税金の投入ということは、それを望まない人、自分たちの生活で精いっぱいでそれどころではないという人たちの懐からも、お金を搾り取ることにほかなりません。
・・・という気分になってしまいます。

こんなことをネットで大ぴらに叫べば、おそらく袋叩きに合うのでしょうね(苦笑)。
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>悠々遊様 (giants-55)
2016-08-27 17:44:51
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

悠々遊様の御考え、全く同感です。今回のオリンピック、リアル・タイムでは見なかったものの、ニュース等で結果を知り、体操男子団体や男子400mリレーでのメダル獲得には、ジーンと来る物が在ったのは事実です。

唯、彼等を必要以上に賛美したり、又、延いては「日本って、こんなに凄い国なんだぞ!」とでも言わん許りの“自画自賛”が過ぎる報道姿勢には、白ける思いしか無かった。謙虚で在り過ぎる必要も無いけれど、逆に自画自賛が過ぎるのもどうかと。自虐史観の対極に、そういう物が在るのだとしたら・・・日本人の美徳で在った“慎み深さ”が吹っ飛んでしまったのでしょうか。

「金さえ在れば、何でも出来る。」、ジャイアンツ・ファンでは在るけれど、そういう考え方は大嫌い。今は“寄らば大樹の陰的な思考”が老若男女を問わず強くなっている気がし、そういう思考の元、「金をどんどん突っ込んで、メダルを大量に獲得出来れば良い。」という発想に繋がっているのかもしれませんね。 

資金力は無くても、知恵と努力で勝つ。「25年振りにカープが優勝したら、少しでも考えを改めてくれる人が増えないかなあ。」と思ったりします。
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おんなじか (雫石鉄也)
2016-08-28 08:52:40
国民「こぞって」とか、「みんな」がかたずを飲んで、とか「全国民の悲願」とかマスコミがいうのは、大変に違和感を感じます。国単位だけではありません。いつぞや阪神タイガースネタの記事に、「そんなことをいうのは本当の阪神ファンではない」といわれたことがあります。阪神ファンという狭い世界ですらこうです。
結局、日本人は「進め一億火の玉」から脱却しきれてないんですね。こわいことです。
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>雫石鉄也様 (giants-55)
2016-08-28 09:53:59
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

「皆が挙って、同じ方向を向いている。」と、“本当に”思っているのか?其れとも、そう思っていると“見せ掛けない”とまずいと思っているのか?日本の場合、後者の意識が結構強い様に感じます。「そう見せ掛けないと、“村八分”にされてしまう。」、そんな意識が背景に在るのではないかと。

こういう意識は、為政者にとって非常に都合が良い。真面な異論や反論すらも、非国民だ非愛国者だと“叩かせる”事で、不都合な主張を葬り去る事が出来るのですから。
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