徳光和夫氏や羽鳥慎一氏、安住紳一郎氏の事を知らない人は、そう多く無いと思う。TV番組で良く顔を見掛ける、人気アナウンサー達だ。
TV局に属するアナウンサーと比べると、ラジオ局に属するアナウンサーは、概して一般的な知名度が低いかも知れない。土居まさる氏や久米宏氏、みのもんた氏等の様に、ラジオ番組で人気に火が付き、TV番組にも進出して、全国的に有名になるというケースも在るけれど、「“ディープなラジオ番組ファン”には良く知られているが、一般的な知名度は其れ程でも無い。」というラジオ局のアナウンサーは結構居る。
自分が好きなアナウンサーの1人・大沢悠里氏なんぞは、そんな1人かも知れない。一時期、TV番組に進出した時期が在るので、「知名度が凄く低い。」という事は無いだろうけれど、ラジオ番組を聞かないという人達からすれば、「誰?」という事になるかも。彼の声は「ゆったりとした心持ちで、想像力を働かせ乍ら聞くラジオ番組。」には最適だが、「次々と変わり行く映像に合わせ、パパパッと捲し立てる様に話さなければならないTV番組。」には合わなかった様に思う。
元ニッポン放送のアナウンサー・上柳昌彦氏。彼の名前を知っている人は、結構なラジオ番組ファンだろう。「うえちゃん」の愛称で知られる彼の一般的な知名度は、申し訳無いけれど高いとは言えない。1981年にアナウンサーとしてニッポン放送に入社して以降、昨年8月31日に定年退職する迄、ラジオ番組一筋で来た人物だ。
放送作家・高田文夫氏から今の見た目に付いて「老けた(バイきんぐ)の小峠(英二)だよ、あれじゃあ。」と称された上柳氏だが、昨年に定年退職を迎えた事で、此れ迄の半生を纏めた本が、今回読んだ「定年ラジオ」で在る。
此方にも記されている様に、父親が転勤族という事も在って、幼少期の上柳氏の転居歴は物凄い。生まれは大阪府四條畷市だが、直ぐに群馬県高崎市に移り、幼稚園に入る頃に兵庫県高砂市に転居。高砂市には小学4年迄住んでいたそうだが、2年の夏休みの間“だけ”石川県金沢市に引っ越したそうだ。クラスで御別れ会を開いて貰い、担任から思い出のアルバムを作って貰ったのにも拘らず、9月には又同じクラスに戻ったというのだから、非常に気まずかった事だろう。小学4年の秋からは横浜市神奈川区で暮らすも、6年の途中で東京都に転居。でも、5年の時に転校して来て、大の仲良しとなったS君と離れる事、そして皆と修学旅行に行けなくなる事がどうしても嫌で、校長に直訴して東京都からの越境通学を認めて貰った。中学の時は都内と神奈川県小田原市の3つの学校に転校するも、高校から大学迄はずっと東京都と、漸く落ち着いた生活に。
彼の転居歴の多さを書いたのには理由が在る。ラジオ局のアナウンサーになって以降、定年退職を迎える迄、彼は矢鱈と担当番組が変わっており、幼少期の転居歴の多さとオーヴァーラップしてしまったからだ。矢鱈と担当番組が変わった理由に付いて、彼自身は以下の様に記している。
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ここまで我慢を重ねお読みいただいた方はもうお気づきと思うが、この男やたらと担当番組が変わっている。
会社の方針であったり、それこそ局のアナウンサーを起用して経費を削減するというラジオならではの理由もあった。
しかし一番の問題は私が番組を担当しても数字が獲れないという事なのだ。
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実力が無ければ、多くの番組を任される事は無い。「数字が獲れない。」というのも、彼形の謙遜だと思う。でも、一般的な知名度は決して高く無いし、久米宏氏等の様に全国的な有名人という訳では無いのも事実。そんな彼が多くの番組を任されて来たのは「人の縁を大事にして来た事。」、「新しい事に挑戦して来た事。」、そして「努力を楽しんで来た事。」に在るのではないかと、「定年ラジオ」を読んで思った。人の縁を大事にして来れたのには、上柳氏の人間性が大きく影響しているだろうし、「新しい事に挑戦して来た事。」や「努力を楽しんで来た事。」には、「“天才”では無くても、努力し続ける事で道が開ける可能性。」というのを痛感。
此の本の中に登場する松宮一彦氏と塚越孝氏。共に一世を風靡した人気アナウンサーだったが、松宮氏は1999年(享年45)、そして塚越氏は2012年(享年57)に自殺している。人気面では彼等に及ばなかった上柳氏だが、“幸福度”という意味では勝っているのではないだろうか。
昨年、定年退職直後に前立腺癌が見付かり、前立腺の摘出手術を受けた上柳氏。フリーになって1年以上経つが、早朝のラジオ番組「上柳昌彦 あさぼらけ」でパーソナリティを務めておられる。